日本の大学と大学生に望むこと

娘がコロンビア大学を卒業するので、その式典でニューヨークに行ってきた。(Columbia Universityには多くの提携カレッジが含まれるが、アイビーリーグの『コロンビア大学』はColumbia Collegeのこと)。

コロンビア大学卒業式

ΦΒK入会式嬉しいことに、Phi Beta Kappa(ΦΒΚ)という、最優秀学生だけが入会できる全米で最古の友愛会にも招待されたという。Columbia Collegeの卒業式(Class Day)直後に開催されたΦΒΚ入会式では、自らも会員であるコロンビア大学の学長が壇上で新会員を迎えた。

親として何よりも娘を誇りに思うのは、大学が与えるものを彼女が最大限に利用したことだ。

Neuroscience(脳神経科学)専攻で、Pre-med(医学大学院Medical Schoolへの進学に必要な科目をこなすコース)だった娘は、生物学、化学、物理、数学といったいわゆる理数系だけでなく、コロンビアカレッジの特徴である「コア(リベラルアーツに近い教養過程)」を徹底的に楽しんだ。歴史、文学、哲学、音楽、アートも好きなので、取れる限り最も多くの授業を選択し、ロンドン留学中にはコロンビア大学にはない医学の歴史や哲学の授業を受けた。そこで知り合った女性教授とパブで哲学を語り合ったのがロンドンで最高の思い出だという。

でも、娘はガリ勉だったわけではない。

学生が組織する吹奏楽団でプレジデントを務めて大学との交渉の面倒さを学び、大学の学生組織が発行しているいくつかの雑誌でイラストを描いて体験を積み、ニューヨーク、ロンドンという地域性を利用して、好きなロックコンサート、演劇、ミュージカルにも通った(そもそも、それが目的で大学の場所を選んだ)。娘にとって、音楽や演劇鑑賞は学校での学びと同様に人生にとって重要な「楽しみ」だったのである。

こういった私の娘や彼女の友人たちを4年間みていて強く感じたことがある。

大学で重要なのは、「大学が厳しい学びの機会を学生に与えること」と「学生がそれを最大限に利用すること」のふたつなのだ。私たちは多くの雑音に惑わされてシンプルな真実を忘れているような気がする。

ところで、アメリカの合格者専攻方法は日本のそれとは大きく異る。ケイクスでの冷泉彰彦さんとの対談でも触れたし、『才能を殺さない教育』シリーズでも書いたことがある。

日本の大学でも合格者選択にアメリカのようなやり方を取り入れるべきだという人は多い。たとえば茂木健一郎さんがそうだ。(この前後の連続ツイートをご覧になると、もっとわかりやすいだろう)

Kenichiro-mogi tweet彼の考え方にも一理あるし、決して批判するわけではない。私も似たような考え方をした時期がある。

しかし、アメリカで子育てをした体験から、私は異なる見方をするようになった。

ひとつは、テストで合格者を決める日本の大学入試は意外と公平だということだ。

そして、直すとしたら入試方法ではなく、授業の厳しさと学生への要求レベルを高くするほうがいいと思う。

その理由を語ろう。

まず、日本でアメリカ式の入学選考方法を取り入れるのは不可能に近い。

アメリカの大学には入学選考だけにかかわる部門があり、専門の職員がいる。ここにかかる費用は膨大であり、日本の大学にそのような資金はない。専門の部門を作ろうとしたら授業料を上げるしかないが、アメリカの私立大学の授業料を考えてみてほしい(わが家は年に600万円以上払った)。これを日本で実現するなんてとんでもない話だ。

次に、アメリカ式の入学選考をするプロがいない。学生の将来性を見極めるために書類選考やエッセイがあるわけだが、それを見極めるためにはトレーニングを受けたプロが必要である。日本にはそもそもプロ養成のトレーニングを与えるプロがいない。

そして何よりも、アメリカ式の入学選考で「ユニークな才能」をアピールできるのはたいていが裕福な家庭の子供なのだ。音楽、スポーツ、アート、それらで飛び抜けた才能を示そうとしたら幼い頃から親が一生懸命にならなければならない。結局は、公平でもなんでもない制度なのだ。

もうひとつ、誰もがすぐに忘れる重要なことがある。

それは、「大学合格はゴールではない」ということだ。

アメリカのトップ大学の授業は厳しい。教授が学生に求めるレベルも高い。企業や大学院は、大学の授業で良い成績を取るだけでなく、夏休みに行ったインターンシップの内容を重視する。

