天才は作れない

以前に「才能のある子は幼いときから始めなくても才能を発揮するし、ない者は(ある程度才能を伸ばすことができても)決してオリンピック選手や国際的数学者には育たない」と書いたが、それについて付け加えたい。

わが娘が属している水泳チームには、14歳でシニア・ナショナル選手権(全国大会)で200メートル背泳の2位になり、国際水泳選手権大会に米国代表として出場したエリザベス・バイセルという選手がいる。娘と半年しか年齢が離れていないこともあり、彼女が7歳のころからその存在は知っていた。年齢別の全米記録を次々と更新してゆく彼女のことを“早期英才教育”の産物だとみなしていた者は多く、「成長が止まると、スピードも衰えて凡人になるだろう」とか「親がプッシュしすぎると燃え尽きるだろう」と予想する者もいた。

しかし、同じチームの一員になってみて、私はそれらの推察がすべて大きな誤解だということに気付いた。

まず驚いたのは、彼女が自分よりも3歳から4歳年上の男性選手と同じレーンで練習するということである。それだけではなく、オリンピック選考大会の出場権を持つ年上の男性選手たちをどんどん追い越してゆく。もちろんエリートの男性選手達は年下の女の子に追い越されたくないので必死にスピードを上げるのだが、エリザベスにはかなわない。

それだけでなく、彼女からは他のエリート選手から滲み出るシリアスさが感じられないのである。彼女の母親によると、金曜日はバイオリンの練習があるから水泳には来ないし、他の選手が午前4時半に起床して行う朝練習には、生まれてから一度しか参加したことがない。練習中に一番お喋りするのは彼女だし、コーチから「お喋りをやめろ!」と怒鳴られても、あっけらかんと喋り続けている。いつも「この世に水泳ほど楽しいことはない」、といった感じである。

私の娘は、自分に年齢が近いエリザベスではなく、エリザベスより2歳年下の弟ダニーと仲が良い。というのは、どちらもこのエリートチームではやや“落ちこぼれ”に近い存在だからだろう。2人ともある程度は競争心のある選手なのだが、ここに集まっている大部分の選手に比べると、「この程度でいいや」と自分で調節するところがある。練習でも追い越されたくないので他人をブロックする選手が多い中、彼らは「お先にどうぞ」と順番を譲っている。親としては、「そんなに遠慮せずに、ちゃんと自分の場所を確保しなさい!」と言いたくもなるが、これが彼女の性格なのだから仕方がない。

非常に優れた才能を持つ子供たちを実際に知ると、わが子の早期英才教育に必死になる親の愚かさをひしひしと感じる。エリザベスでわかるように、オリンピックに行くような選手は、生まれつき超人的なスタミナに加えて超人的な競争心も持っているのである。これは誰かが幼いことから教えこんで作れるようなものではない。

早期英才教育は時間の無駄より悪い(その2)

ボストングローブ日曜マガジンの「How the push for infant academics may actually be a waste of time – or worse」という特集記事によると、National Institutes of Mental Health (NIMH)の研究者が5歳から19歳までの子供の大脳皮質の厚さとIQスコアの関係を継続的に調べた結果、「非常に優れた頭脳」のカテゴリーに属す子供の大脳皮質は、平均的な頭脳の子供に比べると、遅れて成熟することを発見した。大脳皮質の厚さがピークに達する年齢が、平均的な頭脳の子供が8歳であるのに対して、非常に優れた頭脳を持つ子供の場合は11歳か12歳であったのだ。研究グループの1人Jay Gieddは、グローブ紙の取材に対して、「これは"兎と亀"の物語のようなものです。2歳-これは馬鹿馬鹿しいレベルですが-で本を読めない多くの人々の多くは、2歳で本を読める子供たちに追いつくだけでなく、彼らを超えるということです」

誰でも、小学校で成績が悪かった同級生(なぜか多くの場合は男の子である)が高校で突然変身して優等生になったのを経験しているはずだ。それは、もともと才能ある彼らの脳が普通人の私たちに比べて遅れて成熟しただけのことだったのかもしれない。

テンプル大学のKathy Hirsh-Pasekは、このグローブ紙の記事で、カードを使って計算や綴りを1歳児や2歳児に教えるような早期教育は、neurological "crowding"という現象により正常な脳の発達をかえって妨げるという意見を述べている。これは、将来もっと創造的なタスクのために保存されているほうがよい脳の部分のシナプスを過剰な情報で"混雑"させてしまう現象だという。

これらの意見は、私が幼稚園のころから娘の通う小学校にボランティアとして入り込み、そのころ既に小学校高学年程度の本が読め、公文式教室に通っていた子供たちを、高校1年生になった現在まで継続的に観察した結果とに一致している。

幼稚園のころからボストン近郊の公文式教室(日本人経営のものではない)に通っていたアジア系の子供たちのうち、高校生になった現在、数学で突出した能力を発揮している者はほとんどいない。それどころか、小学生のころクラスで最も優等生とみなされていた彼らの多くが、能力別編成になる高校1年生の数学で3レベルの中間に属している。それとは対極的に、公文に通わなかったために同級生に比べると計算が苦手で、「私は算数ができない」と言っていた子が、教師から飛び級を勧められるほど数学が得意になっている。

