Can you handle the truth?「精霊の守人」シリーズと情報公開

東北震災以降、事故を起こした原子力発電所の状況と放射能汚染などに関する政府と東電の対応に批判が集中しています。特に、最初から正確な情報を「全て」迅速に情報公開しなかったことについての批判が目立ちます。(追記:偶然ですが、このブログをupした後で、メルトダウンについて情報操作されていたことをツイッターで知りました)

1997年頃から私が書いているものを読んでくださっている方はよくご存知だと思いますが、私は「情報公開」と「組織の透明性」の推進を継続的に呼びかけてきました。真実を隠したり、発表を遅らせると、それが分かったときに信頼が失われ、二度と信用してもらえなくなります。私の夫の最新刊Real-Time Marketing and PRにも「迅速に正確な情報を公開する」ことの重要性が書かれています。

けれども、震災被害への義援金を募るHope for Japan Fairの準備で、上橋菜穂子さんの「精霊の守人」シリーズを読んでいて、これまで心にひかかっていたことが浮かび上がってきました。


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アニメにもなっているし、英語にも翻訳されている、非常に有名なファンタジーですから、ご存知の方は多いと思います。これだけ人気が出たということは、日本人の心にしっくりくるということでしょう。

このシリーズの大きな部分を占めているのが、「政治」です。

新ヨゴ皇国は絶対君主制で、その君主である帝に政治的アドバイスをするのが「星読博士」たちです。先住民ヤクーの呪術師と星読博士とでは、現実(とパラレルにある世界)を読解する力が異なります。それぞれから学ぶところがあるのですが、ヤクーの呪術師と交流したり、そこから学んだ真実を伝えることは「星読博士」にとっては政治的な自殺行為です。けれども、若い星読博士のシュガと呪術師のトロガイは、皇子を救うために、初代星読の手記とヤクーの伝承を合わせて謎を解きます。

こういう事態に落ち込んだのは、新ヨゴ皇国の祖先が「政(まつりごと)」のために真実をねじまげた神話を作り上げてしまったからです。そこで、トロガイはシュガに「こんどこそ、くだらぬ政のために真実をかくさないでおくれよ。ーーー百年後の者たちが、またこんな思いをするんじゃ、たまらないからね。」とお願いしますが、その後に、「ヤクーの知を知るためには、わしらを生かしておいてもらわねばね。神話をつくるのはお手のものだろう。皇子の威信を傷つけぬよう、わしらもふくめた、うまい作り話を大いそぎで考えておくれ」とも言います。

とても素晴らしいファンタジーなのですが、気になるのは、こういった二面性です。「真実」を非常に重んじ、悪人たちの「嘘」を嫌っているのに、善意の登場人物が困難な状況を切り抜けるために「作り話」をすることについて、私たちは寛容です。

例えば、チャグム皇子やトロガイが他人を夢の世界から救うために帝に嘘をつきますが、それを気にした読者はたぶんいないでしょう。

それは、「正しいことをする」、「結果として多くの人を救う」ためであれば真実を少々歪めて伝えても許されるべき..そう感じたからではありませんか?

でも、それが「正しいこと」であり「結果として多くの人を救う」という判断は誰がするのでしょう?

小説や漫画であれば、書き手が読者のために判断してくれるから簡単ですが、現実はそんなに単純ではありません。特に戦争など多くの人の命に関わることでは、どちらに転んでも人の死が免れないことがあります。

「多数の命を救うために少数の命を犠牲にして良いのかどうか?」「その場合に真実全てを国民に知らせたらどうなるのか?」「知らせるタイミングのせいで、パニックが起こり、多くの人に被害が出たらどうなるのか?」優れた善意の政治家であっても、日常的にこういった葛藤を覚えるのではないでしょうか。

たとえ、善意があっても、能力がないトップもあるでしょう。その場合の「正しいこと」とは何なのでしょうか?

A Few Good Menという映画にジャック・ニコルソンの有名な台詞「You can’t handle the truth.」というのがありますが、私はこれを思い出しました。「お前には真実なんか分からん」とよく訳されているようですが、意味合いとしては「貴様なんかにこの真実の重みを扱えたりするものか!」といったものです。

「精霊の守人」シリーズで読者が善の登場人物たちの「作り話」の是非に疑問を覚えずすんなりと受け入れたのは、「善意の君主」やヒーローにちゃんと国を治めていただきたくのが、日本の文化にしっくりくるからではないでしょうか?つまり深層心理に、「真実の重み」はそういった方々にお任せしておくほうが気楽だという気持ちがあるのです。そうでなければ、主人公たちの「作り話」に疑問を抱くはずです。

ここに私たちの二面性があります。

ウィキリークスのとき、それを手放しで賞賛している人びとに対して、こう訊ねてみたくなりました。

Can you handle the truth?(あなたたちは真実の重みを扱えるのか?)」

受け手に情報を理解して処理できる知識と知恵がない場合、生の情報をそのまま無処理で垂れ流しにすることは、公共のためだとは思えません。世界を安全な方向に導こうとする人々の行動を妨げる可能性もあります。それでなくても、国家の機密情報を芸能人のゴシップと同等に扱う人々に情報の全てをリークすることが正義とは私にはまったく思えないのです。

もちろん私は情報公開には賛成です。

ですが、組織の透明性を押し進め、情報公開を身近なものにするために、私たちは普段から自分自身の情報リテラシーを鍛える必要があります。

真実を追い求めるためにも、政府を監視するためにも、そういった能力を身につけなければならないと思います。

しかも、特別なグループではなく、マジョリティの一般市民が。

きちんと取材するジャーナリストを応援しましょう(そういう人が食べて行けるようにするのも大切です)。

そうではないマスメディアはきちんと批判し、不買などで意志を表明しましょう。

熱意ある政治家がいたら、勉強会やタウンミーティングを開いてもらいましょう。

そして、情報の集め方、判断の仕方(情報が実際に何を意味するのか)を学び、情報公開を強く求めつつ、同時にこう自問し続けましょう。

Can we handle the truth?

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