2025年の目標は「自分に優しくすることで他人にも優しくなる」

2022年の終わりごろ、私は心身ともにとても疲れていました。Covidの影響もありましたが、ともかく忙しくて睡眠時間も十分に取れずにいたことがあります。その忙しさの大半は夫や娘夫婦の援助であり、残りの時間で執筆と翻訳を片付ける、という感じでした。それに加えて人間不信になるような出来事があり、これまでの生き方を少し変えたくなっていました。

そこで、2023年の目標を「自分のマインドセットを『家族の心身の健康と成功のために、自分の時間を提供する』ことから『自分のために時間を費やすことを優先する』に切り替えることにしました。

その目標を達成するために選んだのが「社交ダンス」でした。それまでもダンスは好きで、ちょうどCovidで自宅待機を命じられた60歳の誕生日には自学自習でエレクトロ・スウィング・ダンスに挑戦したりもしました。

けれども、本当は子どもの頃からちゃんとしたダンスを習ってみたかったのでした。これまでも何度か夫に「一緒に社交ダンスを習おう」と提案してきたのですが、「僕はリズム感ないからダンスはできない。やりたくない」と拒否されます。だから自分ひとりで習うことに決めたのです。

そのようにして2023年1月、ゼロから始めた社交ダンスですが、8月に初めて挑んだコンペティションで初級レベルの「アソシエイト・ブロンズ」で総合1位をいただいてすっかりはまり込んでしまいました。

2024年の1月から新たに始めたのが社交ダンスのドレス作りでした。レベルが上がっていくと、競技で着るドレスの価格は6500ドル(約百万円)くらいになります。しかもじきに10着くらいは必要になるらしいと知り、「自分で作ることはできないものか」と思ったのがきっかけでした。

裁縫は苦手なのですが、アートの制作は好きなので、裁縫ではなくアートでの挑戦というふうに発想を切り替えたのです。そして、いろいろ調べてオンラインでのコースで学び、ドレス作りを始めました。

最初のうちは失敗ばかりでしたが、デザインや布を考え、それを実現する途中で発生する問題を解決することの面白さにすっかり魅了されてしまいました。何も知らない別のスタジオのダンサーから「そのドレス素敵ね」と褒められたりして、少し自信もついて来ました。今では、ダンスと同様に自己表現の快感を覚える趣味になっています。

以下は、2024年に作ったドレスの数々です。
競技用のドレスと、ソロパフォーマンスのドレスでは目的やルールが異なるので、それぞれ異なる作り形をしています。

社交ダンスを始めてから最も変わったのは、『自分のために時間を費やす』ことをかなり優先できるようになったことです。これまでは夫や娘夫婦の期待を裏切ってはいけないような気がしていたのですが、私が「その日はダンスがある」というと「それなら別の方法を探す」とすんなりと受け入れてくれるようになったことです。そして、仕事もかなり減らし、新たに「60歳からのしゃる・うぃ・ダンス」、「分断と連帯のスラング」という2つの連載を始めました。

この結果、私は心身ともに2022年よりずっと健全になり、夫や娘夫婦、義母たちとの関係も良くなったと感じています。

リンクのビデオは2024年のダンスの記録です。

●ひとつ上のレベル(フル・ブロンズ)に上がってすぐの2ダンス競技で1位になった時のパフォーマンス(ダンス歴1年3ヶ月)
●ゼロから始めて1年3ヶ月後のソロ・パフォーマンス
●ゼロから始めて1年5ヶ月後のソロ・パフォーマンス
●ゼロから始めて1年9ヶ月後のソロ・パフォーマンス

学べば学ぶほど、自分の粗が気になるのは辛いですが、面の皮を厚くするのも上達のコツではないかと思うようになりました。

私はアーサー・マレーで社交ダンスを始めたのですが、このフランチャイズは厳密なシラバスがあり、コアになっている8つ(フルブロンズは10)のダンスすべてでそのレベルをマスターしないと上に上がれないシステムです。また、スタジオそのものに「このレベルに達成するためには何年もかかる。急ぎすぎるな」という態度があり、やる気があるダンサーでも上のレベルのステップを教えないのが掟です。そのために「お金もうけの商業主義だ」と憤慨して他のスタジオに移るダンス仲間が多い年でもあったのですが、私は「必要なことは宿題して達成するので、上に行かせてください」と先生たちにお願いし、必要なトレーニングを積んで新年には上のレベルに進むという計画になっています。そのいっぽうで、「貴女はできるのだから、どんどん挑戦するべき」とシルバーやゴールドレベルのルーチーンをやらせてくれる別の先生のスタジオにも通っています。