これらの現象については「才能を殺さない教育」で詳しく語るつもりだが、グローブ紙の特集記事が指摘しているように、危険なのは、われわれが”兎”のパフォーマンスをあたりまえの基準として認めることで、“亀”が最初の走りでの評価を受け入れて、やる気を失ってしまうことである。将来歴史に残るような文芸作品を書く潜在的能力を持っている子供が、小学校1年生の担任教師から「読み書きができない」という評価を受け、「どうせ僕は読み書きが苦手なんだ」と思いこんで本に触ろうともしなくなったら、学校と他人の教育ママたちが、子供たちの潜在的能力を殺していることになる。これは、嘆かわしい現実である。

才能を殺さない教育 第二章 成功の定義(その1)

アジア系移民の“成功の定義”と落とし穴

「あなたにとって子供の成功の定義は?」

こう尋ねると、日本人や韓国系移民は「そりゃあ、よい大学には行って欲しいけれど……」とあいまいに言葉を濁すが、たぶん文化の差なのだろう、レキシントン町に住む中国系移民の多くはあっさりとこう答えてくれる。

「私たち中国人の間では、ハーバード大学かMIT(マサチューセッツ工科大学)でないと……という思いこみがありますね。実際同じ通りに住んでいる中国人家庭の子どもたちは、ハーバードとMITに入学したから、こちらもそうしなくちゃならないような、そんなプレッシャーがありますよ」

中国大陸からの移民である両親を持つアルバート・チェンはレキシントン町の中国系移民が目標とする存在だ。高校の最初の2年間で数学のもっとも難しい過程を終えてしまい、3年目にはハーバード大学の延長プログラム、四年目にはスタンフォード大学の遠距離授業の最高レベルを修了し、数学チームではキャプテンを務め、全国レベルの大会で数々の優秀な成績を収め、化学コンテストではニューイングランド地方大会で二位になり、高校三年生の夏休みには全米で五十人だけが選ばれるMIT(マサチューセッツ工科大学)の研究プログラムに参加し、クラスメイトの誰よりも先にMITとハーバード大学の両方から合格通知を受け取った。アルバートの兄もMITに通っている。

実際にレキシントン高校からは2003年度はハーバード大学に5人、MITには8人入学しており、この数は町立の公立学校としては全国でトップレベルであり、他のマサチューセッツ州の優秀な公立学校と比較しても多い。しかし、約400人の卒業生のうち2割以上がアジア系であることを考慮に入れると、中国系移民の子弟全員がハーバードかMITに入学していないことは明らかだ。「ハーバードかMIT」を成功の定義にすると、9割以上のアジア系学生は人生の落伍者ということになってしまう。

しかも、レキシントン高校には、「わが子を良い大学に入学させる」ことを期待して他の町よりも高い不動産を買ったアジア系移民が知らない「落とし穴」がある。そこそこ優秀な生徒にとっては、大学入試というものがないアメリカの制度においては、レキシントン公立学校からトップレベルの大学にはかえって入学しにくいのである。

その理由を説明する前に、まずアメリカの大学入学選考システムを説明しよう。

何のためにスポーツをするのか(その1)

14歳の娘の水泳のために、マサチューセッツ工科大学とマサチューセッツ海洋アカデミーのプールでこの週末を過ごしたら、頭痛と発熱で半日ダウン。ふだんまったく風邪をひかないのだが、プールで数時間過ごすたびに免疫力が落ちて具合が悪くなる。長時間人混みの中で座っているのが良くないのかもしれない。

それはともかく、今回は水泳ペアレントとしての約8年間の経験から、「何のためにスポーツをするのか」ということについて少しばかり語りたい。

学業でもスポーツでも、スタートが早ければ早いほどよいと思っている親が多い。幼いときからスタートしないと才能を発揮するチャンスを逃してしまうという思いこみも珍しくはない。親が一生懸命にお金と時間をかけてやれば、子供の才能を抽出し、(ないときには)創りあげることができるという信念があるからこそ、多くの親が早期教育にお金と時間を費やすのである。

すでにお金と時間を投資してしまっている方には申し訳ないが、私の8年間の観察からは、才能のある子は幼いときから始めなくても才能を発揮するし、ない者は(ある程度才能を伸ばすことができても)決してオリンピック選手や国際的数学者には育たない。親の重要な役割は、子供の才能を最大限に引き延ばすことではなく、シビアな環境で子供が自分を見失わず健全に成長するように手助けすることである。これは、私自身が何度も悩み、苦しんだ結果学んだことなのである。

