コミュニケーションを取る努力をしない人とはコミュニケーションは取れない

取材することが多いので、「他人の話を聴く」ことには慣れているつもりだ。ことに大統領選挙など政治が絡む取材では、自分とはまったく異なる政治的立場の人の意見であっても反論などはせずに考えていることを引き出すようにする。

仕事ではただひたすら耳を傾けるが、プライベートなシチュエーションでは同じマインドセットにはなれない。プライベートな場でのコミュニケーションは完璧ではなくても相手と自分の「話す」「聴く」が同等であることを期待する。期待している自分を自覚しているので、私はなるべくこの2つが同じくらいになるように心がけている。ついうっかり自分の「話す」の比重が大きくなったときには、そのバランスを改善する努力もするようにしている(できていない時もあることは重々承知のうえで)。

アメリカの小学校のPTAで学んだことのひとつは、リーダーに選ばれる人はこの「話す」「聴く」のバランスを保つ技能を持っているということだった。PTAの会長と話をした時に、それは努力によって培われたものだということも知った。

生まれつき他人とコミュニケーションを取るのが上手な人はもちろんいるけれども、多くの人は努力でその技能を身に着けているのだ。

それに気づいてからは、仕事だけでなく、家庭内でもコミュニケーションで努力をするようになった。相手が重要だと感じていることを聴き出し、自分が重要だと思っていることを(なるべく感情的にならず、相手を糾弾するような口調にならないように)伝える、というものだ。

心がけていても感情的になることはあるし、コミュニケーション不足になることはある。コミュニケーションが壊れると、関係が壊れる。だからこそ、重要な関係については、毎日のコミュニケーションの努力の継続が必要なのだ。

しかし、どんなに自分が技能を身に着けて努力しても、コミュニケーションを完璧にすることはできない。コミュニケーションは相互関係である。自分だけが努力して相手が努力しない場合には、一方通行になってしまい、自分だけが疲弊する。

私も昨年に、日本に住む家族との間でそういう辛さを体験した。私はアメリカ式に「不満に思っていることがあれば、相手にそれが伝わる方法で伝える努力をしなければならない。家族であっても他人なのだから、心を読むことはできない」と思っているが、日本では「言わなくてもわかるはず」という感覚を持っている人が多いように思う。そして言わなくても理解しない人に対して立腹する。だから何度やんわりと質問や要求をしても答えは戻ってこないし、こちらがしびれを切らして直球を投げると「糾弾している」と思われてしまう。挙げ句の果てに突然キレられて、酷い言葉を投げつけられる、といったことだ。

「だんまり」の間に、彼らはきっと頭の中で架空の私との会話をしているのだと思う。その架空の私に怒りをつのらせて突然の「罵声」になのだろう。架空の私と話すより、現実の私と話してくれれば誤解もとけると思うのだが、それをしてくれないので、私には対処できない。

「だんまり」あるいは「罵声」だけで対応する相手とは、こちらがどんなに努力してもコミュニケーションを取ることはできない。

その場合に自分に対してする質問は「それでも維持したい関係なのかどうか?」である。

私の場合、夫や娘とのコミュニケーションでムッとすることは限りなくある。相手もきっとそうだろう。2人はそれぞれ異なるパターンがあり、それらが私のものとは一致しないことはよくある。だから、ムッとした時には相手の頭の中で何が起こっているのかを想像して、それに合わせるようにしている。例えば私が送ったメッセージに娘が応えないときには、彼女が意識的に無視しているのではなく、「このメッセージは重要性が低いので、読むだけで応えなくてもいい」と思っているのだろうと考える。

なぜ努力するのかというと、私にとって大切な関係だからだ。そして、相手がそれなりに私に合わせる努力をしていることも知っているから。

想像しただけで辛くなり、日常生活にまで悪い影響を与えるコミュニケーションとその相手がいたら、「この関係はそこまで重要なのだろうか?」と自問してみるといいかもしれない。答えが「No」であったら、現実的に縁を切ることができなくても、心の中で距離を置くことで、心が救われる。

