極めていないけれど飽きっぽい私がおおいに同感する本、『極めるひとほどあきっぽい』

私はよく受ける質問に「渡辺さんの職業はいったい何ですか?」というのがある。

簡単そうで、とても難しい。なぜかというと、いろんなことをやっているし、それぞれあんまり極めていないからである。日本ではよく「あきっぽい」と非難された。「嫌な場所でも、もっと我慢して長く続けるべきだ」と忠言してくれる人もいた。

黒柳徹子さんの『窓際のトットちゃん』によく似ていた私は、たしかに落ち着きがなかったし、あきっぽかった。だから、窪田良さんの『極めるひとほどあきっぽい』のタイトルに興味を抱いた。

 

著者の窪田さんは、日本の小学校で劣等生だったのに、10歳のときに移住したアメリカ ニュージャージー州の学校で突然優等生に変身した。暗記力が評価される学校では抑えつけられていた才能が、自分で考え、疑問を抱くことを評価される学校に移り、花開いたのである。

その後帰国して医学部に進学し、研究を極めた後に望んで眼科医としての臨床の腕を磨いた窪田さんは、今度はアメリカに渡って失明を撲滅する新薬を開発するためにバイオベンチャーの起業家になった。

ふつうの日本人男性なら選ばない人生である。

でも、窪田さんの説明を読むと、すべての決断が当たり前のように感じる。「あきっぽい」人は、実は、好奇心を抱いたことには超人的な集中力で挑む人でもある。そして、納得できるまでとことんやったら、次に好奇心を抱いたことに進むのである。その結果、チャレンジしない人よりも濃い人生になる。私の夫もこのタイプだが、どのチャレンジも他人に押しつけられたわけではないので、徹底的に楽しむのである。クロストレーニングについての窪田さんと夫の考え方もまったく同じであり、本書がわが家での会話の続きのようでじつに親しみを覚える。

彼らの生き方が教えてくれるのは「他人の常識に従って我慢し続ける人生は勿体ない」ということである。

私は窪田さんのようにスケールの大きなチャレンジはしなかったし、なにも極めていない。だが、「あきっぽさ」のおかげで、多くの仕事を経験し、短期間とはいえそれらに熱中することで新しいスキルを身につけてきた。それらは、今になって意外なところで後に役立っている。

日本の若者には想像しにくいかもしれないが、いろんな生き方が可能なのである。

他人の目なんか気にしないほうがいい。うっかりすると人生を無駄にしてしまう。

どうせ努力するなら、自分が選んだ人生を楽しむために努力したほうがいい。

そう考えさせてくれるおすすめ本である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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