おめでとうエリザベス!

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娘の元チームメイトで16歳のエリザベス・バイセルがローマで開催中の世界水泳で、このレベルの国際大会では初めてのメダルを獲得しました。
北京オリンピックでは4位に終わった200メートル背泳で、堂々たる2:06.39のタイムで銅メダルでした。一昨年であれば世界記録だったはずのタイムですから、もちろん個人ベストです。とってもうれしそうでした。
今日はいよいよ注目の400メートル個人メドレー決勝です。シードは2番目です。
ビデオを観たいかたはこちら(1日分ですから長いですが)。日本の世界水泳のサイトはこちら

エリザベスは、「天才は作れない。生まれつきのものだ」と私に確信させる存在です。
詳しくは過去の水泳や教育のエントリーをご覧になっていただきたいのですが、彼女を知れば、親が早期英才教育(数学、単語、水泳などすべてを含む)をさせる愚かさを感じるでしょう。
私は、通常若くして成功する人に対して不安を抱きます。後の人生が大変になると思うからです。多くの人がアルコール依存症になったり、鬱になったり、決して楽な人生を歩んではいません。エリザベスも早期から才能を発揮しているので心配ですが、生まれつきの楽観性と競争好きでなんとかなるのではないかと祈っています。
練習で悲壮感がまったくないことについて以前に書きましたが、コーチに対しても気に入らないことがあればはっきり反論する強さもあります。世界大会とかオリンピックでももちろん緊張するのですが、みんなと一緒に旅するのが楽しみで仕方ない、という感じです。誰とでも(それがライバルでも)すぐに友達になり、競争は競争と割り切ってそのスリルを楽しむという感じなのです。(以前、背泳の中村選手が好きだと言っていました)

いっぽう、才能がある悲壮な選手も沢山知っています。
小さいころからはじめて才能があったから泳ぎ続け、そのうちに親のために泳いでいるのかコーチのために泳いでいるのか、それともそれが自分の意思なのか見分けることができなくなってしまうというのはよくあることです。
こういう選手にとって早期から才能を認められたのは幸運なことではなく、不幸なことだと思います。
ですから、すばらしい選手をみて親が「わが子をオリンピック選手にしよう!」といったモチベーションを持つのはやめてほしいと心から願います。
エリザベスは親が作った選手ではありません。偶然の産物なのです。

世界水泳ローマ09の応援

娘が水泳を辞めちゃった(高校の競泳はまだやってます)もので、水泳の世界からほんとうに遠ざかってしまいました。1年前まではタイムを聞くと「それはすごい!」とか「それはひどい!」と反応したものだけれど、今は当時のチームメイトのお母さんからタイムを聞かされても、「それって、ヤード?めーたー?速いの遅いの?」のレベルです。9年も水泳の世界にどっぷりだったのに、忘れる速さはオリンピックレベルです。

さて、オリンピックといえば、娘の元チームメイトで同い年(学年はあちらのほうが1つ上)のElizabeth Beiselが今、世界水泳でローマで泳いでいます。
彼女のことはこれまでに何度か書きましたが、世界水泳の出場権を決めるNationalsでは16歳(誕生日は8月)なのにもうベテランの余裕を感じさせる泳ぎで、400メートル個人メドレーと200メートル背泳で優勝しました。2位でオリンピック出場を果たした種目ですが、今回は戦略に沿った冷静沈着な泳ぎで圧倒的な優勝です。
コーチのチャックの興奮ぶりが目に見えるように想像できました。

Elizabethのお母さんと弟も今ローマで観戦中です。
私の娘は(自分とレベルが似通っていて同じレーンで泳いでいた)一つ歳下の弟のほうと仲が良かったのですが、彼も自分の才能を活かせる高校の陸上競技に移行し、あまり泳いではいないようです。あのころから2人の練習を見ているとそんな感じでしたからね。やはり、好きなことをやるのが一番幸せ、ということのようです。

