建設的な批判と恊働

Constructive Criticism(建設的批判)という言葉があります。ただの批判ではなく、改善や向上に役立つ批判のことです。

明日になると消えちゃいますが、今日の「今日のダーリン」を読んで「建設的批判」のことを連想しましたので、長くなりますが、それについて書きたいと思います。(追記:今は、ここで読めます)


学生運動が激しい時代にそれを体験された糸井重里さんがこんなことを書いておられます。

どこの大学の、どの学部に入って、
どんな人と出合ったかという偶然で、
「党派性」というものが決まってしまう。
そうでない人も、少しいたかもしれませんが、
ほとんどがそんな感じだったと思います。

偶然によって決まった「党派性」は、
それなりに鍛えられていき、
他の党派の考えを否定するようになっていきます。
ときには、そのちがいによって、
殴り合いにもなるし、殺し合いさえも起ります。
じぶんたちの立場は、絶対に正しくなくてはいけない。
そのためには、他の党派の立場は認められない。
ひとたび「党派性」の黒魔術がかかると、
なによりも、党派を守ることが大事になっていきます。
他の人たちが正しそうだったりする場合は、
卑怯な手を使ってでもじゃましてやる、
なんてこともいくらでもあったと思います。

私が学生時代に学生運動を避け、宗教団体に属さない理由がこれです。

糸井さんはこの後、現在の原発に関する討論との類似点を指摘しておられます(全文読んでいただきたいので、ここをお読みください)。

私も、ブログを読んだ人に「原子力発電推進派」と誤解されているところがあるかもしれません。でも、そうではありません。政府を批判せずに言うなりになれ、と言っているつもりもありません。

まず、昔の私を知る人であれば、「間違っている」と思ったら、会議でもどんどんそう言うし、上司や社長にすぐに反抗する喧嘩っ早い人間だということを証言してくれるでしょう。会社を辞めた理由は、いつもそれでしたから。でも、この歳になってようやく悟ったのは、「望むような結果を出したいのであれば、建設的な批判と恊働のほうが有効だ」ということです。

また、「原子力発電」については、私はずっと昔から反対でした。「絶対安全」という説を信じたことはありません。安全を信じていないにもかかわらず、原発に変わる発電方法を学び、きちんと提案し、そのために運動をしてきたかというと、ノーです。ナンタケット島沖の風力発電の賛成運動で署名したり献金しただけです。節電は多少できますが、電気を使わない生活をする勇気もありません。

でも、「まずは、現存する原発の安全性を増す方法を考えよう」とか、政治家に「風力発電などクリーンで安全な電力の開発に税金を使おう」という提案はできます。事後が起きたときに隠蔽するような企業体質を、自分の職場でまず改善することも、政府や東電に頼らずにできることです。そういう人が増えれば、リスク管理や安全な発電方法の技術は上がるのではないでしょうか?

今回の災害で、政府などの対応については、私ももどかしさを感じます。けれども、その原因は、政府や東電トップ数人の考え方や行動力だけではなく、長年かかって築きあげられた、今すぐに解決できないいろんな要素が絡んでいると思うのです。「じゃあ、どうやってそれを直すのか?」そこが肝心だと思います。この部分には、個人レベルからの長期的な関わりが大切になってきます。

この機会に企業バッシングも盛んになっています。

「経済力さえあれば、ほかはどうでもよい」という高度成長期に流行ったマインドセットが間違っているのは言うまでもありません。けれども、現在よくみかける「日本が貧乏になってもいいじゃないか。原子力発電を全部すぐに停めよう」という意見も、単純すぎる極論です。そもそも、「貧しい国」は国際的に発言力がありません。国の権利を無視され、他国に操られたり、利用されたりされやすくなります。政治的な取引もしにくくなります。結果的に個人の幸福が損なわれやすくなります。

10年ちょっと前、夫が会社を辞めて独立したとき、アメリカ人の友人に「貧乏でも愛があればなんとかなる」なんて偉そうなことを言ったところ、ふだんメロウな彼女が厳しい表情になり、「本当の貧乏を経験したことがないからそんなことを言えるのよ。お金がまったくない状況では愛情も生き残れない」と反論しました。彼女の両親は(有名な)芸術家だったのですが、経済能力はなく、それぞれ4、5回離婚と結婚を繰り返し、ときには極貧だったようです。友人は、小学生の頃に異母姉の指図で、ゴルフ場の茂みに隠れて飛んでくるボールを盗み、プレーヤーたちに売って、そのお金でご飯を食べたりしたそうです。「貧乏人は人権のないゴミのように扱われる」と肌で学んだ彼女は、勉強を一生懸命して奨学金でアイビーリーグ大学のひとつに入り、MITのビジネススクールに行って経済的に安定した暮らしを目指したのだそうです。

