住民が手作りする公教育2

1章 私がレキシントン町を選んだ理由

 

私がウォール街の金融情報会社の東京支社を開設するために来日したアメリカ人の男性と出会ったのは1987年で、彼と結婚したのは1990年でした。私たち二人が住んでいたのはバブル景気最盛期の東京で、「経済で世界を制覇する」という活気に満ちていました。

当時のアメリカ合衆国はそんな日本の経済力に脅威を覚えており、アメリカ人が日本車をハンマーで叩き壊したり、日の丸の国旗を焼いたりする「ジャパンバッシング」のニュースが日本にも伝わってきました。

香港への転勤を経て1995年にアメリカ合衆国に移住することになったとき、私たち夫婦が心配したのが、「ジャパンバッシング」と2歳半になっていた日米ハーフの娘への「差別」でした。

Continue reading