ゆるく、自由に、そして有意義に「やりたい人がやるPTA」その3

本ブログで連載した『住民が手作りする公教育』の番外編として、PTAについて非常に興味深い提案をされている作家の川端裕人さん にお話を伺いしています。

今回初めての方は、その1から続けてお読みください。

 

対談その3「日本のPTAの悩ましき現実」


Kawabata日本の「なんたら委員会」には必ず定例会があって、学校に集まってますね。さすがに連絡用にメーリーングリストを作るのは当たり前になってきたみたいですけど、時々「誤配が怖いからMLはできるだけ使わずに!」という話が出てきます人について批判した内容のものが、全体に流れてしまったりして人間関係が悪くなるとか、ね。ほんと、メールってそういう用途の方に優先的に使われているんでしょうか。不思議です。

 

Yukari「誤配されて困るようなことは書くな」じゃなくて、「MLを使うな」とくるんですね(笑)。

親がその発想じゃあ、子どもに「他人の悪口を言うな」とか「いじめるな」とは言えませんよね。

 

Kawabataもう一点、非常に対照的だなあと思ったのは、やることが決まっていて「この指止まれ!」と集めたグループは、うまく行きやすいですよね。

 

Yukariそれ、よく分かります!

 

 

Kawabata日本のPTAは大抵、委員会を1クラス何人みたいに選ぶから、中には、嫌々だとか、実績づくり(やっておかないと批判される)のために参加する人がいるんです。すると、やる気に温度差ができるし、中心になる人たちがどれだけ前例に囚われない活動を楽しくやっても、「あの人たちがやりすぎて、わたしたちが大変だ」と感じる人たちも出てくる別にそういう人はやらなくていいから、完全に「手を挙げた人」だけでやって、集まらない委員会は廃止でいいんじゃないかとずっと言っているんですが、なかなかそうはならないですね。

 

Yukari「集まらない委員会は廃止でいい」は大いに賛成です。どうせそういうのは要らない委員会ですから。逆に、「やりたい人」が集まるのは良い活動ができる委員会でしょうね。

 

Kawabata実際、広報委員会など「手を挙げた人」でやるのにすごく適してますよ。ぼくのまわりなんかだと、編集者ですとか新聞記者ですとか漫画家ですとか、出版に関係する知人が多いわけです。そういった人が自分の子の学校でPTAの役を引き受けようと思った時、スキルが活かせるという意味で広報の仕事を引き受けがちなんですね。みんなプロですから、工夫して、いい広報誌を作ります。会員が読みたがっている内容を察知し、レイアウトや諸々の部分でプロの技術を惜しげもなく投入し、実際にPTA連合会の広報誌のコンテストで優勝したりするわけです。

 

Yukariそれはいいですね〜。私が同じ学校の保護者だったら大感謝です。

エスタブルック小学校やレキシントン町のボランティア活動もそうです。ファーマーズマーケットを一緒に始めたお母さんたちが小学校のフェアを担当したり、弁護士さんや広報専門家が校長に方針をアドバイスする委員会に属したり、ボストングローブ紙の写真家が卒業アルバムの委員長になったり、自分の職業や特技を活かせることを選んでいます。

 

Kawabataでもね、その時点で十中八九、かどうかは知らないけれど、ぼくがこれまで10人以上に聞いてきたショッキングな批判はこんなんかんじ。

「あなた(たち)ががんばりすぎたから、次の人(次の年の広報委員)が大変になる」

 

Yukari日本らしい発想ですねえ(苦笑)。

レキシントン公立学校のPTAでは、そんな苦情は一度も耳にしませんでした。PTA のみならず、その道のプロがボランティアを引き受けてくれると「助かった〜。ありがとう!」という100%感謝の反応です。

 