Elizabethの200メーター背泳のランキングはNo. 1(2:06.92)、400IMは2番目ですから、とんでもなく不調にならない限りは決勝に残るのではないかと思います。彼女の得意技は、「追い上げ」です。お母さんとよく冗談を言っていたのは、「1600メートル個人メドレーがあれば軽く世界記録を出せる」というもの。1600m自由形でも最初の50メートルより最後の50メートルのほうが速いという特異な子なのです。ですから、最初の200mくらいであまり後に遅れずにエネルギーを蓄えられるかどうか、が見どころです。
ぜひ応援してあげてください。

子供に水泳をさせる理由

水泳のことで私のブログを訪問される方が増えてきたようですので、ちょっと付け足したいと思います。

私たちが娘に水泳をさせたのは、「将来一緒にサーフィンをする」というのが夫の夢だったからです。娘が幼いときに夫が私に「プールに連れて行って水に慣れさせてくれ」とうるさく命じたのは、典型的な日本人の私が海で泳げない人だからです。私はプールであれば足がつかなくても大丈夫ですが、海で波が出たとたん怖くておぼれそうになります。だから海では夫のひとり遊び。娘が泳げるようになることに夫がこだわったのは、「一緒に海で遊びたい」からだったのです。

もうひとつの理由は、人生を楽しむためにはいろんな遊びができたほうがいいからです。北米の人と旅行に行くと、私だけが海の深いところに行けなくて、悲しい思いをします。こちらでは肥満体の人でも80歳くらいの老人でも平気で波にぷかぷか浮かんで楽しそうに遊んでいます。それを見て、私はいつも悔しい思いをしているのです。

でも、いきなり水泳教室やチームに入れたわけではありません。1歳未満から4歳までの間は、ただプールや海に連れて行って、水に慣れさせていただけです。4歳のときに一応始めた水泳のレッスンも親が一緒の「顔を水につけてみましょ~」、「足をバタバタさせて~」の程度です。競泳の世界に関わるようになったのは、ただの偶然です。知っていたら、たぶん始めていなかったでしょう。

競泳の世界を10年間経験し、オリンピック選手とその親を直接知っている親として、小さなお子さんに水泳を習わせようとしている親御さんたちに私が学んだことをいくつかお話ししたいと思います。

1.早期に始めても、10歳以降に競泳を始めた子に追い越されることが多い。また、自分でやりたくて始めた子のほうが伸びる。

  近所に住む娘よりひとつ年下の少女は10歳くらいまで体操をしていたのですが、怪我をして水泳に切り替えました。その当時にはターンの仕方も知らないほどだったのですが、12歳で6歳に始めたシリアスな競泳者たちを抜くようになりました。他にも、12歳くらいからシリアスに競泳を始めて16歳で全国大会の出場権を得た子もいます。

2.早い時期に栄光をおさめると、途中で挫折してやめるケースが多い。

  私の娘は8歳でニューイングランド地方の平泳ぎ2種で優勝し、以降13歳くらいまでずっとニューイングランド地方でランキングの上位に位置してきました。国際大会の年齢別で入賞したこともあります。思春期で身長が伸びてゆく子に追い越されるつらさとコーチからのプレッシャーに負けずに自尊心を保ち続けるのは難しいものです。8歳のころにニューイングランド地方で上位に入っていた子のリストを見ると、多くの子が現在泳いでいません。

4.才能があっても泳ぐことを楽しんでいない子は、たとえ競泳で成功しても、のちに大きな問題を抱えて人生に挫折することがある

  娘が昔属していたチームからオリンピック選考大会に出場し、スカウトでプリンストン大学に入学した少女を知っています。親とコーチからのプレッシャーで泳ぎ、精神的にちょっとおかしくなっていた彼女は、学業で挫折し、アルコール依存症になり、大学から切捨てられました。その他にも、このチームに属していた多くの少女が現在でも拒食症などの心理的な問題を抱えています。

5.才能は生まれつきのもの。親やコーチの役割はその才能を殺さないよう大切に育むだけのこと。みんなある程度の才能は持って生まれているが、天才は「突然変異」のようなもので平均的な人間とは異なる。「天才は作れないということを自覚しないと才能だけでなく子供の人生を殺すことになる

