才能を殺さない教育 第二章 成功の定義(その3)

大学進学に関するアジア系移民の誤解

アジア系移民の親たちとの会話からひしひしと感じるのは、アメリカでもっとも高い教育を与える大学はハーバードかMIT(あるいはアイビーリーグ大学のひとつ)であり、優れた才能がある子は必ずこれらの大学に入学するという思いこみである。彼らには、これらの大学で優秀な成績を取る頭脳があっても入学を認められない子やこれらの大学にはまったく興味がない子も(数多く)存在するのだということが想像もできないようである。
そして、これらの有名大学に入学できないと人生の落伍者になるという思いこみも典型的だ。
移民の親たちが子供に「勉強しろ。他人に負けるな」とがみがみ言うのは、自分たちもそんな環境で育ち、その結果現在の(成功した)自分が存在するという認識があるからだろう。
少なくとも、レキシントン公立学校を通してアジア系移民と知り合った白人のアメリカ人たちはそのように好意的に解釈している。
好意的な解釈はしても、肯定的にとらえているわけではない。「親の夢を叶えるためにプッシュされる子供がかわいそう」と同情する者や「わが家の教育方針とは異なるのに、学校での競争が過熱てうちの子がプレッシャーを感じている」と迷惑がる者が多い。
そういう親たちのことを、「白人の親は私たち(アジア系の親)のように頭を使わない。だから子供がばかになって将来よい大学に入れなくて後悔することになる」とあざ笑ったアジア系の知人がいたが、その知人の自慢の娘はハーバード大学だけでなくアイビーリーグ大学のいずれにも入学しなかった。大学側が拒否しただけでなく、本人も行きたくなかったのである。そして、小学校1年生で読み書きができず、計算が遅くて彼女の嘲笑の対象であった白人の生徒たちの何人かはアイビーリーグ大学に進学した。

この知人の娘がハーバード大学に入学していたら、ちゃん優秀な成績を取っていただろう。だが、彼女の夢はエリート軍人になることだった。空軍アカデミーでも優秀な成績を取った彼女は軍人として現在エリートの道を進んでいる。この例で私が言いたいのは、最初に述べたように、「これらの大学で優秀な成績を取る頭脳があっても入学を認められない子やこれらの大学にはまったく興味がない子も(数多く)存在するのだ」ということである。

まず、アメリカでは大学の“学問的”評価は、評価する者によって非常に異なる。
USA Todayの大学ランキングは有名だが、これは大学が与える学問の高度さを比べたものではない。入学した者のSATスコアの平均点と、志願者の数に対する入学を許可された学生数といった「入学の難しさ」の比較なのである。出願者と合格者の格差が激しいほど、ランキングは上がる。だから大学はランクを上げるために出願者を増やすためにマーケティングにエネルギーを注ぐのである。
雑誌やインターネットの大学ガイドの評価もまちまちだ。例えば「College Prowler」の学問的ランキングの第1位(2004年現在)は、日本ではあまり知られていないが伝統あるウィリアムズ大学で、それに続くのはスタンフォード、MIT、プリンストン、ダートマスである。ハーバードは7位のジョージタウン大学よりもはるかに下位の13位なのである。
それに、ハーバードのように大きな総合大学では、教授が直接学生を教えずに大学院の学生に講義を任せることが一般的である。それに比べ、リベラルアーツと呼ばれる小規模の大学では、必ず教授が学生を直接指導するために教育の質が高くなる。この4年間の差のために、有名大学院にはリベラルアーツ大学からのほうがアイビーリーグ大学からよりも入学しやすいとも言われる。

次の誤解は、アジア系の親が忠実に従う入学選考の要点である。
白人の親が指摘するように、アジア系の子供は幼いころからピアノと弦楽器を学び、公文式教室に通う傾向がある。中学生になると、夏休みに日本の塾に似たクラスや泊まりがけのキャンプで数学や科学の講義を受けるようになり、高校では標準テストのSAT準備クラスを受講する。
しかし、これらの戦略が実際に役に立つのはわずかな割合のアジア人でしかなく、残りの学生にとってはかえって逆効果になりかねない。