Kawabataぼくが本部役員やっていた時にも、別の役員経験者が、現役の広報部員に言うのを聞いたことがあるし、知人の経験としてももうたくさん。かなり一般的なことらしいです。お互いに発言を統一しているわけではないでしょうから、どこか似た発言が誘発される仕組みが背景にあるわけです。
勉強会やイベントを企画する「文化厚生」「教養」「家庭教育学級」といった系統の委員会に、代理店の人なんかが参加してばりばり差配したら、やっぱり「やりすぎ」と言われるんでしょうね。

 

Yukari出来が良くても悪くても、批判されちゃうんですね。それじゃ勝ち目なし(笑)。

みんなもう少し肩の力を抜けばいいと思います。PTAの仕事なんて、こう言っては申し訳ないけれど、多少出来が悪くても世界が終わるような惨事にはならないんですから(笑)。

レキシントン町のボランティア活動で最も感心したのは、「あなたのできる範囲でいいわよ。ボランティアしてくれているのだから、文句はありません」という一環した態度でした。やる気のある人に対しては、スキルの程度に関わらず、みんな優しいです。

 

Kawabata北米でPTA体験してきた知人がなにか熱心にやろうとすると「あなたはどうせ帰るんだから、重要な役はわたしにやらせて」と現地の人に言われた、というような話を何度か聞いたことがあります。
親の関与が、進学などの際に有利に働くという説明を受けたのですが、そういう実利(?)はあるんですか?

Yukariそれは私立学校の場合ではないでしょうか?
レキシントン町の公立学校の場合には、進学には関係ないです。小中学校は住んでいる区域で行く学校が決まりますし、ひとつしかない普通高校は住民の子どもであれば誰でも入学できます。

レキシントン町のPTAでは、むしろアジア人の保護者を参加させる対策を練っていました。「学校が良い」という噂が広まったせいで近年アジア系移民の生徒が30%近くまで増加したのですが、PTAに参加するアジア系保護者は少ないのです。私が関わっていた頃はまだアジア系が14%でしたが、PTAの会長から「どうすればアジア系の保護者にreach
outできるのか?」とよく訊ねられました。reach outとは、援助の手を差し伸べる、コミュニケーションを取る、関わる、そんな感じのニュアンスです。

アジア系の保護者に聞き取り調査をして浮かび上がってきたのは、母国の文化の差と「英語に自信がない」というふたつの問題でした。
「ボランティア活動」という観念があまりない国から来た方にその価値を理解していただくのは難しいと気づいたので、それよりも「意欲はあるが英語に自信がない」人が参加しやすい場を増やすことに尽力しました。

たとえば、Teacher
& Staff Appreciationで学校関係者に朝食や昼食をごちそうする催しや、国際ポットラックなどのイベントでは、「お国自慢」の手料理を持ってきてもらうことができます。イベントをオーガナイズするのは委員長と委員ですから、料理を持ち寄るボランティアには言葉を使う必要がありません。費やすのは料理を作る時間だけで、しかも教師や子どもに直接感謝してもらえる「やりがい」のある仕事です。

PTAの会長や委員長たちが、アジア系の保護者に対して「あなた方は役割を果たしていない!」と責めることはまったくありませんでした。あくまで「reach
outしたい」という姿勢です。これには感心しました。

Kawabatareach outって、よく言いますよね。ニュアンスとしては「手をさしのべる」ですか。最初から色々なエスニックグループがあるのが前提なら、そういう発想になりやすいかもしれませんね。
日本の保護者社会の場合、本当は信じられないくらい多様な人、家族がいるのに、違いが見えにくいのかもしれませんね。わりと見えやすい違いは、フルタイムで働いている女性、特に仕事をキャリアとして考えている女性と、家庭にいることにまず意義を見いだす専業主婦的なライフスタイルの女性。ほんと残念なことに、このあたりははっきり分断したり対立したりしてしまうことがあります。

Yukari私の義弟が住んでいるニューヨーク近郊のリッチな町では、働いていない母親と働く母親のPTAでの対立関係があるようです。
そこと状況がよく似たマサチューセッツ州の別の町からレキシントン町に越してきた私の友人によると、レキシントンはやはりアメリカの中でも特別なようです。

