住民が手作りする公教育

まえがき

 

日本の学校で「いじめ」や「子どもへの性的虐待」のような不祥事が起きると、必ずと言ってよいほど同じ反応が起こります。

不祥事を起こした当人、管理責任がある校長、それを管理する教育委員会を、マスコミと国民が一致して非難し、糾弾します。「なんて不道徳な人間たちなのか!」、「こんな人間がいるなんて恥ずかしい」、「刑罰を与えるべきだ」という声がソーシャルメディアに溢れます。

けれども、何度も同じような事件がくり返し起こることをみると、根本的な問題は何も改善されていないのではないでしょうか?

なぜくり返されるのかというと、根本的な問題に取り組む人(というよりも「取り組みたい」人)が少ないからだと思います。

その理由は沢山あると思いますが、ひとつは、理想的な環境を作るために現場で学校や教育者を助けてくれる仲間があまりにも少ないからだと思うのです。

学校と教師は、身を張って子供たちのために頑張っても、褒める人も支える人もいません。それなのに、何かあると生きるのが嫌になるほど徹底的に非難されるのです。しかも、マスコミの報道は、すべてを伝えません。扇動的であればあるほど商売になるのですから。

 

もしあなたが教師や学校関係者だとしたら、どうしますか?

「問題が起きないように、なるべく何もしない」ことを選ぶようになるのではありませんか?

ひどい教師や学校関係者がいないとは言いません。どんな集団にも、心優しい人とそうでない人、勇敢な人と意気地なし、公平さを信じる人とずるい人が存在するものです。

「子どものためになんとかしたい」と思っている心優しい教育者もいる筈です。でも、彼らが一生懸命やっていても、「不祥事」に巻き込まれることはあるのです。私は、娘が通ったアメリカの公立学校で当事者のひとりとして実施に体験したことがあるので、学校関係者が自分を守るために「何もしないでおこう」という結論に達する心理は容易に想像できるのです。

 

では、どうすれば「いじめ」がなく、子どもたちが楽しく通える学校ができるのでしょうか?実現はまったく不可能なのでしょうか?

簡単な答えはありません。

でも、アメリカ合衆国のマサチューセッツ州に、その簡単でなはないことを試み、「いじめ」がなく、偏見がなく、子どもが安心して通える公立学校を作った町があります。

私の娘は、幼稚園から高校まで、この町の公立学校に通ったのですが、熱がある日でも「学校を休みたくない!」と駄々をこねるほど学校好きでした。そう思っていたのは娘だけではありませんでした。「学校が好き」という子がとても多い学校だったのです。

そして、高校を卒業するときには、いろんな文化背景を持った、いろんな人種の友だちができていました。人種の多様性があることで知られている大学に入学した娘が驚いたのは、そこがこれまで自分の通った公立学校ほど「多様性を受け入れていない」ということでした。大学に入って初めて「自分はアジア系なのだ」感じさせられたというのです。娘が通った公立学校は、子どもたちが人種の違いによる「いじめ」などを考えつかないほど「多様性」を自然に受け入れていたのでした。

誰がこのような公立学校を作り、どうやって維持しているのでしょうか?

 

これから(毎日の予定で)連載するルポは、主に1998年から2005年にかけて私がマサチューセッツ州レキシントン町の公立学校の関係者、保護者、生徒を取材して書いたものです。

日本とアメリカの仕組みは異なります。

ですからすぐにこの公立学校を真似することはできませんが、「信じる人が集まれば、何かが変わる」ということ、そして「自分にも変える力がある」ということだけでも感じていただければ嬉しく思います。

そして、難問に勇敢に立ち向かっている人を応援し、支えていただければ、さらに嬉しく思います。

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*注記

この記事は、主に1998年から2006年にかけて私がマサチューセッツ州レキシントン町の公立学校の関係者、保護者、生徒を取材して書いたものです(その後の取材による加筆あり)。公式記録に実名が出ているために隠す必要がない人と許可を得ている方人は実名です。場合によっては許可を得ている方でも仮名あるいはイニシャルの場合があります。

登場する方々の肩書きと年齢(学校の学年)は、取材当時のものです。

 

 

6 thoughts on “住民が手作りする公教育

  1. twitterでもフォローさせていただいています。
    いじめの問題屋不祥事に際して、学校関係者側の視点に立って、その心理は理解できる、という渡辺さんの意見はとても貴重だと思います。私が感じるのは、ある問題に直面した時に、被害者側が加害者(と思しき)側を糾弾したり、第三者が単純に一方の側に与するような意見をのべたりするのでは、一向に埒があかない、ということです。私自身も、例えば大津の問題に対しては「大人たち」への批判をこめた意見しか持ちえませんでしたが、改めて立場をニュートラルにしつつ、問題を考えていきたいと思います。
    今日から読み始めました。連載を楽しみにしています。

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  2. シュウさま、
    おっしゃるとおりです。
    私も第三者が加害者を糾弾するだけでは問題は解決しないと思っています。また、報道だけで事件を知っている人が口を出す危険も。そういう意味で、次の9章は多くの人にお読みいただきたいと思っています。今からまとめの作業です。

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  3. はじめまして、友人の紹介でこのサイトにたどり着いた者です。
    とりあえず一通り全部読ませていただきました。
    私はレキシントンの隣町(ベルモント)で中等教育を受けてきました。
    日本では、いじめの問題にしても同性愛の問題にしてもそうですが、周り(学校・カウンセラー・教育委員会などなど)に対象の人をバックアップするシステムがないんだな、と、近頃のニュースなどを聞いていて思います。
    この記事を見て、そして自分の経験を見て思い出すのは、もちろん人種差別や弱い者いじめなどはあるけど、保護者も学校もコミュニティもものすごく敏感であること。
    近頃の日本の学校や警察の隠ぺい体質からは考えられないですよね。
    この同性愛者の件は初めて知りましたが(ちなみにベルモントではここまでリベラルなことはなかったと思います)、マイノリティを地域で支えるというのも素晴らしいことだと思います。アメリカの保守の地域や日本だと、外国人は白い目で見られ、いじめられ、最終的には排除される。そういうことが起こりそうにないのは、すごく素敵なことだと思います。
    すごく親近感を持ちながら読ませていただきました。
    こういう社会が日本でも実現されるようになるといいですね。
    以上、長文失礼しました。

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  4. 川跡さま
    ベルモントにお住まいだったのですね。
    このシリーズに登場するモスカ先生もベルモントで育った方です。ワーキングクラスだった移民のお父さまが子供たちの教育のために無理をしてベルモントに住んだのだとおっしゃっていました。
    たしかにレキシントンは非常にリベラルです。リベラルだという噂があるので、リベラルな人が集まったということもあるようです。
    日本もいろいろな人にとって住みやすい国になってほしい。そう切に願っています。
    それを呼びかけたいと思っていたところ、このシリーズが書籍化されることになりました。
    近いうちに出版のお知らせをしますので、そのときにはぜひ応援してくださいね。多くの方に「コミュニティを自分たちで作ろう。変えよう」と思っていただきたいので。

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