私の娘は、6歳のときにクラスメイトに誘われて隣町にある水泳クラブの水泳教室に入った。私は競泳の世界のことをまったく知らなかったので、待合室にいるチームメイトの親たちの熱意にたじたじとした。「このチームのコーチはオリンピック選手を6人、銀メダリストを2人育てたから安心しているわ」、「期待して来たのに、練習を見ていると、フリースタイルばかりさせてちっともバタフライを教えてくれないのには失望したわ」という会話があたりまえのように交わされていた。娘が7歳になったとき、水泳教室のコーチから「お嬢さんは競泳者に適した性格で、技術と体力も準備できたので、チームのほうに移ることをおすすめします」と言われた。けれども、深刻な表情で、「チームに入るのであれば、水泳ペアレントとしてコミットメントをする必要があります。よく考えてから結論を出してください」と言われたときには、思わず吹き出してしまいそうになった。たった7歳の子の水泳にコミットメントなんて大げさすぎる……。

けれども、このコミットメントは決して大げさな表現ではなかったのである。そのころピアノ、フィギュアスケート、サッカーをやっていた娘は、それらを辞めたくもないし、友達と遊ぶ時間も欲しい。けれども練習をサボると、親だけでなく子供までもコーチからガンガン叱られる。タイムが良くなり、年齢も上がるにつれて、チームからの要求はどんどん厳しくなってきた。まず最初に諦めることになったのはサッカーで、次はピアノ、そしてなんとか続けていたフィギュアスケートも小学校5年生でやめることになり、残ったのは学校の吹奏楽団でのフレンチホルンくらいだった。連休や夏休みでも家族旅行に行くことが許されない。それでも、「水泳が一番好きだから」と練習に行くことを楽しんでいた娘だが、12歳でトップクラスの選手たちが属しているレベルに引き上げられてから、状況が一転した。夜の練習から戻るのが9時近いのに、朝練習のために午前4時20分に起床しなければならない。濡れた髪のまま中学校に行くのは、年頃の女の子にとっては苦痛なことだ。何よりも、起きている時間はすべて宿題と勉強に費やすことになるので、まったく友達と遊ぶ時間がない。特に、銀メダリストを育てたというオーナーコーチが彼女の指導をするようになって、娘の口数がだんだん少なくなってきた。まず、これまでうまくいっていたストロークを完璧に変えるように要求され、変えたとたんタイムがのびなくなってしまった。努力してもタイムが上がらない選手に対して、このコーチは全員の前で屈辱を与える。それで「なにくそ」と努力する子供もいるのだろうが、私の娘にはまったく合わないスタイルである。だが、こういうことが起こっていること自体、私はまったくしらなかったのだ。というのは、秘密主義のコーチが親たちを練習から閉め出し、選手たちに「親は心配性で水泳の邪魔をするだけだから何も話してはならない」と命じてきたからである。このチームしか知らない私は、「水泳チームとはどこもこんなものだろう」と思っていた。

今年の4月、長水路シーズンが始まってたった数日しか経っていないある日、練習から戻ってきた娘が「もうこのチームには戻らない」と宣言した。この日初めて、私たちは娘からいろいろな事実を教えられた。「チームを辞める」と決意して初めてコーチの呪縛を解くことができたようなのだ。そのなかには、無意味なしごきとしか言えない練習で全員が泣きながら泳いだこととか、「努力が足りない」と一番トップのレベルから幼い子供のグループに移して練習させたこととか、3時間にわたる練習中にトイレに行くことを許されないためにプールの中で排尿することを強いられたこと、女子選手の写真と体重をつけた表を見せ、「Aがあと30ポンド減らしたら、国体選手になれる。Bがあと20ポンド減らしたら、オリンピック選考会の出場権を得られる」などと話し、「Cはこのチームを辞めて別のチームに移ってから太ってしまい、タイムも著しく遅くなった」などと全員の前で侮辱することなどだった。

「チームを辞める」という宣言に引き続き、娘は、「水泳が楽しくなくなった。速くなりたいという情熱もなくなった」と打ち明けた。6歳のときから13歳まで7年過ごし、ボランティアとして手助けしたチームにはそれなりの思い入れもある。既に払い込んでいた二十万円ほどのチーム費と遠征旅行の頭金は戻ってこないと分かっていたが、私たちは即座にチームを辞めることを認めた。問題は、水泳が生活の重要な部分になっている彼女がこれから何をするのか、ということだった。

娘は、「友達との社交を許されるようなチームでそこそこ泳げばそれでいい」と言う。ところが、それにぴったりのチームを訪問し、練習に参加したところ、あまり気がすすまない様子なのだ。結局、娘が「どうしても行きたい」と選んだのは、車で片道1時間以上かかる遠距離にあるチームだった。

そこは、若いチームだがコーチの人柄と才能に惹かれて全米トップクラスの選手が集まり、これまで属していたチームよりも練習が激しいことで知られている。1日に10マイル(16km)泳がされることもあるという噂を聞いていた。それに、毎日放課後3時間を車の中で過ごすなんて正気の沙汰ではない。トライアウトで参加した練習は、噂どおりに厳しかった。生まれて初めてスニーカーを履いて泳ぎ、なかなか前に進めなくて四苦八苦していたのに、約15km泳ぎ終えてプールから上がってきた彼女は、満面の笑顔を浮かべて私にこう言ったのである。「I feel I belong here (私、このチームの一員だって感じる)」。

