2012年東北訪問記、その8「志を同じくする仲間が集まったからできること」

気仙沼からいったん東京に戻った私は、二日後に再び東北に向かいました。

星槎大学教授の細田満和子さんと星槎グループのご好意で、相馬市と南相馬市の訪問に同行させていただくことになったのです。


細田満和子さんは、東京大学大学院で社会学の博士号を取得された後、日本学術振興会特別研究員を勤められ、その後コロンビア大学メイルマン公衆衛生大学院ハーバード公衆衛生大学院で研究を続けておられました。私が細田さんと知り合ったのは、彼女がハーバードで研究されていた頃です。

2012年にいったん帰国された後でボストンを訪問されたときに星槎大学共生科学部の教授に就任されたとお聞きしたのですが、「星槎大学」のことを知ったのは、そのときが初めてでした。いただいた資料を読むだけではよく理解できなかったので、星槎大学や星槎グループについては、理解も先入観もまったく白紙状態で同行させていただいたのです。

 

南相馬市については、海外でも有名になった市長のYouTube ビデオ映像ほぼ日の記事(私には永田さんの記事の印象が強かった)を通じて知った方がいるかもしれません。けれども、現地を訪問したことのない私のような人にとって、南相馬市のイメージは、地震、津波、原発、放射線、というキーワードで作られているといっても過言ではないでしょう。特に、最後のふたつの。

 

ただのイメージを短期間の訪問で現状把握に変えるのは不可能ですが、訪問しなければずっと知らずにいただろうと思ういくつかの学びがありました。

 

ひとつは、「被災地はそれぞれ異なる問題を抱えている」ということです。

異なる問題があるから、復興の状況も、スピードも異なります。

南相馬市の場合には、先に訪れた気仙沼市と異なり、放射線の問題を抱えています。けれども、訪問するまで気づかなかったのは、震災前から存在した教育と医療の問題が、震災を機にさらに深刻化しているということでした。

気仙沼市には、国際的な港町だからこその逞しさが感じられました。「あなたも、頑張りなさい」とこちらがはっぱをかけられるような、底抜けの明るさと活発なエネルギーは、もともとそこにあったものでしょう。けれども、南相馬市にあったのは、自分よりも助けが必要な人のために自分の欲求を我慢して尽くす、静かで粘り強いパワーでした。

 

私の心を強く揺すぶったのは、南相馬市鹿島小学校内の仮設校舎で教育を続けている南相馬市立小高中学校の遠藤弘通校長や先生たちの生徒への愛情でした。

 

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鹿島小学校内の敷地にある小高中学校の仮説校舎

 

小高中学校の生徒が住んでいた地区は避難区域で、震災後は学生数がごっそり減っていました。けれども、今では他の学校にうまく馴染むことができなかった生徒たちが戻ってきています。

子どもたちが戻ってきても、以前と同じというわけではありません。場所は仮設校舎ですし、教師も前と同じ顔ぶれが揃ってはいません。教師の多くは生徒数が激減したときに他の学校に移動させられてしまい、生徒たちはそれを「先生に見捨てられた」と感じたようです。むろん教師たちの選択ではないのですが、多感な年齢の中学生たちには、理屈では納得できない不信感を与えてしまったようです。

 

前に向かって足を踏み出せない理由のひとつは、「また昔の家に戻れるかもしれない」という諦めきれない思いのようです。

震災直後から地元に移動して援助を続けている星槎グループの精神保健福祉士 吉田克彦さんの案内で避難区域である小高地区(現在、立入りは許可されているものの、住むことはできない)を車で巡ったとき、地元の方の次の言葉の意味が分かりました。

「いっそのこと家がなくなってしまっていたら、あきらめがついたのでしょうが…」

 

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まるでまだ人が住んでいるような町並

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津波の影響がなかった場所は、今でも人が住み続けているような風景なのです。

 

信号機も復活していますが、水道は繋がっていません。

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そこに戻ることができる日の目処も立っていません。

家がそこにあるがために、きっぱりと諦めて前に進む覚悟が出来ない人がまだまだ沢山いるというのです。

 

