住民が手作りする公教育9

8章 「数学に強いレキシントン」の謎

レキシントン公立学校が「数学に強い」という噂はあるのですが、少なくとも私の娘が小学校に通っているときには特別なプログラムはありませんでした。最高学年の5年生の担任ロビンソン先生は娘に文章を書く情熱を植え付けてくれた素晴らしい教師でしたが、算数が苦手だということは本人も生徒も認めていました。

ほかのクラスでも特に算数が得意な先生はおらず、小学校だけだとアジア諸国に比べて遅れていたといえるでしょう。

けれども、ダイアモンド中学に入学したとたんに状況ががらりと変わったのです。

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住民が手作りする公教育8

7章 「なにができるか、やってみようじゃないか」の時代

先の章でお話ししたように、1950年代から60年代にかけて、ハーバード大学やマサチューセッツ工科大学の教員たちが緑の多い環境を求めて郊外のレキシントン町に移住してきました。

この町の住民で元エスタブルック小学校校長のデイヴィッド・ホートン氏は、その時代を懐かしそうに振り返ります。

「当時の米国東部はみなそうだったのですが、子どもの人口が増加し、州のスタンダードというものはなかったのです。非常に革新的な時代で『何ができるか、やってみようじゃないか』という自由な熱気に満ちていました。レキシントン町が独自のカリキュラムを持っていただけでなく、それぞれの学校がカリキュラムを自分たちで作っていたんですよ」

 

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住民が手作りする公教育7

6章 差別や偏見が「かっこわるい」高校

 

エスタブルック小学校には、前章でご紹介したような多様な文化的背景の家族だけでなく、同性カップルや、外国から養子を引き取った家族、シングルマザー、祖父母に育てられている子供など、一般的な家族像には当てはまらない家族もたくさんいました。

それらの子供たちが学校で差別されたり、いじめられたりしないようにするためには、子供だけでなく親も含めた教育をするべきだと「反偏見委員会(通称ABC)」のメンバーたちは考えていました。

教育といっても「教えてやる」という態度では親の反感を買うだけです。そこで、委員会が思いついたのが、「ディバーシティ(多様性)・バッグ」です。

エスタブルックに通う子供たちが自分と同級生たちの違いを理解し、受け入れられるように、外国の文化や伝統を紹介する本や世界各国の料理のレシピ、ゲーム、ユダヤ人とキリスト教者の間の心温まる交流を描いた絵本、エスタブルックに存在する異なる家族を紹介する絵本などを年齢に応じて選びます。それらをトートバッグに入れた「ディバーシティ・バッグ」を教室に設置し、希望する子どもに家に持ち帰ってもらい、親子でそれらの本を読んで語り合う機会を持ってもらうというものです。教育熱心な親が多いので、こういった特別な宿題を喜ぶ人がけっこういるのです(ただしこれはオプションであり、持ち帰る義務がないことは学年の最初から親に通知してあります)。

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住民が手作りする公教育6

5章 差別がないコミュニティ作り

レキシントン町の公立小学校には校長、教師、保護者で構成される、偏見や差別がない環境を守るための委員会があります。

名称は統一されておらず、エスタブルック小学校の場合は「反偏見委員会(Anti Bias Committee)」で、メンバーは「ABC」と呼んでいました。ABCの会議をのぞきに行ったのは、ボランティアで知り合った知人から「加わらなくてもいいから、見学においで」と誘われたからです。「見学」に行ったら、あまりにも和気あいあいとした雰囲気で居心地がよく、そのまま居着いてしまったというわけです。

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住民が手作りする公教育5

4章 志ある町民が志ある学校を作る

 

レキシントン町教育委員会(School Committee)の委員長トム・ディアス氏は、「ほかの州に住んだことがない人にはわかりにくいかもしれませんが……」と前置きしてから、「レキシントンは、特殊な町なのです」と説明してくれました。

「マサチューセッツ州に比べると、他の州の地方自治体は、はるかに政府まかせなんです。愚痴は言うけれども、自分の手で改善しようとしない」

この言葉は胸にぐさりときました。

日本に住んでいた頃の私は自分が住んでいる町や市がどのように運営されているかなんて、まったく知りませんでした。税金の使い道にも興味もありませんでした。学校や政府が私たちの面倒を見てくれるのが当たり前だと思っていましたから、それが裏切られると、失望し、立腹したものです。

私が学生のころにはまだ学生運動(というよりも内ゲバなどの暴力抗争)が盛んでしたが、体制への失望は「破壊」の勢いには繋がっても、「改善」への意欲にはなっていませんでした。彼らの言動に嫌悪感を抱くのに十分な実体験をした私は政治的なものにアレルギーを覚えるようになっていましたから「地方自治体の運営に手を貸す」という方法があるとは考えてもみなかったのです。

「マサチューセッツ州の住民は行政のプロセスに自分たちが参加するのは当然の権利だと信じているのですが、レキシントン町の住民はさらにその意志が強いのですよ」とディアス氏は言います。

 ディアス氏の説明に移る前に、レキシントン町の背景を簡単にご紹介しましょう。

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住民が手作りする公教育4

3章 住民が徹底的に参加する公立学校

 

前章でご説明したように、レキシントン町の小学校では、応募した候補者を校長と保護者代表が一緒に面接し、話し合いのうえで雇用する教師を決めます。

それだけでも十分驚きですが、教師だけでなく校長を決める過程にも保護者が加わるというのです。

この町の公立学校の構造はどうなっているのでしょうか?

図式で説明すると、任命のシステムはこのようになっています。

Lexpublic

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住民が手作りする公教育3

2章 学業での達成よりも不思議な謎

 

20代にイギリスに何度か住み、スイス、フランス、ドイツなどをひとり旅したことがある私は、いろいろな国で差別された経験があります。

イギリスでは電車で日本人とおしゃべりしているときに見知らぬ男性から「ここはイギリスだから、英語で話せ!」と怒鳴られましたし、夜道で「チンク(中国人に対する蔑称)!」と呼ばれて数人の男性に追いかけられたこともあります。お店で私の順番なのに無視されたこともあります。ヨーロッパでの一人旅の途中でじろじろ見られたり失礼な扱いも受けました。香港に住んでいたときには、別の意味でイギリスよりも不愉快な思いを何度もしました。

夫の両親が住んでいるニューヨーク市近郊の町ではそういった差別は受けませんでしたが、裕福な白人が多いせいか「腫れ物を触るような」優しさを感じ、気楽につき合える友だちを作るのは難しいと感じました。

ですから私は、レキシントン町でもある程度の差別はあると予期していたのです。

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