3時間かかる車の中で宿題をこなし、午後9時半に家に戻ってからまた勉強をする、という生活をする娘を持つ私のことを、クレイジーな水泳ペアレントだと思う人もいるようだが、私が彼女をこれほど遠いチームに通わせているのは、彼女がハッピーだからである。新しいチームには、オリンピック選考会出場資格を持っている選手が18人もいて、シニアレベルでは娘は一番遅い選手のひとりである。これまでのチームならリレー選手の1人だったのに、現在のチームでは二度とそのチャンスはやってこないかもしれない。でも、彼女は、このチームに移ってからものすごく明るくなった。というよりも、元々の彼女の性格に戻ったというほうが正しいだろう。親はいつでも練習を眺めることができるし、コーチはオープンで、練習は厳しくても選手の笑いが絶えない。その結果、娘は練習を楽しみ、戻ってくるとチームでの出来事を話してくれる。

チームを移るまでは毎日胃の痛む思いをしたが、結果的には得るところが大きな出来事だった。「嫌な雰囲気に耐えるか水泳を辞めるかの2つの選択しかない。どちらも嫌だ」と思いこんで落ち込んでいた娘は、私たち両親に相談することで悪い状況を良い状況に変えることが可能なのだと知った。それは、私たちの信頼関係にとって大きなプラスだった。「どんなに絶望的な状況に見えても、必ず何か解決策はある。だから、これからどんなことがあっても、隠したりしないで、相談して欲しい。もちろん聞いた直後には、『何やってんのよ!』と怒鳴りつけるかもしれないけれど、それはただのリアクションで、ちゃんと冷静に解決策を一緒に見つけてあげるから」という私の言葉を、娘はちゃんと信じてくれたようだ。

昨日水泳大会のあとで娘にこう言った。「あなたはオリンピックに行くために水泳を頑張っているんじゃなくて、楽しいからやっている。私たちは、あなたが水泳を楽しむのを観て幸福感を得ることができる。それが私たちにとっては一番大切なこと」。すると彼女は、私の首に腕をまわしてぎゅっと抱きしめ、「ありがとう。I love you, Mommy」と答えてくれた。

才能を殺さない教育 第一章 教育の理想郷(その2)

住民が手作りする公立学校

レキシントン町を運営するのは、町議会議員、行政委員、タウンマネジャーの三つの部門である。予算や条例を決めるのが町議会で、町の方針を決めるのが行政委員会、そして、行政委員会の監督のもとに直接町政を運営するのがタウンマネジャーだ。

この町のことを知り始めたころ私が一番驚いたのは、タウンマネジャーだけが年収一千万円を越す専門職で、住民選挙で選ばれる二十一人の町議会議員と五人の行政委員が、いずれも無給のボランティアだということだった。

公立学校の運営も、町の行政と同様である。町議会が可決した予算の詳細と学校の方針を決めるのは選挙で選ばれた五人の教育委員で、小学校から高校までの公立学校の具体的な運営の責任者が教育長である。教育委員は町民のボランティアで、教育長は有給の専門職だ。

町の方針を決める行政委員に報告する委員会は五十以上あり、それらの委員会では約三百人が働いている。教育委員に報告する委員会や臨時委員会、学校のマンパワーとして重宝されているPTAまで合わせれば、常時およそ二千人、成人人口の十%ほどがボランティアとして町と公立学校の運営に関わっているということである。これは、ボランティアが盛んなアメリカでも珍しいことらしい。

私立学校やマグネットスクールという選択肢があってもレキシントン町の保護者たちがあえて町の公立学校を選ぶのは、そのほうが自分の子供にとって良いことだと信じているからである。その信頼の源は、住民参加の民主主義にある。

民主主義と公立学校

レキシントン町の教育委員トム・ディアスは、「公立学校は民主主義そのもの」と言う。

独立戦争が勃発した日レキシントン町に隠れていたサミュエル・アダムスは、「ボストン茶会事件」の首謀者で、後にマサチューセッツ州の知事になった建国の英雄である。彼は、アメリカ独立のために奔走しているときに、「市民が無知だと、自由や民主主義のコンセプトを理解することさえできない」ということに気づいた。民主主義を行うには、その準備段階としてまず実行者の市民を教育する必要がある。彼はこう書いている。

「知識が普及し、徳が順守されれば、誰も従順に自由を引き渡したり、簡単に抑制されたりはしないだろう」

マサチューセッツ州の憲法は、合衆国憲法よりも七年も前の一七八〇年に批准され、憲法の執筆者の一人でもあるアダムスは、その中に公教育の義務を記した。

建国と同時に生まれたアメリカの公教育は、手に職をつけるためではなく、民主主義を遂行できる市民を育てるためのものだったのだ。

アメリカ人に尋ねれば、「民主主義とは戦ってでも守るべき大切なもの」という答えが戻ってくる。年収数億円の国際ビジネスマンでも、生まれた町から一歩も外に出たことのない無教養な田舎者でもこの価値観は変わらない。