  娘より6ヶ月年上のオリンピック選手を彼女が7歳のときから知っています。

  もともと泳ぐのが大好きで、海で泳ぐことから始めた子です。それについては過去のブログに書いていますが、泳ぐことが好きで好きでたまらない!という子なのです。でも、彼女の弟はスイマーとしては非常に凡庸な才能しかないようです。もうひとつの例は、一卵性双生児の少女2人です。親はどちらも同じように育てていますが、一人は全国大会の出場権を得るほどの才能で、もう一人はどんなに頑張ってもひとつ下のレベルの大会にしか出ることができません。つまり、才能とは生まれつきのものなのです。

  問題は、親が子供を天才に育てよう、とやっきになることです。

6.なぜ子供に泳ぎを教えたいのかを自問すること。

  2歳や3歳の子にスパルタ式の水泳レッスンを受けさせたがる人がいるようですが、そんなことをしても何の役にも立たないだけでなく、心理的に深い傷を負わせ、水泳嫌いを育ててしまう可能性があります。泳ぐ楽しみを学んで欲しいのであれば、一緒に水を楽しむことから始めましょう。レッスンはもっと遅くからで十分です。

  また、レッスンを始めるとしたら、「楽しい」場所を選びましょう。楽しければ、いつか自分のほうから「競泳をしたい」と言い出します。もしあなたのお子さんにオリンピック選手になるような才能があるのであれば、それからでも十分間に合います。

  私の娘が他の水泳ママたちを見て言っていたことです。「あのお母さんは、他人に自慢をしたいから子供に泳がせている」。競争の激しい世界に入り込むと、どんなに心がけていてもつい自分を見失うことがあります。そんなとき、胸に手を当て、「私はわが子のために行動しているのだろうか?それとも自分のエゴのためだろうか?」と自問してみるのは大切なことだと思います。これは私自身の体験から申し上げることです。

Walk the Walkの続編

高校生の娘が「日本語の読める同級生が読むから私のことをネタにしないでくれ」と言うのであんまり書かないようにしていますが、「あれ以降どうなっているのだろう?」と思っている方がいらっしゃるようですから、一応近況を。

娘は水泳チームを辞めました。

最初の現象は水泳仲間と気が合わなくなったことでした。娘は文学、音楽、政治、哲学に興味を持ち、高校の友人とはそういう話題で盛り上がるのに、別の学校から集まっている水泳チームの仲間は、「水泳かそこにいない者のゴシップ、または『ゴシップガール』とか『OC』といったくだらないテレビドラマのゴシップだけ」にしか興味がありません。そこで仲間の前で無口になりました。また、1日2時間程度を共有する車の中でナボコフの「ロリータ」を読んでいたところ、彼女より1年から3年年上の仲間たちの誰ひとりとしてこの本のことを知らず、質問されたので内容を説明したら「なんて変な本を読んでいるの!」とさげすみの目で見られたとのことでした。「そういうあの子たちが観ているのが『ゴシップガール』なんだから」と娘はフラストレーションをためていました。

次は競泳者としての素地です。毎年ニューイングランド地方の年齢別水泳記録の上位10人を招く「Top Ten Banquet」というお祝いの会があり、娘も8歳のときからずっと招待されてきました。その会では毎年オリンピック選手が招待されて講演するのですが、娘はそれらを聞いて「私もあの人たちのようにメダルを取りたい!」と思うことはなく、かえって「オリンピックに行ってメダルを取ったあとの彼らの人生はあまり魅力的ではない」と感じることのほうが多かったようです。

そういう素地があったうえに、高校生になって精神的に別の方向に成長し、水泳の特訓と学校の勉強はするけれどそれ以外のことに好奇心を抱かない仲間との隔たりがあっという間に広がったようです。娘は「1秒速く泳いだところで自分の人生で何の意味があるのか?」と疑問を口にするようになりました。

