住民が手作りする公教育13(最終回)

12章 守るべきもの

レキシントン公立学校高校生と卒業生を取材したとき、「記憶に残っている良い教師」として名前があがったのは、独自のユーモアがあり子どもと心を通わせるのがうまい先生たちでした。けれども、なれなれしい態度で接するわけではなく、生徒の人格を尊重しているのが伝わっているのです。

意外だったのは、「教える教科に実際に興味を持ち、知識があり、教えることに情熱を抱いている」のが子どもたちにとって最も重要な教師の資質だったことです。

「あの先生は良い人だけれど、教える教科の知識が不足している(あるいは、教え方が下手)」というネガティブな評価を受けた教師が山ほどいたところをみると、やはり教師の本質は「教える」ことにあるのでしょう。

 

レキシントン高校のマーチングバンド(吹奏楽団のメンバー)

多くの生徒と保護者が「尊敬している教師」としてあげたレキシントン高校の音楽ディレクター、レナード先生

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住民が手作りする公教育12

11章 善意が正義に罰されるとき

 

10章でご紹介したレキシントン町の*No Place For Hate(文中NPFHと省略)プログラムは、2000年にスタートしたときから実り多い活動をしてきました。

町議会などでの討論を険悪なものではなく建設的にするためのガイドライン「Guidelines for Civil Discourse」を作成し、司会役を勤める人々を教育するワークショップ「Leading and Conducting Effective Meeting Workshop」を企画し、キング牧師の栄誉を讃える記念行事を運営し、警察官や消防署員が多様性のある住民に対応できるように「ディバーシティ・トレーニング」を行い、町で諍いが起こったときに即座に対応する「緊急対策チーム(The Incident Response Team)」を設立させ、前章のような危機にはコミュニティをまとめる指揮を取ってきたのです。

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住民が手作りする公教育11

10章 支え合うコミュニティ

学校がマスコミから糾弾される事件がおきたとき、多くの場合、地域の住民も一緒になって非難する側にまわります。また、学校と警察、学校と保護者は敵対関係になりがちです。

学校関係者は情報を隠したり、責任を回避したりしますし、追いつめられると自分では悪くないと思っていても全面的に謝罪します。

けれども、保護者の逮捕をきっかけに全米からの悪意にさらされるようになったレキシントン公立学校とエスタブルック小学校のコミュニティは異なる行動を取ったのです。

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住民が手作りする公教育10

 9章 努力していても「不祥事」は起こる

日本の学校で不祥事が起きると、必ずと言ってよいほど同じ反応が起こります。

不祥事を起こした当人、管理責任がある校長、それを管理する教育委員会を、マスコミと国民がよってたかって非難し、糾弾します。マスコミが小出しに出てくる情報をテレビや新聞、インターネットで知り、あたかもその場にいたかのように他人に伝えます。むろん、実際に深刻な問題があることもあります。けれども、巷に広まってゆくのは、もともと疑わしい情報に推測や創作が加わった「真実」なのです。

お茶の間で、職場で、ソーシャルメディアで、「なんて不道徳な人間たちなのか!」、「こんな人間がいるなんて恥ずかしい」、「罰を与えるべきだ」、「許してはならない!」という怒りの声が盛り上がります。「責任者は謝罪しろ!」と求め、謝罪すると「謝罪のあの台詞が気に入らない!反省していない!」とさらに怒ります。

こんなに正義感が強い人が多いのですから、マスコミが彼らの怒りをかきたてることで、きっと理想的な社会が実現することでしょう。少なくとも怒りの拳を振り上げる人はそう信じているはずです。

でも、現場の事情を知らず、現場に行って長期的に力を貸すつもりがない人たちの「正義感」にどれだけ効果があるのでしょうか?

それを考えていただくために、ぜひこの実話をお読みいただきたいと思います。

【注意】この章を読む前に、必ずこれまでの章をお読みください

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住民が手作りする公教育9

8章 「数学に強いレキシントン」の謎

レキシントン公立学校が「数学に強い」という噂はあるのですが、少なくとも私の娘が小学校に通っているときには特別なプログラムはありませんでした。最高学年の5年生の担任ロビンソン先生は娘に文章を書く情熱を植え付けてくれた素晴らしい教師でしたが、算数が苦手だということは本人も生徒も認めていました。

ほかのクラスでも特に算数が得意な先生はおらず、小学校だけだとアジア諸国に比べて遅れていたといえるでしょう。

けれども、ダイアモンド中学に入学したとたんに状況ががらりと変わったのです。

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住民が手作りする公教育8

7章 「なにができるか、やってみようじゃないか」の時代

先の章でお話ししたように、1950年代から60年代にかけて、ハーバード大学やマサチューセッツ工科大学の教員たちが緑の多い環境を求めて郊外のレキシントン町に移住してきました。

この町の住民で元エスタブルック小学校校長のデイヴィッド・ホートン氏は、その時代を懐かしそうに振り返ります。

「当時の米国東部はみなそうだったのですが、子どもの人口が増加し、州のスタンダードというものはなかったのです。非常に革新的な時代で『何ができるか、やってみようじゃないか』という自由な熱気に満ちていました。レキシントン町が独自のカリキュラムを持っていただけでなく、それぞれの学校がカリキュラムを自分たちで作っていたんですよ」

 

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住民が手作りする公教育7

6章 差別や偏見が「かっこわるい」高校

 

エスタブルック小学校には、前章でご紹介したような多様な文化的背景の家族だけでなく、同性カップルや、外国から養子を引き取った家族、シングルマザー、祖父母に育てられている子供など、一般的な家族像には当てはまらない家族もたくさんいました。

それらの子供たちが学校で差別されたり、いじめられたりしないようにするためには、子供だけでなく親も含めた教育をするべきだと「反偏見委員会(通称ABC)」のメンバーたちは考えていました。

教育といっても「教えてやる」という態度では親の反感を買うだけです。そこで、委員会が思いついたのが、「ディバーシティ(多様性)・バッグ」です。

エスタブルックに通う子供たちが自分と同級生たちの違いを理解し、受け入れられるように、外国の文化や伝統を紹介する本や世界各国の料理のレシピ、ゲーム、ユダヤ人とキリスト教者の間の心温まる交流を描いた絵本、エスタブルックに存在する異なる家族を紹介する絵本などを年齢に応じて選びます。それらをトートバッグに入れた「ディバーシティ・バッグ」を教室に設置し、希望する子どもに家に持ち帰ってもらい、親子でそれらの本を読んで語り合う機会を持ってもらうというものです。教育熱心な親が多いので、こういった特別な宿題を喜ぶ人がけっこういるのです(ただしこれはオプションであり、持ち帰る義務がないことは学年の最初から親に通知してあります)。

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