私たち日本人には、そんなアメリカ人がちっとも理解できない。

それは当然と言えば当然なのだ。アメリカ合衆国と日本はどちらも民主主義国家ということになっているが、両国の民主主義は根本的に異なる。アメリカ合衆国の民主主義は、他国の支配に耐えきれなくなったサミュエル・アダムスやミニッツマンたちが命をかけて戦って勝ち取ったものだが、日本の民主主義は第二次世界大戦で他国に負けて押しつけられたものだ。この違いは大きい。

公立学校に対しても、私たち日本人は受け身である。保護者は、不満があると学校に怒鳴りこんだり、陰口を言ったりはするが、学校と一緒になって状況を積極的に改善しようとはしない。また、変えることが可能だとも思っていない。そこには信頼感がないからだ。

レキシントン町の住民にとっては、そういう日本人の感覚のほうが不可解のようである。

「私立学校は、どんなにすばらしくても、親は一方的に学校の方針に従うしかありません。嫌ならやめるしかない。けれども、公立学校は、住民のものです。住民や親に変える力があるのです」とディアスが言うとおり、町民はレキシントン公立学校の方針から教育長や校長の雇用まですべての過程に口も手も出す。

教育長を雇うときにも、教育委員に任せっぱなしにはしない。どんな人物を雇うべきかその条件を決める委員会にも希望者が参加する。集まった多くの履歴書から候補を少数に絞る委員会、面接をして最終候補に絞る委員会にも、必ず一般の町民と学生代表が含まれている。最終候補の談話会には飛び込みで自由に質問し、教育委員会による公開面接では、「この候補のこの部分が良い」といった意見を書面で提出する。

最終決定を下す教育委員会の会議も公開で、学生代表も教育委員と同じ重みを持つ一票を投じる。

これがアメリカ合衆国と日本の差だと早とちりしてはならない。

「サミュエル・アダムスの直接民主主義を今でも信じて実行しているのは、このあたりの住民だけですよ」とディアスは言う。南や西の自治体は、口は出すが手はださない。つまり、文句は言うけれども公立学校の運営になると政府や州に頼り切りで平気でいる。だからそういう地区の公立学校はダメになってしまったのだ。

政府などはあてにせずに、自分の手で理想を実現せよ。

アダムスの精神的末裔は、そう言って胸を張った。

アジア系移民を魅了する学業面での達成

レキシントン町でアジア系の移民が急増している最大の原因は、レキシントン公立学校の評判が高いからである。その人気に対応するためにアメリカの大手不動産会社は中国語を話せるエージェントを雇用し、中国系移民による「Good School Real Estate(優秀学校不動産)」といった非常に直接的な名前の不動産業者が生まれ、主にレキシントン町で(交通量が多い、または家のコンディションが悪いなどの理由で)価格が低い不動産を中心に中国系移民に紹介しているという。

レキシントン公立学校の何が彼らをこれほど魅了するのだろう?

アジア系以外の新しい住民にレキシントン公立学校の魅力を尋ねると、「音楽プログラムがすばらしい」、「ディベートを授業で学べる」、などいろいろな答えが戻ってくるが、アジア系移民にとって最も魅力的なのは、どうやら「数学のレベル」のようである。

レキシントン高校の数学チームは、全国的に知名度が高い。1993年から2002年までで行われた数学競技「マサチューセッツ大学ローウェル校数学チャレンジ(UMass Lowell Math Challenge)」では無敵のチャンピオンの座を守り、ニューイングランド地方(ヴァモント、メイン、ニューハンプシャー、マサチューセッツ、ロードアイランド、コネチカットの6州)の私立と公立高校88校が競う「ウースター工科大学数学競技(Worcester Polytechnic Institute Mathematics Competition)」でも15年連続優勝。同じく、ニューイングランド地方の大部分の中、高が参加する「ニューイングランド・数学リーグ(NEML)」では、中、高ともにほぼ毎年トップ。「マサチューセッツ数学リーグ(Massachusetts Association of Mathematics League)」もチャンピオン。そのほかにも「マサチューセッツ数学リーグ協会」、「アメリカン数学競技(American Mathematics Competitions)などの競技で、優勝者からトップ20位までにレキシントンの学生の名がずらりと並んでいる。

数学関係者以外にもレキシントン高校の名が知られるようになったのは、たぶん1994年の「国際数学オリンピック」の香港大会であろう。アメリカチームは、この大会で優勝しただけでなく、国際数学オリンピックの35年の歴史で初めて、チームメンバー6人全員が6問全問正解するという快挙を果たした。その「ミラクル・チーム」のひとりが、レキシントン高校のジョナサン・ワインスタインだったのだ。また、マーク・リプソンは2003年の東京大会で3位になったアメリカチームの一員である。全国的な快挙は、国際数学オリンピックだけではない。2000年には、ユンジョン・リュウが数学と科学での達成とリーダーシップにおいてマサチューセッツ州でもっとも優れた学生として「大統領奨学生賞(presidential scholar)」を受賞し、ホワイトハウスに招かれている。

