高校のボランティアはまるで同窓会

昨日と今日はレキシントン高校の合唱、オーケストラ、吹奏楽の春のポップコンサート。一年を通してコンサートは山ほどあるのですが、これはボストン・ポップのようにお菓子やドリンクをいただきながら映画のテーマ曲などを楽しむという催しです。いつもは着る服も規定があります(黒と白が基準)が、ポップのときはそれ以外の色です。とくに女の子のドレスは華やかで、それも楽しいところです。音楽そのものを楽しめるので、家族だけでなく、高齢者や将来子供に音楽をさせようかどうか考えている小学生の親子までやってきます。

公立学校ですから、これらの音楽や芸術プログラムを支えるのには資金が足りません。それを援助するための非営利団体がFOLMADS(Friends of Lexington Music, Art and Drama Students, Inc. )です。私もFOLMADSのボランティアとして演劇やコンサートのたびにドア番をしているのですが、これがけっこう楽しいのです。いろんな人が声をかけてくれますから。昨日も私がつけているFOLMADSのバッジを見て、フレンドリーなおじいさんが「FOLMADSとはなんぞや?」とたずねてきました。もともと物忘れが激しいうえに、ちゃんと覚えようという気がないもので、こちらはあやふや。「え~っと、Friends of Lexington Music….」まで言って、後は「ま、そんなところ」とお茶を濁したら「ははは」と勘弁してくれました。もっと短い名前にして欲しいところです。

もうひとつの楽しみは、しばらく会っていない人と再会できること。ついおしゃべりを始めて、仕事がおろそかになったり…

昨夜は12年ぶりという再会がありました。

一緒にボランティアをしていた女性の息子さん2人と私の娘が実は保育園の同窓生だったのです。

それ自体はそんなに不思議ではないのですが、彼ら2人と娘はJazzのプログラムで仲良くしていて、私はその子たちがどんなに優れた音楽家かということを娘からよく聞かされていたのです。しかも、コンサートで彼らのソロ(サキソフォンとギター)もちゃんと聞いて「すごい」と感心していたのです。そのうえ、一昨日彼らの近所を通りかかったときに「この近くに住んでいたアンドリューって男の子は4歳とは信じられないほど礼儀正しくて良い子だったのよ。今どうしているのかしら?」と話していたところだったのです。その子たちのお母さんに昨日再会するまで、あのアンドリューとこのアンドリューが一致しなかったのです。

娘にその話をしたら、「え~っ!私ネートとアンドリューを保育園のときに知ってたの?」とびっくりしていました。ちなみに、アンドリューは今でも「静かで礼儀正しい」男の子だということです。お兄ちゃんはまったく違う性格らしいので、「礼儀正しい」は後天性としても、「静か」は生まれつきのようです。

ひさびさに才能を殺さない教育を更新

リクエストが多いので、久々に「才能を殺さない教育」を更新しました。

そういえば、2年も怠けてたんですね。取材を始めたころにまだ小学生だった子が今では高校生。中学生ももうじき大学生です。あの当時に「この子は将来が楽しみ」と思った子が元気に楽しく暮らしているのを見て、嬉しく思っています。

お隣の高校生バンド

わが家と裏庭の林がくっついている隣家の高校2年生(年齢的には日本の高校1年生)は幼いときから芸術的で自学自習の形で音楽をやってきました。それもこの年齢にはめずらしくレゲエが好きで、土曜日になると友人と作ったバンドの練習をします。

それがあまりにも上手なので、夏の間は土曜日になると窓を開けて彼らの演奏を楽しんできました。シャイで完ぺき主義なスティービーがようやく満足ゆけるレベルに達したようで音楽を発表するようになりました。これはreverbnationに載せているスティービーのバンドJeffrey Terrace(これって近所にある小さなカルデサックの道の名前)の演奏です。スティービーの書いた作品で、ボーカルとギターも彼です。

http://cache.reverbnation.com/widgets/swf/15/widgetPlayer.swf?emailPlaylist=artist_396233&backgroundcolor=EEEEEE&font_color=000000&shuffle=&autoPlay=false

Jeffrey%20Terrace
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Walk the Walkの続編

高校生の娘が「日本語の読める同級生が読むから私のことをネタにしないでくれ」と言うのであんまり書かないようにしていますが、「あれ以降どうなっているのだろう?」と思っている方がいらっしゃるようですから、一応近況を。