せっかく入学したのに遊んでばかりで何もしない生徒や、「ユニークな才能」で入学したけれども基礎学力がない生徒は、授業についていけずに脱落してしまう。

だからこそ、「日本の大学で直すとしたら入試方法ではなく、授業の厳しさと学生への要求を高くすることだ」と思うのだ。

日本でも飲み会ばかりしていたら大学を卒業できないようにし、企業が大学の成績と社会貢献やインターンシップの体験を重視するようになれば大学の質は自ずと変わる。

また、「東大合格者が一番頭がいい」といった偏見で困る人がいて、それを変えたいのであれば、入学選考システムを変えるよりも私たち自身が考え方を変えるべきなのだ。

そもそも、大学ランキングでそこに通う学生の優秀さを部外者が決めるなんて馬鹿げている

アメリカでアイビーリーグ大学や州立大学に通う大学生の多くと接してきたが、アイビーリーグに通っていても自分の頭で考えられなくて使い物にならない生徒はけっこういるし、それ以外の大学に通っている学生の頭脳明晰さに感動したことは少なくない。

地域性や親の経済力で大学を選ぶ学生もいる。

「ランキング思考」を変えるのは、大学ではなく、私たちのほうだ。大学に文句を言うのはお門違いである。

大学はそれぞれ自分たちが育てたい理想的な学生の姿にあわせて授業を提供すればいい。

テストで良い点を取る能力以外の才能(実はこの部分が大きい)を重視する特別な大学が、そういう学生を集め、4年間しっかり学ばせ、多様な分野で成功者を出していけばいいのだ。それが特徴になれば、やってくる学生はいる。

とにかく、日本の大学と大学生に知ってもらいたいのは、アメリカの学生の勉強量の膨大さである。特に、読む量と書く量が違う。4年間でつく差を考えると、日本の将来が心配になる。

コロンビア大学の卒業生の名簿を見たときに、Chan, Kimといった中国系、韓国系の名前の多さに驚愕した。インド系の名前も多い。いっぽう、アングロ・サクソン系で代表的な苗字のJonesは皆無であり、日本名もほとんど見当たらない。

アジア系2世の非常に優秀な学生からはその理由として「Japan is too proud(日本は自尊心が高すぎる)」と言われた。つまり「井の中の蛙」という皮肉なのだろう。外で起こっていることを知らずして「日本はこのままでけっこう」と満足しているが、「そのままだと取り残されるぞ」と忠告された気がした。

耳が痛いかもしれないが、実際に外から見ると今の日本は「井の中の蛙」になりかけていると思う。

そうならないためにも、日本の若者にはもっと留学してもらいたい。

アメリカに関するレポート『アメリカはいつも夢見ている』をケイクスで連載しています。

ぜひ御覧くださいね!

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3 thoughts on “日本の大学と大学生に望むこと

  1. 私は本業の仕事をしつつ、大学でも教鞭をとってます。仰せの通り、日本の大学で変えねばならないのは、厳しさです。この入るのは難しく、出るのは簡単な日本の大学制度の是正は永遠の課題かもしれません。(私もコロンビア卒です。)

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    • Fukuzawaさま ご意見ありがとうございます。コロンビア大学のあの厳しい授業をこなされたのですね!私自身は日本であまり勉強せずにけっこう良い成績で卒業してしまったので、娘や友人たちの猛勉強に驚き、感服し、反省させられました。若いからこそできることではないかと思い、この大切な年代にモラトリアムを楽しんでしまうような日本の大学のあり方に疑問を抱いたわけです。でも、外でその体験をしない人には、この差があまりわからないのではないかとも思い、残念ではあります。

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  2. ケイクスの連載を愛読しています。ブログは拝見するのは初めてです。
    日本の大学のゴールは新卒一斉採用の入社試験です。これがまた学校の入学試験のような受験技術を競うようなものと言ったら、言い過ぎかな。お膳立てされたシステムがあるせいで、真剣に自分の能力を磨く意欲が湧かないのではないかという気がします(就活生に叱られるかもしれませんが)。私はドイツの大学で学びました。4年で卒業できる学生は少なく卒業式もありません。日本のような便利な就職システムもないので、自分で何とかしなくてはなりません。
    「授業の厳しさと学生への要求を高くすることだ」というはそのとおりだと思います。ですが問題は、大学で学ぶべきものは何なのかのコンセンサス、それを教えられる教師がいるのか、ということですね。娘は都内の国立大学の医学部を出て、去年から病院に勤めています。勉強はたしかに大変だったでしょうが、これもある意味システムに乗っかっていけば何とかなるという類のものです。知識以外の医師に求められるものが本当に身についたか疑問です。渡辺さんのお嬢さんのまぶしいような大学生活を読んで、そんなことを考えてしまいました。

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