1993年から海外に住んでいる私は、2001年と2005年に世界陸上選手権大会の400mハードルで銅メダルを獲得された為末 大(ためすえ だい)さんのことを、テレビではなく、ツイッターで知りました。しかも、最近のことです。
私がフォローしている方たちが、為末さん(@daijapan )のツイートをよくRT(リツイート)されていて、とても頷けることが多かったのでフォローしてときどき読ませていただくようになりました。
1993年から海外に住んでいる私は、2001年と2005年に世界陸上選手権大会の400mハードルで銅メダルを獲得された為末 大(ためすえ だい)さんのことを、テレビではなく、ツイッターで知りました。しかも、最近のことです。
私がフォローしている方たちが、為末さん(@daijapan )のツイートをよくRT(リツイート)されていて、とても頷けることが多かったのでフォローしてときどき読ませていただくようになりました。
安西洋之氏は、日本の自動車メーカー勤務から国際的なビジネスプランナーとして独立し、現在イタリア ミラノに在住されている。私は数年前からソーシャルメディアで交流してきたが、一昨年ミラノを訪問し、ようやくお会いすることができた。
そのとき、世界各国の文化の違いなどを語り合い、それからもソーシャルメディアを活用して意見や情報を交換してきた。ヨーロッパ在住の安西さんの視点は、アメリカ在住の私の視点と似ていることもあれば、非常に異なることがある。それが興味深く、とても学びになる。
安西さんの新刊『世界の伸びている中小・ベンチャー企業は何を考えているのか?』には、ふだん私が安西さんの話から「なるほど!」と学ぶ事例がいくつも紹介されていて、読み応えがあった。
最近また福島での「鼻血」がネットで話題のキーワードになっています。
私のツイッターフォロワーには冷静に情報を分析する人が多いのですが、感情的で煽情的なツイートも目につきます。
原子力発電を含むエネルギー問題は、「地球の温暖化による環境破壊をどうするのか?」という大きな課題もあり、私自身は、この分野について学べば学ぶほど、「●●をすればいい。簡単だ!」という極論を言うことはできないと強く感じるようになっています。私の「信念」は長年の間に何度も移り変わりましたから、いろいろな「信念」を持っている人を頭ごなしに否定することはできないと思っています。ですから、私とは異なる考え方をする人のツイートも読みますし、それだけでフォローを外したりはしません(他人の人格を攻撃したり、非論理的な思考を押し付ける人は別)。
ただし、地震と原子力発電所からの放射線被害を受けた地域から遠く離れた場所で、あたかも自分が正義の味方のように騒いでいる方々にはウンザリするだけでなく、憤りを覚えます。
その人たちの「正義の叫び」が、毎日現場で頑張っている人たちを傷つけ、復興の邪魔をしていることを、知ってほしいと心から思うのです。
2012年、私は縁があって福島県の南相馬市を訪問しました。
地震、津波、放射線被害とすべての災害を被り、子どもたちが暮らす場所も学校の校舎も「仮設」のままという場所です。
そこで会った方々の献身的な努力に、私は何度も心を動かされました。彼らの声をしっかりと届ける方法を見つけられないでいたのですが、南相馬市に連れて行ってくれた友人の星槎大学教授の細田満和子さんと共著者の上昌広さんが『復興は教育からはじまる』という本にまとめてくださいました(目次はこちらで読めます)。
キンドル書籍『どうせなら、楽しく生きよう』をお読みいただいた方から、多くの暖かい感想をいただいています(アマゾン 、読書メーター、トゥギャッター)。つらい体験への共感を覚えた方も多いようです。
でも、なかなか自分のつらい体験を他人に語ることはできないものです。
私もそうでしたが、最も身近な人にこそ、語ることができません。言いたいことを言ってしまった後の付き合いがあるからです。でも、言わないでためこんでいると、胸がいっぱいになって張り裂けそうになります。
そういう気持ちはとてもよく分かりますので、『どうせなら、楽しく生きよう』を読んでそういう気持ちを打ち明けたくなった方に、自由に使っていただける「王様の耳はロバの耳!」コメント欄を作ろうと思いました。
私の周囲をざっと見渡しただけでも、心の問題を抱えている人は多い。
「心理カウンセラーに相談したほうがいいよ」とアドバイスする人はいるが、誰に相談すればいいのかわからないし、そもそも、よく耳にする「カウンセラー」がどういう専門職なのかもよくわかっていない。