人間関係で悩んでいる人、自分を責めている人は、「コミュニケーションを取りたくない人とは、コミュニケーションは取れない」と諦めてみてほしい。そして、余ったエネルギーを大切な人とのコミュニケーションにまわしてみよう。





ほうっておいてあげてください

とある日本の皇族の結婚についてここ何年も話題になっていた。ネットでよく見かけていたが私には関係のないことだからニュース記事も読まなかったし、賛否の会話にも加わらなかった。ソーシャルメディアで無事結婚されたのを知り、「これで外野も落ち着くだろう」と思っていたら、まだお相手の人格攻撃などが続いているようでネットでの話題が消えない。

私はニュースを追っていないし、多くの人が話題にしていた結婚の記者会見も見ていない。なぜなら、「私があれこれ口をはさむことではない」からであり、「結婚する2人が誰であっても幸せになってほしい」からであり、「ほうっておいてあげてほしい」からだ。たぶん既に多くの人がいろいろな角度から分析したコラムを書いているとは思う。私はずっと黙っているつもりだったが、「ほうっておいてください」という気持ちが強くなったので、それだけを書かせてもらいたい。

イギリスのハリー王子とメガン妃の王室離脱宣言のときにも同じような気持ちで一度だけ「歴史を変えたのは『行儀が悪い女性』たちだった」というエッセイで話題にしたが、今回は少し違う観点から書きたい。

メガン妃のときもそうだったが、こういうとき、私のなかに「ほうっておいてあげて!」という気持ちが強くなるのはなぜだろう? 

その部分を掘り下げてみた。

これらのことで私が嫌だと感じる対象にはいくつか異なるものがあることに気づいた。次のようなものだ。

1)ゴシップに意見や批判の形で参加することで「いじめ」をエンターテイメントとして楽しむ大衆心理

2)メディアで話題になっている人たちに感情移入し、親族や友達のつもりでアドバイスしたくなる人間の心理

3)それらの人間の心理をうまく利用して読者を増やしているメディア

1)はともかく、2)には「皇族の女性が人生に失敗する」ことを心配している人もいるだろう。私がSNSでよく見かけた「われわれの税金で暮らしている皇族なのだから、納税者として意見を言う権利がある」、「人格的に問題がある男性と結婚する彼女が心配だから反対する」といったコメントはそういった感覚から出てきていると思う。

たとえ悪気がないとしても、私はやはり嫌な気分になる。

それは、「納税者として意見を言う権利がある」が、大学進学や海外留学などで私が自分の希望を口にするために「育ててやったのに」と反対してやめさせた父を思い出させるからかもしれない。

高校生の私が短期間で経済的に独立する職業につくことを決意したのも、自分で働いたお金で留学したのも、故郷から遠くはなれた場所で生活してきたのも、「育ててやったのに」という言葉が持つ束縛から離れたかったことが強く影響している。

だから私は娘が生まれたときに「育ててやったのに」という呪いの言葉で子どもを呪縛する親にはならないと誓った。

私がイギリスのロイヤルファミリーや日本の皇族の結婚の話題で「ほうっておいてあげて!」と強く思うのは、彼らに感情移入している部分もあるが、それ以上に彼らの「親」のような気持ちになっているのではないかと思う。

夫は娘が生まれたときに「育ててやる、という恩を着せてはならないし、見返りも求めてはならない」「楽しい思い出を与えてくれることに感謝するべき」と子育ての基本的な方針を語った。幸いなことに、それは娘が成人し、結婚した今でも続いている。

親として娘や娘夫婦に対して「こうしたほうがいいのではないか」と思うことはある。でも、彼らから相談されない限り、私たち夫婦は黙っている。なぜなら、彼らの人生は彼らのものだからだ。自分で考える能力があるし、失敗して、そこから学ぶ権利もある。

私たち親がやるべきことは、子どもが助けを求めてきたときに受け止めてあげることだと思っている。

税金で「養った」皇族の女性が自分の気に入らない男性と結婚するとしても、国民は親としてそういう気持ちになってもらえないものだろうか? 