同時に音楽にもっと興味を抱くようになり、「Jazzもやりたい」と言い出したのが昨年6月のこと。吹奏楽団で演奏しているフレンチホルンはJazzの楽器ではないので、トロンボーンを選択し、6月末に学校から楽器を借りて夏の間練習し、9月に高校のJazzバンドのオーディションを受けたところ、まったく予期していなかった難関のJazz Ensembleに受かってしまいました。吹奏楽でホルンも続けていますし、演劇の舞台技術にも手を出し、水泳との両立はほぼ不可能になってきました。

中学生までの彼女があたりまえのように予期していた将来は、先輩たちのように「水泳を利用してより良い大学に行く」というパターンでした。けれども、彼女は「水泳がもう楽しくなくなってしまった」、「大学では水泳はしない」、そして「音楽の練習をしたいから、水泳チームをやめたい」と言い出しました。

長年にわたってチームの親たちから「水泳をしていなければ、わが子はこの大学には合格できなかった」という話を山ほど聞いてきた夫は、最初「せっかくここまでやってきたのに」と渋っていましたが、私が「あなたが彼女の年齢のときに大学入学のために嫌になったことを続けた?」とたずねると即座に考え直し、全面的に彼女の選択を応援することにしました。

それからまだ1年も経っていないのに、水泳の世界は遠い昔のことに思えます。昔のチーム仲間のお母さんたちから、「うちの長女はブラウン大学に入学が決まりました。練習場に大学のスカウトがよくきていて、次女はメールを沢山受け取っています。スカウトが解禁になる来月には直接コンタクトが来ると思います」と聞かされても、「この世界であれこれ悩まずに済む私はなんて幸運なのだろう」と感じるだけなのが、正直言ってとっても嬉しいところです。

水泳を辞めたおかげで娘の睡眠時間は増えたし、機嫌は良いし、学校であった面白いことを沢山話してくれるし、高校の友人やJazzの仲間には興味深い子が多いし、学校生活を100%謳歌している娘を見ていると、わが子に選択を任せることの重要さを実感します。娘も、「水泳は他に選択がないと思いこんで続けてきたものだけれど、Jazzは私がやりたくて選んだこと。だから努力するし、上達するのだ」と威張っています。

とはいえ、いつも彼女のアイディアを即座に受け入れるというわけではありません。

高校に入学したときに「水泳で時間がないから吹奏楽をやめる」と言い出した娘に、「レキシントン高校の音楽部門は全国から羨まれるほど。私が知っている卒業生が口をそろえて『これほど楽しいことはなかった』と言っているから、とりあえず1年やってみなさい。それで嫌ならやめればいい」としつこく勧めたのは私です。今ごろになって娘は「マミーは正しかった」と感謝しています。どこで押してどこで引くか、というのは常に難しい選択です。わが子をどれだけ知っているかにかかっているような気がします。

以下は娘が属しているJazz Ensemble(計17人で構成される、いわゆるビッグバンドです)の演奏サンプルです。

このバンドは、今年2月にニューヨーク市で催されたCharles Mingus High School Jazz Band Competition という高校ジャズバンドのコンペティションで多くの芸術専門高校を破り、2位になりました。その新聞記事。吹奏楽部門ディレクターのレナード氏は、技術よりもフィーリングを大切にし、ユーモアたっぷりで子供たちの自発的なやる気を育てるタイプの指導者です。それが私が娘に「音楽を続けろ」と勧めた理由のひとつです。

10_Perdido_take.mp3をダウンロード

07_the_shepherd.mp3をダウンロード

よくやったね、エリザベス

娘の水泳のチームメイト、エリザベス・バイセルのオリンピック体験が昨日終わりました。400メートル個人メドレーで4位、200メートル背泳ぎで5位というのは、自己最高記録ではなかったにしても、オリンピック初体験の15歳にとって上出来だったと思います。自分をよく知るコーチのチャックではなく、オリンピックチームのコーチの指導で泳いだのは、精神的にはタフだったかもしれません。
それにしても、彼女の才能には感心します。
というのは、エリザベスが属するブルーフィッシュでの練習は、ものすごく「ふつう」のものだからです。ビデオで泳法を分析することもないし、スタートやターンの練習もしません。彼女は朝練習はせず、夕方の4時間の練習だけで、金曜はバイオリンの練習があるから水泳はしません。彼女はおしゃべりなので、練習中にぺちゃくちゃしゃべり出してコーチのチャックに大声で怒鳴られますが、平気でしゃべり続けます。歌い出す選手もいます。「おまえは駄目だ!」と押さえつけられて、「なにくそ!」と倍の努力をする、といった日本的(娘が属していた前のチームのコーチは日本的)な雰囲気はまったくなく、選手同士が競争の雰囲気を作り上げているのです。