娘は水泳チームを辞めました。

最初の現象は水泳仲間と気が合わなくなったことでした。娘は文学、音楽、政治、哲学に興味を持ち、高校の友人とはそういう話題で盛り上がるのに、別の学校から集まっている水泳チームの仲間は、「水泳かそこにいない者のゴシップ、または『ゴシップガール』とか『OC』といったくだらないテレビドラマのゴシップだけ」にしか興味がありません。そこで仲間の前で無口になりました。また、1日2時間程度を共有する車の中でナボコフの「ロリータ」を読んでいたところ、彼女より1年から3年年上の仲間たちの誰ひとりとしてこの本のことを知らず、質問されたので内容を説明したら「なんて変な本を読んでいるの!」とさげすみの目で見られたとのことでした。「そういうあの子たちが観ているのが『ゴシップガール』なんだから」と娘はフラストレーションをためていました。

次は競泳者としての素地です。毎年ニューイングランド地方の年齢別水泳記録の上位10人を招く「Top Ten Banquet」というお祝いの会があり、娘も8歳のときからずっと招待されてきました。その会では毎年オリンピック選手が招待されて講演するのですが、娘はそれらを聞いて「私もあの人たちのようにメダルを取りたい!」と思うことはなく、かえって「オリンピックに行ってメダルを取ったあとの彼らの人生はあまり魅力的ではない」と感じることのほうが多かったようです。

そういう素地があったうえに、高校生になって精神的に別の方向に成長し、水泳の特訓と学校の勉強はするけれどそれ以外のことに好奇心を抱かない仲間との隔たりがあっという間に広がったようです。娘は「1秒速く泳いだところで自分の人生で何の意味があるのか?」と疑問を口にするようになりました。

同時に音楽にもっと興味を抱くようになり、「Jazzもやりたい」と言い出したのが昨年6月のこと。吹奏楽団で演奏しているフレンチホルンはJazzの楽器ではないので、トロンボーンを選択し、6月末に学校から楽器を借りて夏の間練習し、9月に高校のJazzバンドのオーディションを受けたところ、まったく予期していなかった難関のJazz Ensembleに受かってしまいました。吹奏楽でホルンも続けていますし、演劇の舞台技術にも手を出し、水泳との両立はほぼ不可能になってきました。

中学生までの彼女があたりまえのように予期していた将来は、先輩たちのように「水泳を利用してより良い大学に行く」というパターンでした。けれども、彼女は「水泳がもう楽しくなくなってしまった」、「大学では水泳はしない」、そして「音楽の練習をしたいから、水泳チームをやめたい」と言い出しました。

長年にわたってチームの親たちから「水泳をしていなければ、わが子はこの大学には合格できなかった」という話を山ほど聞いてきた夫は、最初「せっかくここまでやってきたのに」と渋っていましたが、私が「あなたが彼女の年齢のときに大学入学のために嫌になったことを続けた?」とたずねると即座に考え直し、全面的に彼女の選択を応援することにしました。

それからまだ1年も経っていないのに、水泳の世界は遠い昔のことに思えます。昔のチーム仲間のお母さんたちから、「うちの長女はブラウン大学に入学が決まりました。練習場に大学のスカウトがよくきていて、次女はメールを沢山受け取っています。スカウトが解禁になる来月には直接コンタクトが来ると思います」と聞かされても、「この世界であれこれ悩まずに済む私はなんて幸運なのだろう」と感じるだけなのが、正直言ってとっても嬉しいところです。

水泳を辞めたおかげで娘の睡眠時間は増えたし、機嫌は良いし、学校であった面白いことを沢山話してくれるし、高校の友人やJazzの仲間には興味深い子が多いし、学校生活を100%謳歌している娘を見ていると、わが子に選択を任せることの重要さを実感します。娘も、「水泳は他に選択がないと思いこんで続けてきたものだけれど、Jazzは私がやりたくて選んだこと。だから努力するし、上達するのだ」と威張っています。

とはいえ、いつも彼女のアイディアを即座に受け入れるというわけではありません。

高校に入学したときに「水泳で時間がないから吹奏楽をやめる」と言い出した娘に、「レキシントン高校の音楽部門は全国から羨まれるほど。私が知っている卒業生が口をそろえて『これほど楽しいことはなかった』と言っているから、とりあえず1年やってみなさい。それで嫌ならやめればいい」としつこく勧めたのは私です。今ごろになって娘は「マミーは正しかった」と感謝しています。どこで押してどこで引くか、というのは常に難しい選択です。わが子をどれだけ知っているかにかかっているような気がします。