「国際数学オリンピック」の出場者を決める「全米数学オリンピック(USAMO)」は、スポーツのオリンピック出場権を決める予選大会のように、数学競技者の間では予選を通過するだけで栄誉あることだとみなされている。1996年から2002年までの予選通過者の累積数では、レキシントン高校は全米で6位である。

レキシントン公立学校の成績がどれほど驚くべきものかは、競合する学校と比較するとわかりやすいかもしれない。

1位から5位までのトーマス・ジェファーソン(Thomas Jefferson,ヴァージニア州)、イリノイ州立数学科学アカデミー(The Illinois Mathematics and Science Academy、イリノイ州)、ストイフェサント(Stuyvesant High School、ニューヨーク州)、科学技術振興アカデミー(Academy for the Advancement of Science and Technology、ニュージャージー州)、ブレア(Blair,メリーランド州)は、いずれも「マグネットスクール」で、7位以降に名前が並ぶのもマグネットスクールか、あるいは名門私立「フィリップス・エグゼター・アカデミー」(Phillips Exeter Academy,ニューハンプシャー州)、「フィリップス・アカデミー」(Phillips Academy, マサチューセッツ州)などである。フィリップスとエグゼターには、全米の裕福な家の子弟がアイビーリーグ名門大学に入学するために集まっている。したがって、入学選考がないふつうの公立高校としては、レキシントン高校はまぎれもなく、全米一位の存在なのである。

レキシントン高校の吹奏楽団、ジャズバンド、ディベートチームも全国的に有名なのだが、「数学」というのは、アジア人にとってももっとも分かりやすい達成の基準なのだろう。学業的な達成が人生を左右する国から移住した移民たちが、「高い私立に入学させなくても、この町に住むだけで最高の教育を受けられる」という結論に達するのは容易に想像できる。

しかし、子供にとって理想的な教育を考えると、これは非常に短絡的で危険な考え方なのである。

これについては後の章で説明しよう。

アメリカの公立学校

日本で知られているアメリカの公立学校のタイプは2とおりであろう。

ひとつはドラッグとバイオレンスが日常茶飯事の都市部のもので、もうひとつは才能のある子供を集めたマグネットスクールである。しかし、大部分の公立学校はこれらには属さない。

アメリカでの公立学校のユニークさは、地方自治体(市や町)の手作りだということである。国レベルの法律の影響は受けるが、運営資金にせよ、カリキュラムにせよ、ほぼ自給自足の状態なのだ。また、公立学校のレベルが高い州(マサチューセッツ州、ヴァモント州、コネチカット州、ニュージャージー州など)では、町の公立学校のレベルが不動産の価格を決める。また、町の安全性、住みやすさの指標にもなる。わが子を私立学校に入学させると決めている親でも、これらの理由から公立学校のレベルが高い町を選ぶのが慣わしになっているのだ。

別ページの「才能を殺さない教育」で、手作りのアメリカの公立学校のユニークさを語りたい。

才能を殺さない教育 第一章 教育の理想郷(その1)

アメリカ独立戦争が始まった日

一七七五年四月一八日早朝、ボストンから十五キロメートルほど北西にあるレキシントン村の広場では、赤い制服に身を包んだ英国軍兵士たちと、質素な身なりの地元の住民兵「ミニッツマン」たちが銃を構えてにらみ合っていた。

英国軍は約九百人、それに対してミニッツマンは七十七人。それを四十人から百人といわれる見物人が、息をのんで見守っていた。

その場に遅れて到着した英国軍指揮官ピトケアンは、英国軍兵士たちに「撃つな」と命じ、それからミニッツマンに「反逆者め。武器を捨ててこの場から去れ」と叫んだ。

ミニッツマンのリーダー、キャプテン・パーカーがそれを受けて兵士たちに退却するように命じ、何人かがその場を静かに立ち去りかけていたとき、ひとつの銃声が響いた。

この銃声に誘発されて数人の兵士が銃を撃ち、連鎖反応で銃撃戦が始まった。これが、アメリカ独立戦争の始まりである。

超大国アメリカ合衆国の出発点となった最初の銃弾を放ったのは、茂みに隠れていた傍観者だったとか、英国人の平民だったとか、いろいろな説があるが真相は謎のままである。

それから約二百年間、「建国の英雄」の子孫達にアイルランド系移民やイタリア系移民が加わったものの、レキシントン町は、人よりも牛の数のほうが多いような農業中心の小さな町にすぎなかった。そののんびりした町に変化をもたらしたのは、第二次世界大戦後の経済ブームだった。町は急速にボストン市のベッドタウン化して工業と商業が盛んになったが、さらに町の様相を変えたのは一九五〇年から六〇年代にケンブリッジ市界隈から移住してきたハーバード大学やマサチューセッツ工科大学の職員たちだった。