そこまでの貧しさを知らずして「清貧」のイメージを持ち、「貧乏でも愛があれば」などとほざいていた自分を恥ずかしく思った出来事でした。

高度成長期の日本の企業戦士たちが悪いことばかりをしてきたように言う人もいますが、そんなことはありません。

ルワンダ中央銀行総裁日記 (中公新書) 」という本を知人からいただいて読んだことがあります。1965年、経済的に繁栄する日本からアフリカ中央の一小国ルワンダの中央銀行総裁として着任した服部正也さんの体験記です。これを読むと、こんなに素晴らしいことをやり遂げた私の上の世代の日本人たちに胸が熱くなります。

世界各地で日本や日本人が援助をしてきた歴史があるからこそ、今の日本を助けようとしてくれる国がこんなに多いのです。

なにが言いたいのかというと、現実の世界は「白と黒」にははっきり分けられないほど複雑なんだということです。簡単に良い答えが見つからないということを分かったうえで、より良い答えを見つけようとする「建設的な批判と恊働」ができないものか、ということです。(「白と黒」に分ける弊害については、日経ビジネスオンラインの「反原発と推進派、二項対立が生んだ巨大リスク」という記事がとてもよい例です。)

服部さんの著作 や以前お話したアース・トレインの創始者から感じるのは、とても難しい状況の中で、自分とは異なる人びとと一緒に、大目標のために恊働するたくましくも美しい精神です。

どんなに親しい間柄でも、異なる意見を持っているのは当然です。今日も親友とそんな話をしていたところですが、私と夫も意見がいつも一致することはありません。それどころか、しょっちゅう討論しています。でも、相手の気持ちを傷つける言い方をわざと探したり、人格を否定するような言い方はしないようにしています。自分が討論に勝って気持ちよくなることが目的ではないし、感情抜きに(プレゼンのように)話したほうが私の言い分に耳を傾けてもらえるチャンスがあるからです。

今、熱心に討論している方々にも、そういうことを忘れないで欲しいな、と思います。


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4 thoughts on “建設的な批判と恊働

  1. こんにちは。今日のダーリンは「東日本大地震のこと」のページで読めました。私も建設的な批判って大事だと思います。批判をするときは常にできれば、「じゃ、どうすればいいのか」というalternativeを提案できるように自分でよく考えてから批判していと思っているのです。だって批判するだけ、って簡単ですし、具体的な(批判していることをよくする)提案をあげない人の意見はそのうち人は聞き流すようになってしまうと思います。
    BTW別の日の今日のダーリンでヨブ記のことが書いてあったのですが、宮城県の松島町はあの有名な松島の島々が湾にあったおかげで津波の威力が弱まって、あんなに打撃をうけた宮城県の海際の町の中で唯一被害が最小だった、とニュースでみました。だから自然に助けられることもあるんだ、と思ったところです。

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  2. 何か大きな事件が起こった時や人の発言に対して揚げ足をとって激しい言葉で批判する人がたくさんいます。
    でもそういうことをしても何の解決にもならないんですよね。私たちは生きていく、前に進んでいかなければならないのですから、そのためにも何らかの建設的な意見・アイディアを出すことが必要だと思います。とはいえついつい感情的になってしまってうまく討論することは難しいものですが。

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  3. 今回の事態は単なる復旧ではダメで、新たな地域もしくは国を創造していく必要があると多くの方が語ってます。私もそのとおりだと思いますが、それにはこの国の将来を語る指導者と、その指導者の語る将来や未来に建設的な批判をする市民ってのが不可欠なんだと考えます。

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  4. コメントの数々、ありがとうございます。
    私も、世界を変えるためには批判が必要だと思います。そういう市民が常に存在しないと、どんどん悪い方向に行ってしまいますから。
    けれども、「建設的な」ものがいいですね。
    これからの日本が、新しく素晴らしい国として復興するためにも、いろんなアイディアが生まれ、それが実行に移されることを祈っています。
    海外にも、そんな日本を助けたいという国や人は沢山存在します。ですから、「恊働」の機会でもあると思うのです。災害時対応策などは、特に海外から学ぶことが多いのではないかと思います。今できなくても、「学ぶ姿勢」がある政治家を育て、助けてゆけば、変わることはできるのではないかと思います。

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