以下は娘が属しているJazz Ensemble(計17人で構成される、いわゆるビッグバンドです)の演奏サンプルです。

このバンドは、今年2月にニューヨーク市で催されたCharles Mingus High School Jazz Band Competition という高校ジャズバンドのコンペティションで多くの芸術専門高校を破り、2位になりました。その新聞記事。吹奏楽部門ディレクターのレナード氏は、技術よりもフィーリングを大切にし、ユーモアたっぷりで子供たちの自発的なやる気を育てるタイプの指導者です。それが私が娘に「音楽を続けろ」と勧めた理由のひとつです。

10_Perdido_take.mp3をダウンロード

07_the_shepherd.mp3をダウンロード

Darfur救済チャリティのSwing Danceにお越しください

今夜LexingtonのSt. Brigid’s ChurchでDarfur救済チャリティのSwing Danceがありますので、お近くにお住まいの方はぜひいらしてください。

主催グループの中心人物がLexington高校Jazz Ensembleでの娘の先輩で、娘も少々お手伝いしています。高校からはJazz EnsembleとBig Band、そして映画「My Best Friend’s Girl」に出演したプロのスウィングバンドBeantown Swing Orchestra(リーダーはLexington高校Jazz Ensembleの卒業生)が素敵なスウィングの名作を演奏します。最初にダンスのレッスンもありますから素人でも気楽に参加できます。

私も行きたいのですが、娘が「やめてくれ」といいますので去年にひきつづき私は運転手をつとめるだけです。

場所:St. Brigid’s Church (Map Quest)

2001 Massachusetts Ave  Lexington, MA 02421

時間:午後7時から10時

チケット:10ドル(学生はIDを持参すれば7ドル)。予約不要。

教会の裏に大きな駐車場がありますから、駐車の心配もありません。

追記:今日のBoston Globe紙の占いから。(うお座の娘に後で渡そうと思います)

Volunteering for something you believe in will help you in more ways than one. You will meet someone spectacular if you pitch in and help a good cause. Don’t give in too quickily to what may appear to be a simple request. happy01

Amanda Palmerのオリジナル演劇@レキシントン高校

来日したこともあるキャバレーロックバンドDresden Dollsのシンガーソングライター、Amanda Palmerによるオリジナル演劇With the Needle That Sings in Her Heartが、今日から土曜日までの3日間レキシントン高校で上演されます。

Palmerはレキシントン高校の卒業生で、これまでもずっと高校の演劇部門にはかかわってきたのですが、オリジナルは初めて。ですから彼女のファンの間でも期待が高まっています。

Lhs_play

私は今夜ボランティアでアッシャーをしますが、いつもと違ってPalmerファンが押し寄せる予定。そうでなくても毎年チケットは売り切れるのに、入れない人の対応をどうしてくれるんだ?というのが親ボランティアの心配です。Palmerのレキシントン用サイトやTwitterの反応を読むたびに、不安がどっと押し寄せます。

Walk the Walk

"walk the walk"ということわざは、“if you’re going to talk the talk, you’ve got to walk the walk”を短縮したもので, 「口先だけではなく、行動で示す」または「有言実行」といった意味です。 “actions speak louder than words” 、最近では"Walk the talk"とも短縮されています。
「あれをしろ、これをするな」と子を叱るくせに、自分ではそれを守らない親が沢山いますよね。教育の場にも沢山そんな教師がいます。私は子供のころそういう大人が一番嫌いだったので、親になったときにこれだけはしまい、と心に決めました。また、物心がついたころから娘にもこの信念を伝え、私がそれを破ったら即座に知らせてくれるように頼んできました。
娘によると、これまでのところまあ合格のようです。

娘が幼いころから私たちが言い続けているのは、「人生は競争ではない。あなたの人生はあなたの人生。私たち親のために学問やスポーツをするな。他人の評価を気にせずに、自分のやりたいことを選びなさい」というものです。
でも、実際はそんなに簡単なものではありません。
サッカー、ピアノ、フィギュアスケート、小学校時代の算数などでは、周囲からの(アジア系の親子からの)競争プレッシャーはありましたが、さほど苦悩することはありませんでした。でも、娘に多少の才能がある水泳と数学の分野では、"walk the walk"が何度か揺らぐことがあります。彼女は徹底的に他人の評価よりも「自分がやりたいこと」を優先し、挫折しても、「なにくそ。見返してやるぞ」といったハングリー精神がまったくないのです。ときどき私は、「もうちょっと努力すれば、もっとよい結果が得られるのに」と言いたくなります。でも、このフラストレーションは、彼女の人生を思ってのことなのか、私の親としてのエゴなのか、自分でもときどき判断がつきません。そこで私は苦悩するのです。