もうじき65歳になる身体は急速に衰えていくので上達するまで10年も待てないということもあります。それ以上に「仕事ではなく遊びでやっていることなのだから、自分が楽しめる方向でやらせていただきます」というのが本音です。そこで、現在ではアルゼンチン・タンゴやリンディホップを専門に教える先生がいる複数のスタジオで、合計10人くらいの異なる先生から合計23種のダンスを習っています。

また、これまで夫や娘のために誕生日や各種達成のパーティを数え切れないほど企画してきたのに、誰も私のためにパーティを企画しないことに不満を覚えていたのですが、65歳になる2025年は、自分で自分のパーティを企画することに決めました。

私が企画する65歳のバースデーパーティはダンススタジオを借り切っての「ダンス・ショーケース」です。私だけでなくダンス仲間たちは踊るのが一番の楽しみなので、タダでパフォーマンスできるこの機会を楽しみにしてくれています。また、彼らが素晴らしいコスチュームと踊りを披露してくれるので、ダンスをしない人たちにも楽しんでいただけます。

ということで、2025年の目標は、「自分に優しくすることで、他人にも優しくなる」を継続することです。

本当に有効ですから。





アメリカの大学入試がよくわかる良心的な書『アイビーリーグの入り方』

以前からこのブログなどでも語ってきたことですが、アメリカにはハーバード大学以外にも非常に優れた大学が沢山あります。ハーバード大に入学した生徒よりも優秀な学生が、積極的に別の大学を選ぶことは、日本人の皆さんが想像するよりずっと多いのです。

むしろ、アジア人に人気がある(ゆえに同じような生徒が集まる傾向がある)ハーバード大を避けるアジア系の学生もいますし、「一番」というブランド力にこだわる学生が集まるのを嫌って避ける学生もいます。ひいおじいさんの時代からずっと「イェール」だから同じ大学に行くという人もいますし、「ブリガム・ヤング」や「ノートルダム」のように宗教で選ぶ人もいます。ヒラリー・クリントンが卒業した「ウェルズリー」は、女性が男尊女卑の傾向に邪魔されずに強いリーダーシップを身につけられることで有名です。ですから、日本のように偏差値のはっきりした序列などはないのです。

また、アジア系の学生はSATという統一テストの点数にこだわりますが、このテストは練習さえすれば高得点を取ることができますので満点でもさほど有利ではありません。アメリカの大学は、テストの点を取ることだけが上手な生徒を優遇しないのです。

これらの日本人が誤解しがちなアメリカの名門校や大学入試のシステムについて、非常に良心的に解説しているのが冷泉彰彦さんの新著『アイビーリーグの入り方』です。

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50歳の誕生日を、こんな風に祝ってみてはいかが?

アメリカでは50歳の誕生日をけっこう盛大に祝います。

伴侶のために遠くから昔の友人を呼び寄せてサプライズパーティをしたり、ダンスパーティをしたり、ケータリングをしたり、といった感じです。

私はもう2年前に通り過ぎてしまったし、特別なことはしなかったのですが、そういう「お年頃」ですから招待状はやってきます。ちょっとした試みにはもう驚かないのですが、最近招待された誕生日イベントには驚きました。

なんと、夜のパーティに先立って、日中に「デカスロン」をするというのです。

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住民が手作りする公教育13(最終回)

12章 守るべきもの

レキシントン公立学校高校生と卒業生を取材したとき、「記憶に残っている良い教師」として名前があがったのは、独自のユーモアがあり子どもと心を通わせるのがうまい先生たちでした。けれども、なれなれしい態度で接するわけではなく、生徒の人格を尊重しているのが伝わっているのです。

意外だったのは、「教える教科に実際に興味を持ち、知識があり、教えることに情熱を抱いている」のが子どもたちにとって最も重要な教師の資質だったことです。

「あの先生は良い人だけれど、教える教科の知識が不足している(あるいは、教え方が下手)」というネガティブな評価を受けた教師が山ほどいたところをみると、やはり教師の本質は「教える」ことにあるのでしょう。

 

レキシントン高校のマーチングバンド(吹奏楽団のメンバー)

