住民が手作りする公教育6

5章 差別がないコミュニティ作り

レキシントン町の公立小学校には校長、教師、保護者で構成される、偏見や差別がない環境を守るための委員会があります。

名称は統一されておらず、エスタブルック小学校の場合は「反偏見委員会(Anti Bias Committee)」で、メンバーは「ABC」と呼んでいました。ABCの会議をのぞきに行ったのは、ボランティアで知り合った知人から「加わらなくてもいいから、見学においで」と誘われたからです。「見学」に行ったら、あまりにも和気あいあいとした雰囲気で居心地がよく、そのまま居着いてしまったというわけです。

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住民が手作りする公教育5

4章 志ある町民が志ある学校を作る

 

レキシントン町教育委員会(School Committee)の委員長トム・ディアス氏は、「ほかの州に住んだことがない人にはわかりにくいかもしれませんが……」と前置きしてから、「レキシントンは、特殊な町なのです」と説明してくれました。

「マサチューセッツ州に比べると、他の州の地方自治体は、はるかに政府まかせなんです。愚痴は言うけれども、自分の手で改善しようとしない」

この言葉は胸にぐさりときました。

日本に住んでいた頃の私は自分が住んでいる町や市がどのように運営されているかなんて、まったく知りませんでした。税金の使い道にも興味もありませんでした。学校や政府が私たちの面倒を見てくれるのが当たり前だと思っていましたから、それが裏切られると、失望し、立腹したものです。

私が学生のころにはまだ学生運動(というよりも内ゲバなどの暴力抗争)が盛んでしたが、体制への失望は「破壊」の勢いには繋がっても、「改善」への意欲にはなっていませんでした。彼らの言動に嫌悪感を抱くのに十分な実体験をした私は政治的なものにアレルギーを覚えるようになっていましたから「地方自治体の運営に手を貸す」という方法があるとは考えてもみなかったのです。

「マサチューセッツ州の住民は行政のプロセスに自分たちが参加するのは当然の権利だと信じているのですが、レキシントン町の住民はさらにその意志が強いのですよ」とディアス氏は言います。

 ディアス氏の説明に移る前に、レキシントン町の背景を簡単にご紹介しましょう。

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住民が手作りする公教育4

3章 住民が徹底的に参加する公立学校

 

前章でご説明したように、レキシントン町の小学校では、応募した候補者を校長と保護者代表が一緒に面接し、話し合いのうえで雇用する教師を決めます。

それだけでも十分驚きですが、教師だけでなく校長を決める過程にも保護者が加わるというのです。

この町の公立学校の構造はどうなっているのでしょうか?

図式で説明すると、任命のシステムはこのようになっています。

Lexpublic

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住民が手作りする公教育3

2章 学業での達成よりも不思議な謎

 

20代にイギリスに何度か住み、スイス、フランス、ドイツなどをひとり旅したことがある私は、いろいろな国で差別された経験があります。

イギリスでは電車で日本人とおしゃべりしているときに見知らぬ男性から「ここはイギリスだから、英語で話せ!」と怒鳴られましたし、夜道で「チンク(中国人に対する蔑称)!」と呼ばれて数人の男性に追いかけられたこともあります。お店で私の順番なのに無視されたこともあります。ヨーロッパでの一人旅の途中でじろじろ見られたり失礼な扱いも受けました。香港に住んでいたときには、別の意味でイギリスよりも不愉快な思いを何度もしました。

夫の両親が住んでいるニューヨーク市近郊の町ではそういった差別は受けませんでしたが、裕福な白人が多いせいか「腫れ物を触るような」優しさを感じ、気楽につき合える友だちを作るのは難しいと感じました。

ですから私は、レキシントン町でもある程度の差別はあると予期していたのです。

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住民が手作りする公教育2

1章 私がレキシントン町を選んだ理由

 