こういった自由な雰囲気のチームでエリザベスがここまで速く泳げるのは、彼女が生まれつき天才的なスイマーだからです。彼女の練習を見ていると、早期英才教育やスパルタ式の練習などのばからしさをひしひしと感じます。そして、ロシア人で娘の中学校の数学の名教師の「天才は親や教師、システムがつぶさない限り花開く」という名言を思い出します。エリザベスは水泳が好きで泳いでいるので、チャックのように彼女の長所をそのままのばすことができるコーチが一番なのでしょう。
そんなことを思うオリンピックです。

エリザベス・バイセル400メートル個人メドレー決勝進出

娘のチームメイト、エリザベス・バイセルがオリンピック競泳の400メートル個人メドレーで決勝進出を果たしました。
15歳で初めてのオリンピックですが、予選では4:34.55でトップのタイムでした。
このタイムは、オリンピック選考会の予選よりも1秒ほど速いもので、決勝ではとんでもない失敗をしないかぎり世界記録が出るのではないかと思います。現在の世界記録保持者のKatie Hoffとは得意な種目が異なるので、それぞれのストロークが終わった時点での両者のポジションが注目されます。エリザベスもケイティも最初のバタフライは(普通のスイマーに比べれば相当優れているものの)得意種目ではありません。2つめの背泳ぎはエリザベスの最も得意な種目で、3番目の平泳ぎはケイティの得意種目。
1年前のチーム水泳大会では、私の娘の平泳ぎのタイムとエリザベスのそれが近かったために並んで競ったくらいなのですがですが、この一年でエリザベスの平泳ぎは常人には不可能なほど上達しています。また、ケイティの背泳ぎもある大会でエリザベスを破るほど上達しています。また、ふたりとも長距離になればなるほど速くなるというスタミナの持ち主なので、このふたりの接戦が楽しみです。

がんばれ、エリザベス・バイセル!

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(右が15歳のElizabeth Beisel、左は200メートル背泳ぎで優勝しオリンピック出場を決めたMargaret Hoelzer. Photo by JAMD

娘のチームメイトで15歳のエリザベス・バイセルが、水泳の400メートル個人メドレーと200メートル背泳ぎでオリンピックの出場権を得ました。
Elizabeth Bio

エリザベスは15歳とはいえ、水泳の世界ではベテラン。ナショナルチームのメンバーとしてシドニーの世界選手権に出場したのは13歳のときでした。
でも今年になるまでオリンピックに出場する可能性があるのは200メートル背泳だけだと思われていたので、400メートル個人メドレーでの快挙は本人にも驚きだったようです。

実は、去年私はエリザベスのお母さんのジョニーと四方山話をしているときに、「エリザベスは400メートル個人メドレーでオリンピックに行くと思う」と予言していたのでした。
そのころにはまだ彼女の国内での400メートル個人メドレーのランキングはさほど高くなく、ジョニーは「えー、ほんとうにそう思う?」と答えていたのです。
ですから、オリンピック選考会の寸前にあった水泳大会で突如国内で2番目に速い記録を出したときに、ジョニーは「去年あなたがああ言ったときにはちっとも想像しなかった」と驚いていました。

エリザベスの良いところは、エリートのアスリートにありがちな高慢さや悲壮感などがまったくないところです。すべての経験が楽しく、面白く、誰とでも友達になってしまいます。それが競争相手でも同じなのです。
彼女が好きで尊敬する日本人スイマーは、背泳の中村礼子さんだそうです。伊藤華英さんの名前も聞きました。そういう尊敬する選手と競うことができるのが、楽しくてたまらないようです。