多くの生徒と保護者が「尊敬している教師」としてあげたレキシントン高校の音楽ディレクター、レナード先生

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住民が手作りする公教育12

11章 善意が正義に罰されるとき

 

10章でご紹介したレキシントン町の*No Place For Hate(文中NPFHと省略)プログラムは、2000年にスタートしたときから実り多い活動をしてきました。

町議会などでの討論を険悪なものではなく建設的にするためのガイドライン「Guidelines for Civil Discourse」を作成し、司会役を勤める人々を教育するワークショップ「Leading and Conducting Effective Meeting Workshop」を企画し、キング牧師の栄誉を讃える記念行事を運営し、警察官や消防署員が多様性のある住民に対応できるように「ディバーシティ・トレーニング」を行い、町で諍いが起こったときに即座に対応する「緊急対策チーム(The Incident Response Team)」を設立させ、前章のような危機にはコミュニティをまとめる指揮を取ってきたのです。

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住民が手作りする公教育11

10章 支え合うコミュニティ

学校がマスコミから糾弾される事件がおきたとき、多くの場合、地域の住民も一緒になって非難する側にまわります。また、学校と警察、学校と保護者は敵対関係になりがちです。

学校関係者は情報を隠したり、責任を回避したりしますし、追いつめられると自分では悪くないと思っていても全面的に謝罪します。

けれども、保護者の逮捕をきっかけに全米からの悪意にさらされるようになったレキシントン公立学校とエスタブルック小学校のコミュニティは異なる行動を取ったのです。

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住民が手作りする公教育10

 9章 努力していても「不祥事」は起こる

日本の学校で不祥事が起きると、必ずと言ってよいほど同じ反応が起こります。

不祥事を起こした当人、管理責任がある校長、それを管理する教育委員会を、マスコミと国民がよってたかって非難し、糾弾します。マスコミが小出しに出てくる情報をテレビや新聞、インターネットで知り、あたかもその場にいたかのように他人に伝えます。むろん、実際に深刻な問題があることもあります。けれども、巷に広まってゆくのは、もともと疑わしい情報に推測や創作が加わった「真実」なのです。

お茶の間で、職場で、ソーシャルメディアで、「なんて不道徳な人間たちなのか!」、「こんな人間がいるなんて恥ずかしい」、「罰を与えるべきだ」、「許してはならない!」という怒りの声が盛り上がります。「責任者は謝罪しろ!」と求め、謝罪すると「謝罪のあの台詞が気に入らない!反省していない!」とさらに怒ります。

こんなに正義感が強い人が多いのですから、マスコミが彼らの怒りをかきたてることで、きっと理想的な社会が実現することでしょう。少なくとも怒りの拳を振り上げる人はそう信じているはずです。

でも、現場の事情を知らず、現場に行って長期的に力を貸すつもりがない人たちの「正義感」にどれだけ効果があるのでしょうか?

それを考えていただくために、ぜひこの実話をお読みいただきたいと思います。

【注意】この章を読む前に、必ずこれまでの章をお読みください

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住民が手作りする公教育9

8章 「数学に強いレキシントン」の謎

レキシントン公立学校が「数学に強い」という噂はあるのですが、少なくとも私の娘が小学校に通っているときには特別なプログラムはありませんでした。最高学年の5年生の担任ロビンソン先生は娘に文章を書く情熱を植え付けてくれた素晴らしい教師でしたが、算数が苦手だということは本人も生徒も認めていました。

ほかのクラスでも特に算数が得意な先生はおらず、小学校だけだとアジア諸国に比べて遅れていたといえるでしょう。

けれども、ダイアモンド中学に入学したとたんに状況ががらりと変わったのです。

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住民が手作りする公教育8

7章 「なにができるか、やってみようじゃないか」の時代

先の章でお話ししたように、1950年代から60年代にかけて、ハーバード大学やマサチューセッツ工科大学の教員たちが緑の多い環境を求めて郊外のレキシントン町に移住してきました。

この町の住民で元エスタブルック小学校校長のデイヴィッド・ホートン氏は、その時代を懐かしそうに振り返ります。

「当時の米国東部はみなそうだったのですが、子どもの人口が増加し、州のスタンダードというものはなかったのです。非常に革新的な時代で『何ができるか、やってみようじゃないか』という自由な熱気に満ちていました。レキシントン町が独自のカリキュラムを持っていただけでなく、それぞれの学校がカリキュラムを自分たちで作っていたんですよ」

 

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