娘は13歳のときに中学校の推薦で大学入学選考に使われるSATテスト(普通は高校3年生の16歳か17歳で受験)を受け、まったく受験勉強をしていないにもかかわらず数学で700点(800点満点。4つのミスはすべてケアレスミス)を取りました。また、スタンフォード大学のThe Education Program for Gifted Youth (EPGY)のThe EPGY Mathematical Aptitude Testでは、logicの分野で全米人口のトップ1%に属するという結果を得ています。小学校低学年のときに同級生の誘いで2回だけ公文式に行ったことがありますが、教育方針が私の信念と合わないので即座にやめさせ、それ以降は公立学校の教育のみです。足し算と引き算はのろいし、よくケアレスミスをしますが、コンセプトに関しては、「難しいと感じたことは一度もない。教科書をちょっと読めば新しいことでもすぐに理解できる」と言います。テストのために勉強をしたことは一度もありませんが、ミスをしない限り常に100%の成績です。

娘が通っている公立学校では、中学校から数学に3レベルあり、高校では飛び級をできるシステムがあります。中学校3年生の教師から高校1年生の一番上のレベル(オナーズ)をとばして2年生のオナーズに進むことを薦められたのですが、当時の水泳チームで午前5時からの朝練習と午後8時半までの夜練習を強要されていたために、娘は「学校では楽をしたい」と飛び級をしないことを選び、私たち親もその決断を尊重しました。
ところがいったん高校に入り、オナーズレベルの代数学を始めてみると、新たに学ぶことがほとんどなく、しかも担当の教師は娘が間違いを指摘してもそれを理解できないというのです。数学的に「簡潔で美しい」答えにしたために「間違い」にされてしまったこともあるというのです。授業中全く何もすることがない娘は、自分の選択ミスを後悔し始めました。そこで私は「自分で決めたことなのだから、自分で対策を探してきなさい」と提言し、彼女は自分で数学主任との会見の約束を取り付けてきました。

数学主任によると、そのときはまだ学校が始まってまだ1週間たったばかりでしたが、2年生のオナーズクラスはすでに満員でクラス替えは不可能だということでした。
娘が与えられた選択肢は2つです。ひとつは、現在のクラスを受けながら、大学のオンラインコースで2年生で学ぶ幾何学を学び、両方のテストを受け、A以上の成績を取り、来年2年生の数学をとばして3年生のオナーズを学ぶことです。もうひとつの選択肢は夏休みに私立学校の夏コースを取り、2ヶ月で1年分の幾何学を学びテストでAを取ることです。娘の場合は夏休みも水泳の練習があるので私立学校のコースを取るのは不可能ですが、SATで一定の成績を取っているので大学のオンラインコースを取ることができます。けれども、学校で1年かけて学ぶ幾何学を自宅で6ヶ月で終えるオンラインコースを受けるとなると、すでに時間的に水泳と宿題の両立が難しい彼女にとって睡眠時間さえない生活になってしまいます。

娘の通う学校では飛び級のシステムがあるゆえに、さほど数学が得意でもなく、教師から薦められていないにもかかわらず、親が圧力をかけて飛び級をする生徒がけっこう沢山います。この学校では、1年飛び級すると、高校4年生(高校は4年制)でハーバード大学の延長クラスを受けるシステムがあるからです。彼女の仲良しサークルの友人のうち3人はすでに1年とばし、来年は2年とばす予定のようです。

娘は、それらを考慮した結果、またも「飛び級はしない」という結論に達しました。
「飛び級をしても、現在と同じ問題(数学ができない教師にあたる)が起こらないという保証はない。飛び級したからといって得られるものが大きいわけではなく、大学入学に有利になるから親がプッシュしているケースがほとんど。お母さんがいつも言っているように、高校生活は良い大学に入学するためにあるのではないし、そうあるべきでもない」というのが理由です。

「来年また後悔するんじゃないの?」と私はため息まじりに尋ねました。
彼女は、「水泳もして、吹奏楽とオーケストラもして、そのうえ数学を2コース取るなんてクレイジー。友達と会ったり、エレクトリックギターの練習をしたり、ロックコンサートにいく時間も欲しい。I want to have a life (私は人生を楽しみたい)」と答えます。