言語学者で思想家のノーム・チョムスキー、ノーベル平和賞のヘンリー・エイブラハム、知的巨人と呼ばれるエドワード・オズボーン・ウィルソンなどに代表される知識人たちが増え、現在では住民の成人人口の三十%が大学院卒業者になった。戦争直後には、民主党員が四人しかいない保守的な町だったのに、新しい住民たちのために急速にリベラルに傾いていった。

新しい住民の連鎖反応

新しい住民たちは、レキシントン町の公教育に大きな影響を与えた。

大学で教える彼らは、自分たちの子供にとって理想の学校教育を実現することに熱意を抱き、学校に協力していろいろな改革を試みた。

六〇年代の米国東部は革新的なアイディアに満ちていて、「何ができるか、まずやってみようじゃないか」という時代だった。国や州だけでなく、町の公立学校にも標準カリキュラムなどというものはなく、それぞれの学校が勝手にカリキュラムを作っていた。子どもたちに自由やゆとりを与えたほうがすばらしい能力が生まれる、という考え方がもてはやされたのもこのころだ。

現在町に六つある小学校のひとつ、エスタブルック小学校は、ハーバード大学とレキシントン公立学校の提携で「チーム教育」という新コンセプトを実現するために、一九六一年に設立された。学校の建物も、このコンセプトを実行しやすいようにデザインさた。

チーム教育は試行錯誤を重ねた結果自然消滅したが、教育熱心な保護者に支えられたエスタブルック小学校の学力が突出し、レキシントン公立学校はほかの小学校を同じレベルに引き上げるように努力した。

このような努力の噂が広がり、「良い教育」を求めて教育熱心な親たちがレキシントン町に移住してくるようになった。ことに、第二次大戦後には皆無だったユダヤ系の住民が急増し、引き続いてアジア系移民が移り住んだ。マサチューセッツ州全体のアジア人人口は四%未満だが、レキシントン町は約十二%で近隣の町よりも多く、エスタブルック小学校では約三割の生徒がアジア系あるいはアジア系の混血になっている。また、クラスの三割前後の両親あるいは片親がユダヤ人で、中東、ヨーロッパからの移住者や海外赴任の「外国人」も多い。

住民の変化は、宗教にも影響を与えた。ボストン界隈はカトリック教徒が多いのだが、レキシントン町にはプロテスタントだけで十以上のまったく異なる宗派の教会があり、中国系の移民が集まる「中国バイブル教会」もある。キリスト教以外にはユダヤ教のシナゴーグが三つもあり、仏教徒協会、ギリシャ正教の組織、どんな宗教的基盤の人も受け入れるユニタリアン教会もある。

アメリカで最も多いWASP(白人・アングロサクソン・プロテスタント)は、このようにレキシントン公立学校ではかえって少数派(マイノリティ)なのである。

アメリカの公立学校の概要

ここで簡単にアメリカ合衆国の公立学校について説明しよう。

日本では小学校六年、中学校三年、高校三年と決まっているが、アメリカではそれをどう分けるのかは学校次第である。小学校が五年間の学校もあれば、小学校と中学校が一緒になっている学校もある。そこで、アメリカでは小学校から高校卒業までを一から十二年生までの通し番号で呼ぶ。

レキシントン町には、公立の小学校が六校、中学が二校、入試のない普通高校が一校あり、これらすべてを「レキシントン公立学校」という一つの組織が管理・運営している。幼稚園から五年生までが小学校(六年制)で、六から八年生までが中学校(三年制)、九から十二年生が高校(四年制)である。

アメリカ合衆国では、学校の分け方だけでなく、カリキュラムや学力レベルも全国的に統一されていない。

アメリカの富と頭脳は東西の海に面した地区に集中しているが、公立学校のレベルとなると東西南北では格段の差がある。はっきり言ってしまえば、東高西低、北高南低だ。

レキシントン町があるマサチューセッツ州は、「モーガン・キトノ出版」の「最も賢い州賞」(Smatest State Award)という公立学校ランキングで、毎年全米一位から三位に属している。二〇〇四年から二〇〇七年にかけての上位四位は、マサチューセッツ州とその北に位置するヴァモント州、ニューヨーク市近郊のコネチカット州とニュージャージー州の順位が入れ替わる程度で、賢い州はいずれも北東部に集中している。

対照的に南部と西部は公立学校の不毛地帯である。

「最も賢い州賞」のワースト10の常連は、ニューメキシコ、ネバダ、アリゾナ、ミシシッピ、ルイジアナ、アラスカ、アラバマ、カリフォルニア、ハワイ、テネシー州などで、ブッシュ大統領お膝元のテキサス州も二〇〇四年の三十三位からはやや改善したが、いまだに五十州中二十四位と北東部とは比べものにならない。

公立学校の二つのタイプ

アメリカの公立学校には、大きく分けて二つのタイプがある。

住民の子弟なら誰でも入ることのできる一般的な公立学校と、入学選考がある「マグネットスクール」である。マグネットスクールとは、ある分野で優れた才能を持つ子どもを広域から集める公立学校で、多くは大学、州、企業との連携で運営され、あらゆる場から助成金を受けている。

