「生きたい」と「活きたい」をかけているから「いきたい」がひらがななのだ。私もけっこうそんな生き方をしてきた。
京都で学生をしていた21歳のとき、子どものときから憧れてきたイギリスをようやく訪問し、社会人になってから貯金をためて短期間イギリスで暮らした。そこで出会ったスイス人の男性と結婚するつもりで、1ヶ月ほどスイスで暮らしたこともある。
だが、その夢が破れ、イギリスから直接東京に「移住」することになった。それまでアメリカに興味を抱いたことがなかったのに、東京で出会って結婚に至ったのはアメリカ人だった。約7年の東京生活の後、夫の仕事で香港に2年住み、家族と自分が「いきたい」場所を考えて、彼の故郷であるアメリカに移住した。
ボストン近郊での暮らしは20年を超え、生まれてから最も長く住んだ場所になった。つまり、生まれ故郷よりも「故郷」になったわけだ。
住んだ長さだけではない。それまで暮らした場所では地域に深く関わることはなかったが、現在住んでいる町では、積極的に学校のボランティアを引き受け、町の運営に関わる数々の委員会に参加し、政治活動にも加わった。親友と呼べる人は、アイルランドとイタリア移民の血をひく生粋のボストンっ子だ。
ここに至るのは簡単だったとは言えない。でも、今では、「この町ほど自分に合った場所は世界のどこにもない」と胸を張って言える。
米田智彦さんの『いきたい場所で生きる』の素晴らしいところは、積極的に自分で「いきたい」場所を決めた日本人の若者たちの体験談が詰まっているところだ。
彼らが選んだ場所は、日本国内であったり、外国だったりする。
それぞれに、自分が心惹かれる場所を選び、そこで暮らすための具体的な計画を立て、実行にうつしている。生半可な「あこがれ」で移住してハッピーエンドになるという無責任なエピソードではない。収入減やコスト増などの苦労を体験しながらも、それでも移住する価値があるという「希望」を見せてくれる。
移住先も国内だけで20箇所以上、外国で12箇所が紹介されている。よくあるアメリカやイギリスがないのもいい。お決まりの場所以外にも、自分に合うかもしれない場所はいくらでもあると思わせてくれる。
本書に登場する人はみな若い。読者は、「甘いなあ」とか「人生そんなに簡単にいくものか」と思うかもしれない。この中の多くは、10年後には異なる場所に住んでいることだろう。でも、それでいいのだと思う。
20代の私は、イギリスとスイスに住むことを真剣に考えて準備もした。でも、予想もしなかったアメリカのボストン近郊に住むことになり、今では、心の底から愛している。米田さんも本書で「東京を通過地点としてとらえる」ことを書いておられるが、どの場所も通過地点と考えれば、「学びの機会」であり「失敗」にはならない。
合わない場所で我慢して暮らしていると、窮屈で、息が詰まって死にそうになる日本人はいるだろう。若い頃の私がそうだった。思い切って外に出るリスクは高いけれど、何もしなくても人生にはリスクがつきものだ。どうせなら、価値あるリスクを取りたいものだ。
「簡単ではありませんよ」という警告を与えながらも、沢山の可能性と希望を見せているという点で、本書をぜひ若者におすすめしたい。