さて、私がジョニーに伝えた次の予言は、彼女がケイティ・ホフを超えるスイマーとして水泳界に名前を残すことです。

天才は作れない

以前に「才能のある子は幼いときから始めなくても才能を発揮するし、ない者は(ある程度才能を伸ばすことができても)決してオリンピック選手や国際的数学者には育たない」と書いたが、それについて付け加えたい。

わが娘が属している水泳チームには、14歳でシニア・ナショナル選手権(全国大会)で200メートル背泳の2位になり、国際水泳選手権大会に米国代表として出場したエリザベス・バイセルという選手がいる。娘と半年しか年齢が離れていないこともあり、彼女が7歳のころからその存在は知っていた。年齢別の全米記録を次々と更新してゆく彼女のことを“早期英才教育”の産物だとみなしていた者は多く、「成長が止まると、スピードも衰えて凡人になるだろう」とか「親がプッシュしすぎると燃え尽きるだろう」と予想する者もいた。

しかし、同じチームの一員になってみて、私はそれらの推察がすべて大きな誤解だということに気付いた。

まず驚いたのは、彼女が自分よりも3歳から4歳年上の男性選手と同じレーンで練習するということである。それだけではなく、オリンピック選考大会の出場権を持つ年上の男性選手たちをどんどん追い越してゆく。もちろんエリートの男性選手達は年下の女の子に追い越されたくないので必死にスピードを上げるのだが、エリザベスにはかなわない。

それだけでなく、彼女からは他のエリート選手から滲み出るシリアスさが感じられないのである。彼女の母親によると、金曜日はバイオリンの練習があるから水泳には来ないし、他の選手が午前4時半に起床して行う朝練習には、生まれてから一度しか参加したことがない。練習中に一番お喋りするのは彼女だし、コーチから「お喋りをやめろ!」と怒鳴られても、あっけらかんと喋り続けている。いつも「この世に水泳ほど楽しいことはない」、といった感じである。

私の娘は、自分に年齢が近いエリザベスではなく、エリザベスより2歳年下の弟ダニーと仲が良い。というのは、どちらもこのエリートチームではやや“落ちこぼれ”に近い存在だからだろう。2人ともある程度は競争心のある選手なのだが、ここに集まっている大部分の選手に比べると、「この程度でいいや」と自分で調節するところがある。練習でも追い越されたくないので他人をブロックする選手が多い中、彼らは「お先にどうぞ」と順番を譲っている。親としては、「そんなに遠慮せずに、ちゃんと自分の場所を確保しなさい!」と言いたくもなるが、これが彼女の性格なのだから仕方がない。

非常に優れた才能を持つ子供たちを実際に知ると、わが子の早期英才教育に必死になる親の愚かさをひしひしと感じる。エリザベスでわかるように、オリンピックに行くような選手は、生まれつき超人的なスタミナに加えて超人的な競争心も持っているのである。これは誰かが幼いことから教えこんで作れるようなものではない。

何のためにスポーツをするのか(その1)

14歳の娘の水泳のために、マサチューセッツ工科大学とマサチューセッツ海洋アカデミーのプールでこの週末を過ごしたら、頭痛と発熱で半日ダウン。ふだんまったく風邪をひかないのだが、プールで数時間過ごすたびに免疫力が落ちて具合が悪くなる。長時間人混みの中で座っているのが良くないのかもしれない。

それはともかく、今回は水泳ペアレントとしての約8年間の経験から、「何のためにスポーツをするのか」ということについて少しばかり語りたい。

学業でもスポーツでも、スタートが早ければ早いほどよいと思っている親が多い。幼いときからスタートしないと才能を発揮するチャンスを逃してしまうという思いこみも珍しくはない。親が一生懸命にお金と時間をかけてやれば、子供の才能を抽出し、(ないときには)創りあげることができるという信念があるからこそ、多くの親が早期教育にお金と時間を費やすのである。