そのもどかしさがあるから私は人格攻撃や余計なおせっかい的なコメントを読むのが嫌いなのだと思う(それらに対して、支えたい気持ちやかばいたい気持ちを表現しているコメントは別)。

上記の3)さえなくなれば、1)も2)もなくなるはずなのだが、収入の目的でやっているメディアに道徳心を求めるのはたぶん無理だ。それを変えるためには、1)と2)のところで個人がなんとかするしかない。

実は、「意見を言わない」「アドバイスしない」ことのほうが難しい。人は自分の意見を誰かにわかってもらいたいし、押し付けたくなってしまうものだから。

難しいことだからこそ、余計な意見やアドバイスをしない人を私は尊敬する

「あえて言わない」ということが、もっと尊敬される新時代が来ることも願っている。


母からの贈り物

パンデミックのさなかに入院した母が退院できないまま先日他界した。

2020年2月末から出版イベントもかねて帰国する予定だったが、その直前になって新型コロナウイルスの感染者が世界中に広まり始めた。感染者を出しては申し訳ないと判断して直前にイベントをキャンセルしたが、母に会うためだけに帰省したいと思っていた。でも、「ウイルスを持ち込む可能性がなきにしもあらずだから高齢者のお母さんに会うのは遠慮してほしい」という家族の意見を受け止めて帰国そのものを中止したのだった。

最後に会ったときの母は、「好きな時に寝て、好きな時に起きて、食べたい時に食べたいものだけを食べられる(誰からも文句を言われない)」と父が亡くなった後の自由なひとり暮らしを謳歌しているようだった。「数学と物理を学び直しているの」と新しく買った本と小さな文字でぎっしり書き込んだノートを見せ、「80歳を越えてもまだ新しいことが学べるのが楽しい」とウキウキした様子で報告してくれた。私の心の中での母はこの時のままで止まっている。

母が入院したという知らせを受けたときに帰省を考えたが、アメリカから日本に帰国するための厳しい「水際対策」を我慢しても面会は許されない。冬の感染ピークが収まると思われる来年3月にフライトを予約して、それまでに回復してくれることを祈っていたのだが叶わなかった。

海外文学が大好きな文学少女として育った母は、職場で出会って恋心を抱いた父と結婚したときには『赤毛のアン』のような将来を夢見ていたのかもしれない。ところが「嫁入り」の現実は厳しかった。父がわがままだっただけでなく、わが家では父の母親(私の祖母)が女王のように君臨しており、決定権をすべて握っていたからだ。母は父から命じられるままに小学校教師としての月給を袋のままで祖母に渡し、そこから毎月「小遣い」を受け取っていたらしい。実家で暮らしていた頃のようにピアノや琴の練習をすると祖母から「うるさくて落ち着けない」と愚痴を言われるのでやめてしまった。別の家でひとり暮らししていた父の祖母(祖母の母)も加齢を理由にわが家に越してきて、母の居場所はますますなくなってきた。

何よりも辛かったのは、曾祖母が長女である姉を、祖母が次女の私を自分の娘のように独占するようになったことだという。私と姉は母が妹を特別扱いしていると思って憤っていたものだが、母にとっては妹だけが「わが子」として独占できる子だったのだ。

伴侶の両親と同居する「嫁入り」をしたのも三姉妹のなかで妹だけであり、母にとっては一番心が通じるのが末っ子だったようだ。子どもの頃には少し嫉妬したものだが、大人になって母を理解できるようになってからは、長年にわたって母を心理的に支えた妹に感謝している。

家庭の権力者である祖母からわが子のように扱われていた私にとって、家庭での母は居候のように影が薄い存在だった。同じ学校の教師だったので学校で見かけることもあり、「学校の先生が家に住んでいる」という感覚だった。小学校1年生の終わりに母が別の小学校に転任になり、全校生の前で「お別れの挨拶」をしたことがあった。周囲の子どもたちが「もう渡辺先生に会えない」と泣くので私も悲しくなって泣き出した。それなのに家に戻ったら母がいてなんだが不思議に思ったのを覚えている。

わが家では祖母も、曾祖母も、父も、それぞれに強い個性があり、存在感もあった。強い個性がぶつかりあうこともあったが、血がつながっている彼らは和解することも簡単だっただろう。それらの強い個性の中でなんとかうまくやっていくために、母はわざと自分の存在感を薄くしていったのかもしれない。