最相葉月氏も、最新作『セラピスト』のなかでカウンセラーについて次のように書いている。
「どんな資格をもって、どのように治療に臨むのか。そんな基本的なことさえ混乱しているのに、世の中は未曾有のカウンセリングと心理学のブームである。」
糸井重里さんが、「死をテーマにした絵本をつくりたい」と谷川俊太郎さんに相談されてから2年以上かかってできた、とても、とても、特別な絵本です。
谷川俊太郎さんが一夜で綴った文章に、松本大洋さんが二年かけてイラストを描かれました。
「死」についての絵本というと、読むのがちょっと怖い気がしました。
死ぬのが怖いというのではなく、死を誰かに限定されたくなかったからです。私の死は自分で考えたいから。
でも、心配無用でした。
アメリカ在住の私が元参議院議員の田村耕太郎さんの存在を知ったのはツイッター上のことだった(ツイッターではよく「タムコーさん」と呼ばれている)。
私はブログ「洋書ファンクラブ」で洋書を紹介しているし(今年は『ジャンル別 洋書ベスト500』という本も上梓したし)毎日ジョギングやクロストレーニングは欠かさない。トレッドミルで走りながら読書をするために初代キンドルを購入したくらいの人だ。だから、『世界のエリートはなぜ歩きながら本を読むのか?
』という本を書き、若者たちに「英語を勉強しよう!」、「世界に出てゆこう!」、「身体を鍛え、読書をしよう!」とツイッターで呼びかける田村さんに共感を覚えた。ツイッター友達に紹介していただいたところ、想像以上に気さくでポジティブな方だった。
その田村さんが 『野蛮人の読書術』という読書に関する新刊を上梓された(情報公開:私も47ページでちょっと紹介していただいている)。
田村さんは、「はじめに」の冒頭にこう書いておられる。
私が伝えたいメッセージは、「読書こそが、激動の現代を"自由に生き抜く術”を身につけるための、最良にして最短の道である」というものだ。
以前、ご紹介した佐々木俊尚さんの『レイヤー化する世界』にも書かれていたが、「ハイパーコネクティッド化(田村さんの表現)」し、「レイヤー化(佐々木さんの表現)」したこれからの世界は、今までの私たちが馴染んだものとは異なるものになる。しかも、変化のスピードは加速している。
私と同年代かそれ以上の年寄りは「日本はガラパゴスでいい」と頑固に抵抗していても損はしないかもしれないが、これから何十年も生きなければならない若者はそういうわけにはゆかない。ひとりひとりが、世界と複雑に繋がった日本で「生き抜く術」を考えなければならないのである。
田村さんや佐々木さんにこの「危機感」が見えるのは、海外に飛び出して現状を見ているだけではない。読書で知識を蓄積しているからである。同じものを見ていても、知識があるのとないのとでは、見えるものが異なるのである。
田村さんも本書で指摘しておられるが、アメリカの優良大学(アイビーリークという意味ではない。ランキングも使うデータで結果が異なるのでそのまま信じないほうがいいが、リベラルアーツ大学のランキングも同様に、トップ100程度は優良大学とみなしていただきたい)では、相当量の本を読まねばならない。本書にも登場する寺田悠馬さんが卒業したコロンビア大学(この場合、Columbia UniversityのうちColumbia Collegeだけを指す)では、「コアカリキュラム」というものがあり、専攻にかかわらず全員がContemporary Civilization,
Literature, Humanities,
University Writing,
Art Humanities,
Music Humanities,
Frontiers of Scienceを勉強しなければならないのである。つまり、物理学を専攻する者も現代文明、文学、音楽、アートを学ばねばならず、文学を専攻する者も基本的な科学を学ばねばならない。
コロンビア大学は、その目的を次のように説明している。
The habits of mind developed in the Core cultivate a critical and
creative intellectual capacity that students employ long after college,
in the pursuit and the fulfillment of meaningful lives.(コアカリキュラムによって培われた知の習慣は、学生が、有意義な人生を追求し、実現するために卒業後も長期にわたって活用できるクリティカルかつ創造的な知的能力を培う。)