アメリカでは、住民が経済的に安定している近郊の公立学校は良いが都市部のそれは荒廃している。日本人がアメリカの公立学校に抱いている悪いイメージは、こういった都市部のものである。ギャングの抗争やレイプが日常茶飯事だったサウスボストンで育った私の友人は、必死で勉強して全米で最も古いマグネットスクールの「ボストンラテン」に入学した。別の友人の父親も、サウスボストンのアイルランド移民の貧困から抜け出すための唯一の方法として「ボストンラテン」に入学したくちである。

しかし、マグネットスクールの主な存在意義は、慈善ではなく才能がある子の能力を最大限に伸ばすことにある。理数系で有名なのが、ワシントンDC近郊バージニア州のトーマス・ジェファーソン科学技術高校だ。厳しい入学選考や企業との提携で充実した科学のラボなど、一般的な町の公立学校とはまったく性質が異なるために、マグネットスクールは公立ではなく「税金を使った私立学校」に過ぎないという批判も聞こえてくる。

だが、社会・共産主義国のロシアや中国は、優れた才能を国家の未来のために選抜して開発している。アメリカがそれらの国に負けないように税金を使って才能を開発するのは、極めて当然のことである。

いつの時代も、アメリカ政府の最大の関心事は軍事力と経済力で世界ナンバーワンの地位を維持することだ。そもそもアメリカが理数系の教育に力を入れるようになったきっかけは、ソビエト連邦のスプートニクだった。アポロ計画がそうだったように、ソビエト連邦との競争に勝つための対策だったのだ。時代は変わり、二〇〇六年の大統領一般教書演説でブッシュ大統領が競争相手として名指しにしたのは、中国とインドである。相手国が変わっても「理数系の教育に力を入れる」という対策は変わらない。

才能を殺さない教育-はじめに

この作品を書くきっかけになったのは、娘の通う公立学校でのボランティアだった。

日本での公立学校生活をあまり楽しんだとはいえない私は、住んでいるマサチューセッツ州の町立公立学校に対して殆ど期待はしていなかった。いくら教育で有名な町であっても、日本よりは教育程度は劣っているであろうし、虐めだってあるだろうと決めつけていた。だから、学校の教室に入り込んで直接教師や同級生を監視できるボランティアを希望したのである。

まず私が驚いたのは、小学校での虐めがないことであった。これは、私自身の観察のみならず、小学生、中学生、高校生を取材して確認したことである。次に私の先入観を覆したのは、学問的達成度である。小学校ではまったくといってよいほど詰め込み教育をしないのに、多くの生徒が中学校ですでに日本の大学生と同程度の論文を書き始め、世界史と国際政治に関しては日本の大学生よりも詳しく、数学でも中学校で日本の高校レベル、高校で大学レベルに達している。これは誇張ではない。この町の中学校を卒業してから日本に帰国し、のちに慶応大学の医学部に入学した男子生徒も、同じ見解を持っている。そして最大の驚きは、生徒の大部分が「学校好き」だということである。

なぜ、人口二万人程度の小さな町の誰でも入学できる公立学校がこれほど理想的な公立学校を作り出すことができたのか?

私が取材を始めたのは、本を書くためというよりも、純粋な好奇心からだった。全てを探り出したとは思わないが、この経過で母親として貴重な子育てのコツを学んだと思っている。

あれから3年経ち、このとき取材した小学生は中学生に、高校生は大学生になっている。何人かとは継続的に連絡を取っているが、みな自分の現在の状況に満足しているようである。私の娘も、大好きだった幼稚園よりも小学校のほうが気に入り、小学校よりも中学校、中学校よりも高校のほうが楽しいと言う。取材を通して学んだことは、実生活で役立っているようである。

注)この未発表作品は2004年から2006年にかけて取材したもので、登場人物の年齢、学年、職業などは取材当時のものです。

町を手作りする

私が住んでいる町には、行政委員の委託で、町の動向を調査し、問題を抽出し、2020年の理想像とそれに応じた対策を提案する2020 Vision 委員会というものがある。
私も、行政委員から直接依頼されて、2003年から2004年まで、町民の対立の原因を調査し、建設的な対話を推進するための小委員会に参加した。そのときの仕事ぶりがそう悪くなかったのか、再び異なる小委員会に誘われた。今回は、人口動向を調べ、その動向に応じてこの町が必要とする対策を進言するものである。もちろん全てボランティアで、面倒といえば面倒なのだが、町の将来にかかわる重大な問題に直接関わると、私自身の理想を組み入れることもできる。特に、マイノリティの移民としての意見を尊重してくれる町なので、それを悪用しないように、自分以外の隠れたマイノリティ(これには人種だけでなく、同性愛者や社会経済的に恵まれない人々も含まれる)のニーズを反映させることが私の役割だと思っている。
2004年に完了した前回の委員会でも、私の意見がさっそく行政に取り入れられたのはうれしいことだった。
今回も、私が参加することで、結果的に誰かが利益を得ることができれば、こんなにうれしいことはない。