母が私たち子どものためにやってくれたことを理解し、それらに深く感謝するようになったのは、私がかなり年を取ってからのことだ。

私が4歳で3歳上の姉が小学校2年生の時に小学館が『少年少女世界の名作文学』(全50巻)を毎月1巻のペースで刊行し始め、母はそれを定期購読してくれた。姉が夢中になって読んでいるのが羨ましくて、私は自分で文字を学んで読み始めたらしい。最後に会ったときの思い出話で、「由佳里は誰も教えていないのに自分で文字を覚えたのだから偉いわね」と母が感心したように言っていたが、もしそれが本当なら、それは母が与えてくれたモチベーションのおかげだ。

また、多くの場所で書いているように、私が「いつかイギリスに行く」という夢を抱いたのは、この全集に収録されていた『秘密の花園』を読んだからだった。

その夢を叶えるために必要な英語を学ぶきっかけを与えてくれたのも母だった。NHK基礎英語のテキストについてきた赤いソノシートと、そこから流れてきた”This is a pen.”という初めての英語にトキメイたのを今でも覚えている。

ダリ、ピカソ、モネといった巨匠の作品とアートの魅力に出会ったのも、母が定期購読した世界名画全集からだった。私たち姉妹は、世界の名作文学や世界名画全集、百科事典を材料にして、空想の世界を旅するようになった。周囲に田んぼしかない田舎町に住んでいた私たちにとって、母が与えてくれた世界に通じる扉は眩しいほど光っていた。

母は、印刷物だけでなく本物のアートにも触れさせる努力をしてくれた。近くの都市で名画展が開かれたとき、母は面倒臭がる父を説得して運転してもらい、親子5人ででかけた。ところが、もどる途中で乗り物酔いの癖がある私が吐いてしまい、車を汚されて怒った父は小学生の私と母を残して車で自宅にさっさと戻ってしまった。私と母はバスを乗り継いで何時間もかけて帰宅したのだが、その時の母の心境はやるせないものだっただろう。こんなに嫌な体験をしても、母は諦めなかったのだ。

短期間だが、母と父が自宅の一部を使って「貸本屋」を営んだことがある。ビジネスとしては大失敗だったようで長続きしなかったのだが、これは祖母に遠慮せずに本を沢山購入したかった母の策略だったのではないかと今では思っている。なぜなら、それらは箱入りの『世界文学全集』、同じく箱入り特別装丁の三島由紀夫の『豊饒の海』4巻、牧野富太郎の『牧野日本植物図鑑』などといったものであり、近所の人が軽く読みたいと思うような選書ではなかったからだ。

これらの本は無駄にはならなかった。小学生の私は学校から戻る途中に花や草を摘んで持ち帰り、『牧野日本植物図鑑』でそれらを調べるのが好きだった。『少年少女世界の名作文学』を卒業した中学生の私は80巻以上あった『世界文学全集』を完読する目標を立てて実行し、大学生の私は高級レストランのディナーに誘ってくれた男子に読んだばかりの『豊饒の海』について熱く語りすぎて閉口させてしまった(次のデートの誘いはなかった)。

「勉強しなさい」とひとことも口にしなかった母は、私が好奇心にかられて自ら進んで学ぶ環境を作ってくれたのだった。

自分が望む英語学習や海外留学に反対して妨害し続けた父に対抗するために、私はresourceful(困難な状況のなかで解決策を見出す策略家)になり、早期に経済的に自立し、精神的にタフにならなければならなかった。そのパワーのもとになったのが私の中にある抑えきれない「好奇心」と「情熱」だった。一生役立つそれらの武器を与えてくれたのは母だったのだ。

アメリカのボストン近郊に住み、英語で出版された本をレビューして紹介し、たまに翻訳し、たまに絵を描き、その合間に森にでかけて植物やキノコを観察して記録する現在の私の素地は、こういった子ども時代に作られたものなのだろう。

