Darfur救済チャリティのSwing Danceにお越しください

今夜LexingtonのSt. Brigid’s ChurchでDarfur救済チャリティのSwing Danceがありますので、お近くにお住まいの方はぜひいらしてください。

主催グループの中心人物がLexington高校Jazz Ensembleでの娘の先輩で、娘も少々お手伝いしています。高校からはJazz EnsembleとBig Band、そして映画「My Best Friend’s Girl」に出演したプロのスウィングバンドBeantown Swing Orchestra(リーダーはLexington高校Jazz Ensembleの卒業生)が素敵なスウィングの名作を演奏します。最初にダンスのレッスンもありますから素人でも気楽に参加できます。

私も行きたいのですが、娘が「やめてくれ」といいますので去年にひきつづき私は運転手をつとめるだけです。

場所:St. Brigid’s Church (Map Quest)

2001 Massachusetts Ave  Lexington, MA 02421

時間:午後7時から10時

チケット:10ドル(学生はIDを持参すれば7ドル)。予約不要。

教会の裏に大きな駐車場がありますから、駐車の心配もありません。

追記:今日のBoston Globe紙の占いから。(うお座の娘に後で渡そうと思います)

Volunteering for something you believe in will help you in more ways than one. You will meet someone spectacular if you pitch in and help a good cause. Don’t give in too quickily to what may appear to be a simple request. happy01

マーティン・ルーサー・キング牧師の貢献をたたえる日

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今日はマーティン・ルーサー・キング牧師の人権運動への貢献をたたえるマーティン・ルーサー・キングJr デイです。

レキシントン町では昨日第16回の記念行事が行われました。運営委員は私を含めて6人。大雪でどうなることかと思いましたが、オバマ大統領誕生の喜びを分かち合いたい人々が集まって、とても興味深い会になりました。

高齢者の割合がかなり多いので、若い参加者がほしいところです。今年はレキシントン高校のオナーズソサエティの生徒たちが子供のプログラムを助けてくれたので、ちょっと平均年齢が低くなりましたが……。

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これはイベントと後片付けが終わったあとで会場から撮ったもの。ニューイングランドの冬は(寒いけれど)きれいです。

町を手作りする

私が住んでいる町には、行政委員の委託で、町の動向を調査し、問題を抽出し、2020年の理想像とそれに応じた対策を提案する2020 Vision 委員会というものがある。
私も、行政委員から直接依頼されて、2003年から2004年まで、町民の対立の原因を調査し、建設的な対話を推進するための小委員会に参加した。そのときの仕事ぶりがそう悪くなかったのか、再び異なる小委員会に誘われた。今回は、人口動向を調べ、その動向に応じてこの町が必要とする対策を進言するものである。もちろん全てボランティアで、面倒といえば面倒なのだが、町の将来にかかわる重大な問題に直接関わると、私自身の理想を組み入れることもできる。特に、マイノリティの移民としての意見を尊重してくれる町なので、それを悪用しないように、自分以外の隠れたマイノリティ(これには人種だけでなく、同性愛者や社会経済的に恵まれない人々も含まれる)のニーズを反映させることが私の役割だと思っている。
2004年に完了した前回の委員会でも、私の意見がさっそく行政に取り入れられたのはうれしいことだった。
今回も、私が参加することで、結果的に誰かが利益を得ることができれば、こんなにうれしいことはない。

AAHGSの体験

先日、Afro-American Historical and Genealogical Society (AAHGS:アフリカ系アメリカ人歴史・家系協会)の全国大会でボランティアをしてきた。友人がニューイングランド支部の支部長を務めていて、彼女から誘われたのである。

genealogy(家系・血統)の調査は、近年特に合衆国のアフリカ系アメリカ人(黒人)の間で流行っている。他の民族の場合は、たいてい最初にアメリカ大陸に渡ってきた先祖まで容易に遡ることができるのだが、奴隷の歴史がある黒人たちにとって過去は大部分ミステリーである。奴隷解放後の社会経済的混乱が理由のひとつと考えられるが、奴隷から解放されたいきさつやその後の体験を子孫に語り伝えていない者が多いようだ。現在になって、自分がどこから来たのか、祖先はどんな人々だったのか、それを「知りたい」という熱意が高まっている。AAHGSの全国大会に参加したアフリカ系アメリカ人の殆どが、これまで調査した自分の家系図を持ち、「いつか本にする」と語っていたのが印象的だった。

日本に住んでいるときにはまったく知らなかったことだが、独立戦争時に奴隷の多くは英国軍として闘ったのである。その理由は、英国軍が軍隊に参加すれば独立でき、土地も与えると約束したからだった。友人のリオナの祖先の1人は、英国軍として戦い、戦後カナダのノバスコシア州を選んだが、「約束の地」での約束が守られなかったために、大部分はカナダを去ったようである。リオナの祖父は、南下してボストン界隈に移動したが、親戚の一部はアフリカのシエラ・リオーネに移った。こうして、血縁は、カナダ、ボストン、アフリカ、とバラバラの場所に散らばってしまったのである。会場で会ったリオナの従姉妹は、フランス系カナダ人とアメリカインディアンの血が混じっているとのことで、一見しただけでは民族が推測できない。黒人というよりも、白人にインディアンの血が混じっているだけのようにも見える。けれども、彼女は自分を「黒人」として同定している。日本人と白人の混血であるわが娘は、アメリカで育った自分をアジア人とは同定せず、書類では「その他」のカテゴリーを選ぶ。このあたり、アフリカ系アメリカ人の民族に対する強いアイデンティティとの差を感じる。

それにしてもAAHGSの会場でうろちょろしていたアジア人は私ひとり。友人のリオナがすれ違う人全員にいちいち「これは私の友達のユカリ」と説明する必要があるほど目立ってしまった。