レキシントン町では「女性が働いているのがあたりまえ」という雰囲気があり、それが影響しているのかもしれません。
私がPTAで一緒に仕事をした人の職業をざっとあげると、花屋、造園業、ボイストレーナー、心理学者、公務員、大学教員、コンピューター技術師、建築家、アーティスト、広報…と千差万別です。
PTAの会長も、元投資銀行家だったり、大学教授だったりして、いわゆる典型的な「専業主婦」はいませんでした。仕事をしていなくても「一時的に休業中」というマインドセットであり、「みんな、忙しい。その中でやりくりしている」という了解のようなものがあったかもしれません。

そのためか、イベントの「お片づけだけ」というあまり時間のコミットメントがないボランティアの選択肢も沢山ありました。

フルタイムで仕事をしている保護者や言葉に自信がない移民の保護者のために、大きなコミットメントをする必要がない貢献の方法を提供しているんです。そうすることで、コミュニティの一員としての実感を得てもらうんですよ。「目から鱗が落ちる」発想でした。

Kawabataさっき言ったのと反するようですが、日本でも文字通りの意味での専業主婦って少ないと思いますよ。ぼくが知っている範囲で、まったく仕事せずに家庭にいる母親はとっても少数派です。とくに子どもが高学年以降になると平日昼間、週に何回か働いたりする人は多いです。だから、仕事するのは当たり前というのは、こっちでも当てはまるんです。違いは、仕事をキャリアと捉えるかどうか、というところかなとぼくは感じているんですが。

 

Yukariああ、なるほど。「仕事をキャリアと捉える」と、それが自分のアイデンティティの一部になるわけですよね。なんとなく、分かるような気がします。

Kawabataで、日本のPTAで典型的な「時間がない人でもできる活動」にベルマークの収集整理係みたいな役があるんですね。これ非常に効率の悪い作業で、ある人が計算してみたらかけた人手の時給換算が100円以下だったと。この作業は単純だし家でもできるから楽だということで、フルタイムで仕事をしている人が手を挙げることがよくあるんですが、あまりに効率悪くて驚いている場面を見てきました。もともと委員とか係とかたくさんありすぎるんだから、わざわざやる必要はあるのかと聞いたら、「ベルマーク係しかできない人もいるからそういう係も必要」と言われたことがあります。

これぼくだけじゃなくて、日本全国で似たことを言われた人がいるようでして(笑)。さっきの広報委員会の「やりすぎ」じゃないけど、もう何度、人の体験談としても聞いたことか。

 

Yukari聞いているだけで辛くなります(笑)。

先にお話したように、転入生とその家族受け入れプログラムが、時間がかかるだけで役に立っていなかったのです。でも、それを指摘したら簡単に変更できました。アメリカ全体はどうか分かりませんが、少なくともレキシントンでは、非常に「合理主義」でした。

ベルマークって、担当者が家族や自分のための時間を犠牲にする価値があるほど、学校や生徒の役に立っているのですか?

 

Kawabata何年かに1度、児童の役に立つものを購入しても、加入企業の商品しか選べないとか非常に制約が多く、フラストレーションが溜まります。実際にベルマークの整理をしている人が購入するものを決められるわけでもなく、単に参加実績のための係になってしまっている感があって、それと、先ほどのreach
outの間にはどういう差異あるのだろうと、ふと考えてしまいますね。

 

Yukari「やりすぎ」とか「ベルマーク係しかできない人もいるからそういう係も必要」と言う人に、そのあたり、ぜひ考えていただきたいですね。

そういう発言は、誰のためなのか? 

保護者ボランティアを不愉快、不幸にしてまで得たいものは何なのか?

実は、私もPTA活動を通して、日本人ならではの失敗をしたことがあるんです。そこで、大事なことを学びました。

(つづく)

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