ずっと長い間、私は自分ひとりでこの人生を切り開いたようなつもりでいた。でも、母が蒔いてくれた種がなかったら、現在の私はありえなかった。

母はある意味とても平凡であり、とても非凡だった。他人の言動を悪くとらえて憤る癖があった父とは逆に、母は他人の悪口をまったく言わなかった。小学校で別の教員に虐められた心労で身体を壊して早期に引退したのだが、そんな扱いをされても他人の陰口は言わなかった。

私たち姉妹が大声で口喧嘩をしていたときにも怒鳴りつけるかわりにカセットテープにそれを録音し、「これを聴いて反省しなさい」と諭す人だった。私たち姉妹の声はとてもよく似ていたので「これ言ったのは、私じゃないよ。お姉ちゃんでしょ」「違うよ。由佳里だよ」と再び大声で口論をはじめてしまい、役には立たなかったのだが。

母は「褒める」人でもあった。噂話が好きな近所のおばさんについても「あの人は噂が好きなのでちょっと避けているの」と舌を出して笑うだけで、ほかの人は「●●さんは話がとっても面白いのよ」とか「●●さんは雪が降ったら言わなくても雪かきをしてくれる」といつも褒めていた。母の話を聞いていると、私の生まれ故郷の町は優しくて楽しいキャラクターだらけのコージーミステリの世界だった。そうでないことはよく知っていたけれど、母は父とは対照的に世界の良いところを見ることに決めていたのだろう。

東京の高級レストランでコース料理を食べている時にも、母は一品出てくるたびに給仕の人に「ありがとうございます。美味しそう」と丁寧に礼を言う。おかげで私も世界中のレストランで同じことをするようになってしまった。

アメリカで娘を育てているときにふと気づいたことがある。娘は友達の陰口をまったく言わないのだ。水泳のトレーニングでティーンの少女数人を運転してあげることがよくあったのだが、そこにいない人の無責任な噂話を楽しむ子が多くても娘は黙っていて加わらなかった。そういうところが母にそっくりで、「そんな遺伝もあるのだろうか?」と不思議に思ったことがある。

子どもの頃には影が薄い存在だと思っていたのだが、振り返ると私の人生にとって重要な影響を与えてくれたのは母だった。私が気づいていなかっただけで、私は母から沢山の貴重な贈り物を受け取っていたのだ。

最後に実家を訪問したとき、2人きりで何日か過ごすことができた。そのとき、思い出話をしながら「今の私ができあがったのは、お母さんが買ってくれた『少年少女世界の名作文学』のおかげ」と伝えることができて本当に良かった。

母に会って感謝の言葉を繰り返すことはできないけれど、残りの人生、自分が与えてもらった贈り物を無駄にせずに生きようと思っている。

若かりし頃の母と父。

高齢者白人男性候補2人を覆す勢いを持つエリザベス・ウォーレン – アメリカ大統領選挙レポート

Screen Shot 2019-09-08 at 4.54.12 PM9月8日土曜日、大統領選のバトルグラウンドとして知られるニューハンプシャー州のマンチェスター市で州の民主党大会が行われ、19人の大統領候補がスピーチを行った。この大会で明らかになった民主党の現状を別のコラムに書いたが、指名候補争いについても転換の始まりを感じた。

大統領候補19人に加え、民主党全国大会委員長、ニューハンプシャー州選出の上院議員、その他の民主党議員など約40人が壇上に立つこの党大会は、午前7時会場で午後4時すぎまで続いた。いったん会場内に入ったら食事などで外に出ることは許されず、長期戦になる。候補にとってスピーチの順番は非常に重要だ。

ニューハンプシャー州の民主党首脳陣は、公平さを保つために、まず主要候補をアルファベット順で紹介することに決めたようだ。そして、その間に他のスピーカーを挟むという方法だ。だが、前回のコラムでも書いたように、世論調査でトップ10位に入っていない候補が最初のグループに含まれていて、世論調査でも支援者の数でもトップ10に入り、有力候補とみなされているアンドリュー・ヤングは大会最後のスピーカーだった。ヤングが壇上に立ったときには、大部分の出席者が会場を去っていた。