実は、娘は同じような理由で新しいチームに入ってから水泳の朝練習をすっかりやめたのです。
現在のコーチは、「もっと練習すれば速くなれるのに」とハングリー精神のない彼女を不可解に思っているようですが、今のところ放任してくれています。以前のチームでもっと速く泳いでいた娘は、全国レベルに達するようプッシュするコーチのプレッシャーで水泳そのものをやめたくなり、その結果現在のチームに移籍したのです。
片道1時間以上もかかり、しかもオリンピック選考会に行く選手がニューイングランド地方で最も多いチームに移籍するのを選んだくせに、2年前よりも遅くなった娘です。その彼女が、「速く泳いで水泳を憎むよりも、2秒遅く泳いでハッピーでいるほうがよい」と現況に満足しているのは、親としては複雑な心境です。

私はときどき娘にハングリー精神が欠けていることをどやしたくなりますが、わが身を振り返ると、宿題はしなかったし、自分のやりたいことしかやらなかった人間です。
「親の私がプッシュしなかったために、娘が人生の落伍者になったらどうしよう?」という不安を抱きながらも、「(子供を追い詰める)典型的なアジア人のお母さんにはならないでね」と言う娘の選択を尊重するのが、私にとっては"walk the walk"を徹底することなのだと毎日自分に言い聞かせています。

これはけっこう難しいことです。

レキシントン公立学校の音楽教育

昨夜、レキシントン公立学校冬期恒例の「オール・タウン・コンサート」にでかけてきました。
オール・タウンと言っても、音楽教育を受けている生徒が多すぎて全員を一度に集めることができなくなり、今ではいくつかのカテゴリーに分けて行われています。
昨夜は吹奏楽のパート1。町に6つある公立小学校のうち3校とそれらの卒業生が入学するダイアモンド中学校、そして町唯一の普通科公立高校レキシントン高校の吹奏楽団が演奏しました。今夜のパート2では、残りの小学校3校とクラーク中学校、そして高校の吹奏楽団だけが再度演奏します。高校が2度に分けて演奏するのは、小中学生たちに「将来は君たちもこんなに素敵な演奏ができるようになるのだよ」と印象づけるためです。

レキシントン公立学校では小学校4年生で弦楽器、5年生で吹奏楽器を希望者に教え始めます。そして中学校ではほぼ全員の生徒が音楽の授業として弦楽器、吹奏楽器、あるいは合唱を選択します。
小学校の吹奏楽団、中学校6年生の吹奏楽団、中学校7年生と8年生の合同吹奏楽団、というふうに学年で分けられていたものが、高校になるとオーディションで2つから3つの楽団に分かれることになります。

最高レベル(オナーズレベル)の「レキシントン高校吹奏楽団」は、MICCA(マサチューセッツ州指揮者協会)主催のフェスティバルで毎年金賞を受賞し、バークレー音楽大学主催のフェスティバルで1位、全米トップの吹奏楽団だけが招待されるディズニーのフェスティバルでフロリダへ遠征したりしていますが、さすがにオーディションは難関で、たったこれだけの生徒しかいません。選び抜かれた生徒の演奏はプロ並みで、ボストン・ポップのコンサートくらい楽しむことができます。(上手な子は本当に驚くほど上手です)
Lhshoners_band

オーディションを受けて拒否された生徒だけでなく、オナーズレベルになると毎日練習しなければならないから入りたくない(これは私の娘。楽器は学校に置いたままで家には持って帰らない)、という生徒もいます。そんな生徒にとっては、シンフォニックバンドに入るという手があります。
中途でLhs楽器を投げ出す生徒が少なかったのか、今年は120人を超える巨大な吹奏楽団になってしまい、ステージから溢れそうになっていました。
シンフォニックバンドで選抜された生徒による、コンサートバンドというのもあります。ここからまた新たに選抜された者(我が娘のようにやる気はあんまりないのだけれど、フレンチホルンという楽器が必要だから、というケースもあります)は、オーケストラも兼任します。

高校時代、音楽部(合唱団)に入っていた私にとって、複数の吹奏楽団、オーケストラ、合唱団、ジャズ・ビッグバンド、ジャズコンボ、アカペラ、マーチバンド、個人演奏、そしてミュージカル、と生徒の過半数が音楽に関わっている公立高校というのは心温まる存在です。