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津波が押し寄せた場所は、まだそのまま爪痕が残っている

 

過去にこだわらず前に進む覚悟はとっくにしているけれど、あきらめきれずに残っている家庭の子どもたちのために残っているひとりが、小高中学校の養護教諭の井戸川あけみ先生です。

井戸川先生は、家庭の問題を抱えていて親にも相談できないでいる子ども達にとってことに大きな心の支えになっているようです。保健室でお話を伺っているときにも、何人も子ども達がやってきました。彼らが先生に甘えたがっていることが分かります。

生徒が全身で寄りかかっている井戸川先生ですが、彼女自身も家を失った被災者です。彼女自身にも辛い思いがあるのです。

子どもたちが抱える心の重荷を引き受ける彼女の心の支えになっているのが、継続的に小高中学校を訪問している星槎教育研究所 所長の三森睦子さんでした。

 

井戸川先生は、星槎グループの支援について「プロに入ってもらうと、親御さんにも納得してもらえますし、私たちも頼ることができます」と心から感謝されているようでした。

「支援が継続的である」ことの重要性は、いたるところで耳にしました。

多くの大学や専門家が心のケアのために訪問してくれたのですが、同じ質問をくり返してはそのフォローアップをせずに消えてしまうのでフラストレーションがたまっていたようです。避難所に「心理カウンセラーお断り」という張り紙が貼られたという話も耳にしました。

けれども、星槎グループは震災の翌月の2011年4月から現地に職員を送り込み、相馬市に宿泊施設を設けて長期滞在をしています。

相馬市と恊働で心理ケアを継続的に行っているNPO法人「相馬フォロワーチーム」は、星槎の名前をいっさい使っていませんが、中心的に支援をしているのは星槎グループの教員やスタッフです。 

星槎グループにこれができるのは、一代で幼稚園から大学までの教育機関を作ってしまった会長の行動力とカリスマ性によるところが大きいのではないかと思いました。

 

星槎名古屋中学校の教頭 安部雅昭さんは、真っ先に現地に駆けつけたひとりでした。

通勤中に星槎グループの宮澤保夫会長から電話がかかり、24時間で使い捨てなければならないコンタクトレンズのままで相馬市に向かい、そのまま1週間被災地で過ごしたというのです。三森さんも、吉田さんも、そして細田さんも、宮澤会長の情熱に動かされて星槎グループに加わった人々です。

 

心のケアの専門家の中でも、被災地でのケアの方法については異論があるようです。それは、仕方のないことだと思いますが、星槎グループの内部では意見が分かれていないようです。

それについて質問したところ「志が似た人が雇用されているからじゃないですか」という答えが戻ってきました。

 

寄り添うような支援」の効果を上げるコツはここにあるのかもしれない、と私は思ったのです。

 

気仙沼でも、アメリカの公立学校でも、うまくゆくのは、志を同じくする仲間が助け合うときです。

でも、組織の規模が大きくなってしまうと、志が同じ人ばかりではなくなり、決定のためにコンセンサスを得るのが難しくなり、ルールのほうが目標よりも重要になりがちです。星槎グループの場合は、会長が個人的に「志を同じくする人」を選んでいるので、地元の人と語り合いながら、地元の人が求める心のケアを続けることができるのでしょう。

 

この日はちょうど 「食に関する授業研究会」が行われており、生徒に「放射線から身を守り、健康な生活を送るため」の生活指導をする授業を参観させていただきました。

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その後研究会も見学させていただいたのですが、「頑張っている人たちは、本当に頑張っている」という当たり前のことを、ここでも感じたのでした。

*参考サイト

南相馬市学校・保育園給食食材放射能分析の取り組み

 

井戸川先生の保健室でいただいた給食は、お世辞抜きで本当に美味しかったです。

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貴重な機会を与えてくださった細田満和子さんと星槎グループのみなさんに、心から感謝しています。

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