すでにお金と時間を投資してしまっている方には申し訳ないが、私の8年間の観察からは、才能のある子は幼いときから始めなくても才能を発揮するし、ない者は(ある程度才能を伸ばすことができても)決してオリンピック選手や国際的数学者には育たない。親の重要な役割は、子供の才能を最大限に引き延ばすことではなく、シビアな環境で子供が自分を見失わず健全に成長するように手助けすることである。これは、私自身が何度も悩み、苦しんだ結果学んだことなのである。

私の娘は、6歳のときにクラスメイトに誘われて隣町にある水泳クラブの水泳教室に入った。私は競泳の世界のことをまったく知らなかったので、待合室にいるチームメイトの親たちの熱意にたじたじとした。「このチームのコーチはオリンピック選手を6人、銀メダリストを2人育てたから安心しているわ」、「期待して来たのに、練習を見ていると、フリースタイルばかりさせてちっともバタフライを教えてくれないのには失望したわ」という会話があたりまえのように交わされていた。娘が7歳になったとき、水泳教室のコーチから「お嬢さんは競泳者に適した性格で、技術と体力も準備できたので、チームのほうに移ることをおすすめします」と言われた。けれども、深刻な表情で、「チームに入るのであれば、水泳ペアレントとしてコミットメントをする必要があります。よく考えてから結論を出してください」と言われたときには、思わず吹き出してしまいそうになった。たった7歳の子の水泳にコミットメントなんて大げさすぎる……。

けれども、このコミットメントは決して大げさな表現ではなかったのである。そのころピアノ、フィギュアスケート、サッカーをやっていた娘は、それらを辞めたくもないし、友達と遊ぶ時間も欲しい。けれども練習をサボると、親だけでなく子供までもコーチからガンガン叱られる。タイムが良くなり、年齢も上がるにつれて、チームからの要求はどんどん厳しくなってきた。まず最初に諦めることになったのはサッカーで、次はピアノ、そしてなんとか続けていたフィギュアスケートも小学校5年生でやめることになり、残ったのは学校の吹奏楽団でのフレンチホルンくらいだった。連休や夏休みでも家族旅行に行くことが許されない。それでも、「水泳が一番好きだから」と練習に行くことを楽しんでいた娘だが、12歳でトップクラスの選手たちが属しているレベルに引き上げられてから、状況が一転した。夜の練習から戻るのが9時近いのに、朝練習のために午前4時20分に起床しなければならない。濡れた髪のまま中学校に行くのは、年頃の女の子にとっては苦痛なことだ。何よりも、起きている時間はすべて宿題と勉強に費やすことになるので、まったく友達と遊ぶ時間がない。特に、銀メダリストを育てたというオーナーコーチが彼女の指導をするようになって、娘の口数がだんだん少なくなってきた。まず、これまでうまくいっていたストロークを完璧に変えるように要求され、変えたとたんタイムがのびなくなってしまった。努力してもタイムが上がらない選手に対して、このコーチは全員の前で屈辱を与える。それで「なにくそ」と努力する子供もいるのだろうが、私の娘にはまったく合わないスタイルである。だが、こういうことが起こっていること自体、私はまったくしらなかったのだ。というのは、秘密主義のコーチが親たちを練習から閉め出し、選手たちに「親は心配性で水泳の邪魔をするだけだから何も話してはならない」と命じてきたからである。このチームしか知らない私は、「水泳チームとはどこもこんなものだろう」と思っていた。

今年の4月、長水路シーズンが始まってたった数日しか経っていないある日、練習から戻ってきた娘が「もうこのチームには戻らない」と宣言した。この日初めて、私たちは娘からいろいろな事実を教えられた。「チームを辞める」と決意して初めてコーチの呪縛を解くことができたようなのだ。そのなかには、無意味なしごきとしか言えない練習で全員が泣きながら泳いだこととか、「努力が足りない」と一番トップのレベルから幼い子供のグループに移して練習させたこととか、3時間にわたる練習中にトイレに行くことを許されないためにプールの中で排尿することを強いられたこと、女子選手の写真と体重をつけた表を見せ、「Aがあと30ポンド減らしたら、国体選手になれる。Bがあと20ポンド減らしたら、オリンピック選考会の出場権を得られる」などと話し、「Cはこのチームを辞めて別のチームに移ってから太ってしまい、タイムも著しく遅くなった」などと全員の前で侮辱することなどだった。