このような不備はあったものの、候補者全員に、支持者が路上や会場前でにぎやかにPRをし、会場内のブースで政策を説明する平等な機会が与えられていた。

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Cakes連載『アメリカ大統領選、やじうま観戦記』が電子書籍になりました

11月8日の大統領選挙投票日の11日前になって、オクトーバー・サプライズが起こった(オクトーバー・サプライズについてはニューズウィークの記事をどうぞ)。

FBIが、ヒラリー関係のEメールについて新しい証拠物件が出てきたので調査を開始すると上院下院議会のリーダーに手紙で通知したのだ。内容は明らかになっていないが、ヒラリーの長年の右腕(血が繋がらない娘、とまで言われている)フマ・アバディーンと別居中の夫アンソニー・ウィーナー元米下院議員のEメールだと言われている。ウィーナーは、性的なツイートを女性に送って職を失ったのだが、最近になってまた女性に性的なテキストメッセージを送ってカムバックの機会を失っている。

この内容がヒラリーとどう関係があるのか、それが重要なのかどうか、調査がまだ始まっていないので、それすらわかっていない。つまり、「疑い」だけが報道されるという、ヒラリーにとって非常に不利な状況だ。

私が取材で知り合った民主党代議員がヒラリー陣営から直接得た情報では、これらのEメールは、ヒラリーが送ったものでも、ヒラリーが直接受け取ったものでもないという。

司法省は、この時期に選挙に影響を与えるような発表をしないよう指示したが、FBI長官ジェイムズ・コミーは、それを無視して行動したようだ。

オクトーバー・サプライズは、選挙に近くなればなるほど影響が強い。コアの支持者たちは動かないが、これまであまり注意を払っていかなった浮動票はそのときの感覚で選ぶ傾向が強いからだ。

2016年の大統領選挙は、ほんとうにゴシップ雑誌のようになってしまった。

Cakesで『やじうま観戦記』という連載を始めさせていただいたときには、日本に住んでいる人にわかりやすいよう、やじうま的に楽しめるものにしたいとピッチした。

しかし、2016年の選挙は、あまりにもエンタメ要素が強くなってしまった。それに暴力性も強くなった。

メディアは、女性の権利、LGBTの権利、人種差別、税率、公約実現に必要なコスト、実現した場合の経済的な影響、保護貿易なのか自由貿易なのか、その影響は?といった具体的な分析をせず、「各候補の公約が実現したら、このようなアメリカになる」というわかりやすい姿を描くことをしなかった。そのかわりに、候補の人間性だとかスキャンダルをセンセーショナルに語り続けた24時間ニュースメディアの罪は重い。

ジョージ・W・ブッシュが大統領になったことで、イラク戦争が始まったという歴史から、メディアも国民も何も学んでいない。

まだ結論は出ていないが、多くの意味で、非常に残念な大統領選挙だ。

Cakesでの連載を電子書籍にするにあたって、読み返し、振り返りコメントをつけていったのだが、しだいに泥沼状態になっていく様子がわかっていって、自分でも面白かった。

途中から興味を興味を抱いた方にも、ずっと追っていた方にも、「あのときは、こうだったのか!」という驚きや発見があると思う。

ぜひ、お読みいただきたい。

アメリカ在住の方はこちらかもお買い求めになれます。

*この電子書籍とは別に、真面目なかたちの大統領選挙の本も執筆中です。この本とは異なる内容ですので、どちらもお楽しみいただけると思います

政治オタクの告白

最近、アメリカ大統領選にからんで多くのコラムを書いているので、私個人の政治的立場と見解を情報公開しておこうと思う。

私はリベラル寄りだが、学生運動がまだ活発だった1980年前後の京都での大学生活では、(多くの異なるセクトに属する友人や知人がいたが)ノンポリを貫いた。ここには詳しい事情を書かないが、暴力的で自己満足な大学生の学生運動は、当時もそうだが、現在になっても嫌悪している。