私の娘がコロンビア大学を選んだ理由のひとつが、「クリティカルかつ創造的な知的能力を培う」コア・カリキュラムだった。
そのコア・カリキュラムの重要な部分が読書である。合格した者がプレゼントとして受け取るのは『Iliad(ホメロスのイリアス)』で、20世紀初頭からすべてのコロンビア大学生が読んできた本のひとつだ。そのほか、本書で寺田さんが語るように、プラトンの『国家』、フロイトの『文明への不満』、ウルフの『灯台へ』などを読み、ディスカッションしなければならない。
ふだん自分では選ばない類の本を短期間で集中して読み、ディスカッションし、エッセイを書くことで、これまでになかった能力が身につく。特にアメリカでは、どの専門職でも大量の書物や書類を読まねばならず、論文を書いたり、プレゼンテーションや講演をしなければならない。短期間で読書し、内容を把握し、アウトプットする知的訓練を大学時代にすることで、卒業後の仕事の内容やスピードに差が出てくるのは当然のことだろう。人生の楽しみ方にも差が出てくる。他の人が「辛い」と思う作業が「興味深い」、「楽しい」に変わるからである。
私は娘からコア・カリキュラムの素晴らしさを何度も聞かされ、「私もそういう大学に行ってみたかった」と羨ましく思った。私は親の反対にあい、自分で働いてお金を貯めてイギリスに語学留学し、それで「勘当だ」と言われた人なのだ。知の習慣をつけるために留学させてもらえるような恵まれた子供時代は送っていない。だが、若い頃に機会がなかったことを嘆いても仕方がない。親から機会を与えてもらえなかったなら、自分で自分に機会を与えてやればいいのだ。
それが「読書」である。
特に英語での読書をおすすめする理由は、1)日本語に訳されていない本を読める、2)出版されたときに世界の人々と同時に読める、3)海外の人々と本を通じて繋がることができる、4)世界で何が起こっているのかを把握することができる、5)他人の受け売りではなく、自分で結論を導き出して戦略を立てることができる、からである。
田村耕太郎さんのひたすら前向きな発言は、「グローバル」とか「エリート」というバズワードと重なったときに、シニカルなインテリ層の苦笑を買うことがある。私は「エリート」とは無関係の経歴だし、ときおりアンチ・エリート的な発言もする。「グローバル人材」という表現も誤解を呼ぶのでなるべく避けたいと思っている。だが、田村さんがバズワードを使って若者に伝えようとしていることには大いに賛同するし、彼の底なしのポジティブさも尊敬している。揶揄や中傷は無視するが、正当な異論や批判には耳を傾け、意見を修正する彼の柔軟さに気づいているからだ。こういう「ナチュラルに朗らか」の背後には、必ずといっていいほど他人には見えない決意と努力がある。私が田村さんを根本的に尊敬するのはそういう部分である。
閉塞感、羨望、劣等感でシニカルな態度を取っていても、人生は良くならない。不満や不平を抱いている暇があったら、外に出て真剣勝負してみたほうがいい。ワクワクするだけでなく、怖い思いもするだろうが、それでもずっと面白い人生を生きることはできる。少なくとも、死ぬときに「やりたいことをやっておけばよかった」と後悔することだけはない。
周囲の大人や大学が教えてくれない部分は、読書で得ようではないか。
田村さんは自分のことを「野蛮人」と謙遜しておられるが、野蛮人でも、私のような田舎者でも、読書によって同じ情報を得ることができる。ネットでの映像を使った教育が注目されているが、それだけではダメだ。多少苦労して本を読まねば、自分でエッセンスを把握する能力は鍛えられない。
田村さんの『野蛮人の読書術』には、いろいろな読書家が登場するが、彼らの読書術とおすすめの本も刺激になる。他人より多くの本を読んでいることを自負している私でも、他の読書家のアプローチは参考になったし、「ああ、これも読まねば」と思う本がいくつもあった。
何よりも「読もう」、「読まねば」という動機を与えてくれるのが好ましい良書である。高校生、大学生への贈り物にもおすすめ。
ジャーナリストで作家の佐々木俊尚さんは、 ツイッターでも@sasakitoshinaoアカウントで、興味深い情報をキュレートして提供されている。
その佐々木さんが、新刊『レイヤー化する世界』で、古代から現在までの全世界での社会システムの変遷を説明し、最後に近未来を予測されている。
子どもに読ませる本についての熱い討論が交わされています。話し合うのは良いことだと思うのですが、重要な視点がすっかり抜け落ちているような気がしてなりません。
あの〜。児童書を読むのは、児童なのではありませんか?