「チームを辞める」という宣言に引き続き、娘は、「水泳が楽しくなくなった。速くなりたいという情熱もなくなった」と打ち明けた。6歳のときから13歳まで7年過ごし、ボランティアとして手助けしたチームにはそれなりの思い入れもある。既に払い込んでいた二十万円ほどのチーム費と遠征旅行の頭金は戻ってこないと分かっていたが、私たちは即座にチームを辞めることを認めた。問題は、水泳が生活の重要な部分になっている彼女がこれから何をするのか、ということだった。

娘は、「友達との社交を許されるようなチームでそこそこ泳げばそれでいい」と言う。ところが、それにぴったりのチームを訪問し、練習に参加したところ、あまり気がすすまない様子なのだ。結局、娘が「どうしても行きたい」と選んだのは、車で片道1時間以上かかる遠距離にあるチームだった。

そこは、若いチームだがコーチの人柄と才能に惹かれて全米トップクラスの選手が集まり、これまで属していたチームよりも練習が激しいことで知られている。1日に10マイル(16km)泳がされることもあるという噂を聞いていた。それに、毎日放課後3時間を車の中で過ごすなんて正気の沙汰ではない。トライアウトで参加した練習は、噂どおりに厳しかった。生まれて初めてスニーカーを履いて泳ぎ、なかなか前に進めなくて四苦八苦していたのに、約15km泳ぎ終えてプールから上がってきた彼女は、満面の笑顔を浮かべて私にこう言ったのである。「I feel I belong here (私、このチームの一員だって感じる)」。

3時間かかる車の中で宿題をこなし、午後9時半に家に戻ってからまた勉強をする、という生活をする娘を持つ私のことを、クレイジーな水泳ペアレントだと思う人もいるようだが、私が彼女をこれほど遠いチームに通わせているのは、彼女がハッピーだからである。新しいチームには、オリンピック選考会出場資格を持っている選手が18人もいて、シニアレベルでは娘は一番遅い選手のひとりである。これまでのチームならリレー選手の1人だったのに、現在のチームでは二度とそのチャンスはやってこないかもしれない。でも、彼女は、このチームに移ってからものすごく明るくなった。というよりも、元々の彼女の性格に戻ったというほうが正しいだろう。親はいつでも練習を眺めることができるし、コーチはオープンで、練習は厳しくても選手の笑いが絶えない。その結果、娘は練習を楽しみ、戻ってくるとチームでの出来事を話してくれる。

チームを移るまでは毎日胃の痛む思いをしたが、結果的には得るところが大きな出来事だった。「嫌な雰囲気に耐えるか水泳を辞めるかの2つの選択しかない。どちらも嫌だ」と思いこんで落ち込んでいた娘は、私たち両親に相談することで悪い状況を良い状況に変えることが可能なのだと知った。それは、私たちの信頼関係にとって大きなプラスだった。「どんなに絶望的な状況に見えても、必ず何か解決策はある。だから、これからどんなことがあっても、隠したりしないで、相談して欲しい。もちろん聞いた直後には、『何やってんのよ!』と怒鳴りつけるかもしれないけれど、それはただのリアクションで、ちゃんと冷静に解決策を一緒に見つけてあげるから」という私の言葉を、娘はちゃんと信じてくれたようだ。

昨日水泳大会のあとで娘にこう言った。「あなたはオリンピックに行くために水泳を頑張っているんじゃなくて、楽しいからやっている。私たちは、あなたが水泳を楽しむのを観て幸福感を得ることができる。それが私たちにとっては一番大切なこと」。すると彼女は、私の首に腕をまわしてぎゅっと抱きしめ、「ありがとう。I love you, Mommy」と答えてくれた。