どうせなら、ポジティブに生きる努力をしようじゃないの

ネットでは、ときおり本当に思いがけない反応があるものなのですが、先日もツイッターで「どうしたらそんな受け止め方ができるわけ?」と驚くケースがありました。

「偉いね。応援するよ」という意味のとある人のツイッターのコメントに対して、「茶化しているんですか?」という怒りで反応し、真意が伝わらなかったことを謝る丁寧な対応に対しても、それが「上から目線だ」と憤り続けています。彼は、誤解という非が自分にあるのではなく、あくまでも他人にあると考えているので、この理不尽な、そして、何の益もない怒りから抜け出せないでいるのです。

そこで思い出したのが、先日冷泉彰彦さんから献本をいただいた『「上から目線」の時代』です。

 

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読み返しているうちに、「いや〜なコミュニケーション」の体験の数々を思い出してしまいました。なぜ日本でのコミュニケーションはこんなに面倒なんでしょうか? この本を客観的に読めば、上とか下とかの「目線」にいちいち苛立つことのあほらしさが分かってくると思うのですが、どうなのでしょう?

日本人のコミュニケーションを観察していると、どうも「世の中の奴らはみんな、機会があれば僕/私のことを馬鹿にしようとしている」と日頃からずっと構えている人が多いようです。すると、相手にそんなつもりがなくても、ちょっとした表現が疑わしいものに見えてきます。そこで、「馬鹿にしている」、「上から目線だ」という怒りがムラムラとわき上がり、それを相手に知らしめ、ぎゃふんと言わせるまですっきりしないわけです。

自分のネガティブな言葉が相手を傷つけるパワーに気づき、それをわざと行使している人もいます。なんといっても、ネガティブの破壊力は強いですからね。

でも、友だちや仲間になれたかもしれない出会いを、「オレを馬鹿にするな!」という怒りをぶつけて壊してしまうのは、実際にはすごく損なことなのです。イライラっとする人は、そこのところをよく考えてみましょう。

ネガティブな環境で生まれ育ったからネガティブになってしまった人もいるでしょうが、そこから抜け出そうと思えばできるものなんです。だから私は、ネガティブな人にはぜーんぜん同情はしません(自分がネガティブだと気づいていて、そこから抜け出そうとしている人は心から応援しますが)。

そして、なによりも、ネガティブの悪影響にも負けずにポジティブであろうとする人たちを応援しています。

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2 thoughts on “どうせなら、ポジティブに生きる努力をしようじゃないの

  1. はじめまして。
    目から鱗です。
    自分が上から下からの目線に構えていた事に気付きました。
    そんなつもりはなかった…のですが、
    なので、読んでいる途中まで「いるいる!こういう人!」と思いながら。
    でも、実はそれは自分だったとは。。。(笑)
    どうせならポジティブに生きたいので、
    構えず、目線を気にせず、受け入れていきます。(*^_^*)

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  2. 鈴木さん、こんにちは
    私も実はそうなのですよね。ですから、毎日こうして文字にしたり、声に出したりして、「ポジティブに生きる」ことを自分に思い出させようとしています。
    おたがい、気楽にかまえて生きたいものですね!

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