優れた高校に入学することの逆効果

日本と異なり、SATで満点を取っても有名大学に入学できる保証はない。ハーバード大学では、毎年SATで満点を取った学生を何十人も不合格にし、さほど有名ではない大学の合格者平均SAT得点よりも低い点数の生徒を受け入れている。

SATより重要なファクターは、人種と社会経済的なディバーシティ(多様性)である。
有名大学では、実社会を反映したディバーシティを実現するために、通常の入学選考では欠けるカテゴリー(経済的に恵まれない生徒やアフリカ系アメリカ人、ヒスパニック系アメリカ人など)の生徒を優先的に入学させる。マイノリティであれば有利かというと、そうではない。ハーバード大学とMITはアジア系の生徒に人気があるので、応募者も多い。大学はひとつのカテゴリーだけを増やしたくないので、アジア系の生徒同士が比べられることになる。一生懸命SATのために勉強をしても、高校で完璧な成績を取っても、ヴァイオリンとピアノを演奏できても、同じようなアジア人が何百人も入学を希望している状況では、それらが他のアジア系学生に比べて優れていないかぎりは、特別な能力とはみなされない。

それどころか、標準テストのSATを施行するCollege Boardの”The Downside to being an overachiever”
http://www.collegeboard.com/student/plan/high-school/extracurriculars/150225.htmlによると、むしろ大学はこれらの“overachiever(やりすぎの成功者)”を敬遠するらしい。5歳のころから寝る時間も惜しんでピアノの練習をしたとしても、「どうせ、大学入学対策として習ったのだろう」という批判的な目で見られてしまうというのだ。

加えて、レキシントン町には、子供を良い大学に入学させるために越してきたアジア系移民が予期していなかった「落とし穴」がある。
教育分野を専門にしているジャーナリストジェイ・マシューズの「Harvard Schmarvard」は、少数のスーパースターの生徒は別として、優れた高校に通うとかえって有名大学への入学のチャンスが低くなる事実を指摘している。なぜかというと、高校での生徒のランキングを大学が重視するからである。
有名私立あるいは第一章で説明した「マグネットスクール」では、SATスコアが満点に近い生徒が山ほど存在する。普通の町立公立高校であれば全校で1位か2位の成績ランキングだったはずの生徒が、マグネットスクールに入学したために全校で30位程度になってしまうことは珍しくない。大学は、SATスコアが多少低くても、マグネットスクールで30位の生徒ではなくて、普通高校の成績ランキング2位の生徒を取るのである。
レキシントン高校はマグネットスクールではないが、良い学校を求めて移住してきた者が多いために、マグネットスクールに近い環境ができあがっている。実際に、2007年のSATの結果は、私立とマグネットスクールを除くと、マサチューセッツ州でトップである。

それゆえ、他の学校であれば容易にトップに立てる生徒がレキシントン高校では“普通”のレベルになってしまう。APまたはオナーズ・クラスには人数制限があるので、クラスについてゆける能力に達していても自分よりも優秀な者が多ければそのクラスに入ることは許されない。また、オナーズ・クラスに入ると、皆が優秀なので、AどころかBを取ることも難しい。従って、よその高校であれば、大学の入学選考で最も重要だと言われる「高校で選択した授業とその成績」で卓越していたはずの生徒でも、レキシントン高校に行ったために「まあまあ」程度の結果しか提出できない。
マグネットスクールや有名私立と同様に、レキシントン高校からはかえって有名大学に入学しにくい可能性があるのだ。
(しかし、これは「良い大学に入学すること」を成功の絶対条件にした場合の「落とし穴」であり、子供自身の将来にとってはかえって良いことなのかもしれない。それについては別の章で述べることにする。)

One thought on “才能を殺さない教育 第二章 成功の定義(その3)

Leave a Reply

Fill in your details below or click an icon to log in:

WordPress.com Logo

You are commenting using your WordPress.com account. Log Out / Change )

Twitter picture

You are commenting using your Twitter account. Log Out / Change )

Facebook photo

You are commenting using your Facebook account. Log Out / Change )

Google+ photo

You are commenting using your Google+ account. Log Out / Change )

Connecting to %s