私がウォール街の金融情報会社の東京支社を開設するために来日したアメリカ人の男性と出会ったのは1987年で、彼と結婚したのは1990年でした。私たち二人が住んでいたのはバブル景気最盛期の東京で、「経済で世界を制覇する」という活気に満ちていました。

当時のアメリカ合衆国はそんな日本の経済力に脅威を覚えており、アメリカ人が日本車をハンマーで叩き壊したり、日の丸の国旗を焼いたりする「ジャパンバッシング」のニュースが日本にも伝わってきました。

香港への転勤を経て1995年にアメリカ合衆国に移住することになったとき、私たち夫婦が心配したのが、「ジャパンバッシング」と2歳半になっていた日米ハーフの娘への「差別」でした。

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住民が手作りする公教育

まえがき

 

日本の学校で「いじめ」や「子どもへの性的虐待」のような不祥事が起きると、必ずと言ってよいほど同じ反応が起こります。

不祥事を起こした当人、管理責任がある校長、それを管理する教育委員会を、マスコミと国民が一致して非難し、糾弾します。「なんて不道徳な人間たちなのか!」、「こんな人間がいるなんて恥ずかしい」、「刑罰を与えるべきだ」という声がソーシャルメディアに溢れます。

けれども、何度も同じような事件がくり返し起こることをみると、根本的な問題は何も改善されていないのではないでしょうか?

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ロックスターの楽屋でつるむ…という若かりし頃の夢実現

ロックファンなら分かってくれると思いますが、「ロックスターの楽屋でつるむ」というのは、けっこう順位が高い「夢」なんですよね。

究極の夢はデヴィド・ボウイとの出会いで、彼の場合は楽屋ではなく小さなライブハウスで偶然出会うってのがファンタジーだったのですが、まあそれは別として…。

大の音楽ファンの夫には音楽業界関係者のファンも多く、そのなかには「お友達」の関係になった人もいます。LAに住むロックバンドのマネジャーをしているジョディはその1人で、「マネージメントをしているバンドがボストンでコンサートをするから会いたい」というメールが来ました。

そのバンドとは、The All-American Rejectsです。

AAR

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ひとり遊びを大切にしよう

ソーシャルメディアを利用していると、いつもリアルタイムで人と繋がっています。便利な世の中になったことをふだんは感謝しているのですが、以前より忙しくなってしまったことも否めません。

特に日本に帰省すると感じることなのですが、どこに行っても「ノイズ(騒音/雑音)」が追いかけてきます。電車では「傘を忘れるな」とかいちいち余計なお世話のアナウンスがあるし、誰かの家に行くと会話中でも背後にテレビがついています。町を歩くと、売り出しの派手な色や光、スクリーンが目に入ってきます。1日の終わりには、五感への過剰な刺激でぐったりしてしまうのです。

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ジョギング徒然草8-11-11

ジョギング中には、他にやることがない(つれづれなる)状態なので、心にいろんなことが浮かんできます。

最後まで覚えていることが難しいのですが、覚えていたらメモしておくといいかな、などと思いました。そこで最初の試みです。

今日のジョギング徒然草

特にこれと言った理由がないのに、長距離を楽々と走ることができる日と、身体が重くて走るのがしんどい日があります。今日は、後者の典型でした。

なぜかしんどい。けれども、こんな日でも、ペースを落とし、マインドセットを変えれば、走るのは楽しいのです。スピードを落とすことで、周囲の景色や身体の隅々に注意を払うことができますし、今書いているテーマについてじっくり考えることもできます。

数年前から比べると、カメのようなノロさで走ることも多くなってきましたが、他人に見せびらかすために走っているわけじゃないので、「遅い」のはぜーんぜん平気です。それどころか、ノロくても走り続ける自分が「えらいなあ」と思ったりします。また、そんなことを思う自分に笑いがこみあげてきます。

「他人の評価さえ気にしなければ、努力は楽しい」ものだと心の底から思います。