私は、2004年の大統領選挙の予備選で唯一のイラク戦争反対候補だったハワード・ディーンを2003年の初めごろから支持していた。

だが、政治に興味を抱くようになったのは、もっと前のことだ。

無所属のバーニー・サンダース上院議員には10年以上前から好感を抱いており、2010年に彼がツイッターを開始したときからフォローしていた。

ヒラリー・クリントンは、彼女が「ユニバーサルヘルスケア」を導入しようとして孤高に戦って敗北したファーストレディの時代(1993年)から支持している。

私は昔から社会的にリベラル寄りだが、経済面では中道というか、現実主義者だ。

また、リベラルや民主党の政治家を全面的に支持するわけではない。保守とリベラルが意見を取り交わし、バランスを取ることが重要だと信じている。

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厳しい追求で知られる、MSNBCの政治キャスターのクリス・マシューズ。たまに腹立たしい発言があり、私は「フレネミー」と呼んでいるが、根本的に彼の知性を尊敬している。

 

1988年に会ったイギリス元首相のマーガレット・サッチャーの努力や決断力を尊敬しているし、2012年に共和党指名大統領候補だったミット・ロムニーは、マサチューセッツの州知事として前任者数人より良い仕事をしたと評価している。43代大統領のジョージ・W・ブッシュは史上最低レベルの大統領だと思っているが、その父親で41代大統領のジョージ・H・W・ブッシュは謙虚で尊敬に値する人物だと思っている。

同時に、イラク戦争前にヒラリー・クリントンとジョン・ケリーがブッシュ大統領を支持する投票をしたのは(理由はわかるものの)批判的立場で、オバマ大統領は人物としては尊敬しているが、中東政策については賛成していない。医療制度でも、もっと有効な人選をしてほしかった。

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マーガレット・サッチャー元イギリス首相(1988年)

ある政治家を支援しているからといって、その人物を「聖人」とみなすのは危険なことだ。支援する政治家のライバルや対立する政党の政治家を「悪人」とみなすのも、間違っている。ほとんどの政治家には「善と悪」、「奉仕精神とエゴ」が混じっている。そして、全員がキャリアのどこかで失敗をおかす。その失敗をどう活かすのかで、政治家の質が変わる。有権者は、それを含めた政治家の実績をしっかりと見るべきだ。

それが私の考え方である。

賛成する人もいれば、反対の人もいるだろう。

100人いれば、100とおりの意見があって当然である。自分自身も経験を積むうちに変わってくる。すると、立場を変える政治家に対する視線も変わる。「ああ、この人は学んだのだな」と。

政治オタクを長年続けていたら、そのあたりが見えるようになる。そして、何が最も大切なのかを秤にかけることも。

政治的に私と異なる意見の人がいるのは当然だと思っている。だが、自分が正しいと思っても、それを押し付けるのは、やめていただきたい。私もあなたの意見を無理やり変えようとはしないから。

私のコラムを読みたくないなら無視してくださればいい。「この世界には、自分と異なる考え方の人もいるのだ」と。
「ディバーシティを尊重する」というのは、自分とは異なる考え方の人と共存することでもある。それをお忘れなく。

日本に進出したいグローバル企業のために英訳したい本 『Twitter カンバセーション・マーケティング』

私自身も、ツイッターがまだこれほど広まっていなかったころに『ゆるく、自由に、そして有意義に』というツイッター術の本を出したこともあり、海外でSNSについて語ったり、指導したりすることがあります。

海外の企業の経営者やマーケティング専門家たちからは、「日本のソーシャルメディアの使い方は、英語圏とは違うのですか?」とよく質問されます。

私の答えは、「大いにあります。日本の使い方は非常にユニークです」。そして、彼らの次の質問は「じゃあ、どこが違うのですか?」です。

まず、英語のツイッターと日本語のツイッターでは、ひとつのツイートで書き込めることの量に違いがあります。アルファベット140字だけで表現できることには限りがありますが、日本語の140文字だと、うまく表現すれば短編くらいの内容を盛り込めます。

それだけでなく、ツイッターを利用して集団で盛り上がることや、拡散しやすい内容などは、日本独自の文化です。

そういったことを説明しても、なかなか彼らはピンと来ません。それがもどかしかったのですが、ビジネスライターの崎谷実穂さんが書かれた『Twitter カンバセーション・マーケティング ビジネスを成功に導く”会話”の正体』を読んで、「これだ!」と思いました。

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