コンサートのスケジュールをごらんいただければ、どれほどこの町と公立学校が音楽教育に情熱を注いでいるかおわかりいただけるかと思います。
公立学校の資金のほとんどは町民の住民税でまかなわれています。
それを承知しているために、吹奏楽団とジャズを指導しているジェフ・レナード氏は、町民のための無料ジャズコンサートを毎年行っています。
そこには、車いすや杖をついてやってきた高齢者がいます。
レナード氏はコンサートの前に必ず「あなたがたのおかげで、このようにすばらしい音楽教育ができることを感謝しています」とスピーチします。
彼は、生徒から最も尊敬されている教育者でもあります。

早期英才教育は時間の無駄より悪い(その2)

ボストングローブ日曜マガジンの「How the push for infant academics may actually be a waste of time – or worse」という特集記事によると、National Institutes of Mental Health (NIMH)の研究者が5歳から19歳までの子供の大脳皮質の厚さとIQスコアの関係を継続的に調べた結果、「非常に優れた頭脳」のカテゴリーに属す子供の大脳皮質は、平均的な頭脳の子供に比べると、遅れて成熟することを発見した。大脳皮質の厚さがピークに達する年齢が、平均的な頭脳の子供が8歳であるのに対して、非常に優れた頭脳を持つ子供の場合は11歳か12歳であったのだ。研究グループの1人Jay Gieddは、グローブ紙の取材に対して、「これは"兎と亀"の物語のようなものです。2歳-これは馬鹿馬鹿しいレベルですが-で本を読めない多くの人々の多くは、2歳で本を読める子供たちに追いつくだけでなく、彼らを超えるということです」

誰でも、小学校で成績が悪かった同級生(なぜか多くの場合は男の子である)が高校で突然変身して優等生になったのを経験しているはずだ。それは、もともと才能ある彼らの脳が普通人の私たちに比べて遅れて成熟しただけのことだったのかもしれない。

テンプル大学のKathy Hirsh-Pasekは、このグローブ紙の記事で、カードを使って計算や綴りを1歳児や2歳児に教えるような早期教育は、neurological "crowding"という現象により正常な脳の発達をかえって妨げるという意見を述べている。これは、将来もっと創造的なタスクのために保存されているほうがよい脳の部分のシナプスを過剰な情報で"混雑"させてしまう現象だという。

これらの意見は、私が幼稚園のころから娘の通う小学校にボランティアとして入り込み、そのころ既に小学校高学年程度の本が読め、公文式教室に通っていた子供たちを、高校1年生になった現在まで継続的に観察した結果とに一致している。

幼稚園のころからボストン近郊の公文式教室(日本人経営のものではない)に通っていたアジア系の子供たちのうち、高校生になった現在、数学で突出した能力を発揮している者はほとんどいない。それどころか、小学生のころクラスで最も優等生とみなされていた彼らの多くが、能力別編成になる高校1年生の数学で3レベルの中間に属している。それとは対極的に、公文に通わなかったために同級生に比べると計算が苦手で、「私は算数ができない」と言っていた子が、教師から飛び級を勧められるほど数学が得意になっている。

これらの現象については「才能を殺さない教育」で詳しく語るつもりだが、グローブ紙の特集記事が指摘しているように、危険なのは、われわれが”兎”のパフォーマンスをあたりまえの基準として認めることで、“亀”が最初の走りでの評価を受け入れて、やる気を失ってしまうことである。将来歴史に残るような文芸作品を書く潜在的能力を持っている子供が、小学校1年生の担任教師から「読み書きができない」という評価を受け、「どうせ僕は読み書きが苦手なんだ」と思いこんで本に触ろうともしなくなったら、学校と他人の教育ママたちが、子供たちの潜在的能力を殺していることになる。これは、嘆かわしい現実である。

アメリカの公立学校

日本で知られているアメリカの公立学校のタイプは2とおりであろう。

ひとつはドラッグとバイオレンスが日常茶飯事の都市部のもので、もうひとつは才能のある子供を集めたマグネットスクールである。しかし、大部分の公立学校はこれらには属さない。

アメリカでの公立学校のユニークさは、地方自治体(市や町)の手作りだということである。国レベルの法律の影響は受けるが、運営資金にせよ、カリキュラムにせよ、ほぼ自給自足の状態なのだ。また、公立学校のレベルが高い州(マサチューセッツ州、ヴァモント州、コネチカット州、ニュージャージー州など)では、町の公立学校のレベルが不動産の価格を決める。また、町の安全性、住みやすさの指標にもなる。わが子を私立学校に入学させると決めている親でも、これらの理由から公立学校のレベルが高い町を選ぶのが慣わしになっているのだ。

別ページの「才能を殺さない教育」で、手作りのアメリカの公立学校のユニークさを語りたい。