私には、すでに生きる価値はあったのだ

2012年4月、ワルシャワでの仕事を終えた私たち夫婦は、アウシュヴィッツ強制収容所を訪問するために午後8時発の列車でクラクフへ向かいました。
ワルシャワを発ってしばらくのうちはビルの灯りが見えたのですが、じきに窓の外は墨を流したような闇に包まれてしまいました。どうやらあまり郊外は広くないようです。私は、外の景色を眺めるのをあきらめ、を開きました。



洋書ファンクラブのほうでご紹介していますが、アウシュヴィッツ強制収容所のサバイバーによる回想録です。
これまでにも書籍、ドキュメンタリー、映画で学んで来た歴史ですが、本の描写には読者を第二次世界大戦中のアウシュヴィッツに引きずり込む生々しさがあります。

共産主義時代の名残りがある列車は轟音をたてて時おり激しく揺れますが、闇の中を進んでいるためか前に向かうスピードは感じません。たった三時間の旅なのに、時間が止まっているような感覚すら覚えました。

約70年前、周辺の国々でとらえられたユダヤ人は、もっと長い道のりを、家畜用の窓のない車両に身動きできないほどぎゅうぎゅうに押し込められ、アウシュヴィッツに向かったのです。腕も足も動かせない状態で、水も与えられず、どこに連れてゆかれるのか分からない苦痛は、時間を永遠のように引き延ばしたことでしょう。

当然、命を落とした人もいました。けれども、せっかく旅に耐えて生き残った人にとって、この「時間」にどんな意味があったというのでしょう…。

旅がようやく終わったときに彼らを待ち受けていた運命を想像し、ふだん鉄道の旅では経験しない乗り物酔いをしてしまいました。

翌朝は、「時々曇り」で降水確率0パーセントという天気予報を裏切り、雲の上に太陽が存在することさえ信じられないような暗い曇り空でした。

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「アウシュヴィッツ」は、アウシュヴィッツ-Ⅰ(基幹収容所)、アウシュヴィッツ-Ⅱ ビルケナウ(絶滅収容所)、アウシュヴィッツ-Ⅲ モノヴィッツ(強制労働キャンプ)の広大な複合施設です。

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アウシュヴィッツⅠに到着したときには冷たい風が加わり、春だというのに冬用のダウンコートを着ても身震いするほどの寒さです。

けれども、私をもっと凍えさせたのは展示されている大量の「髪の毛」でした(髪の写真撮影は禁じられていますので、お見せできません)。

強制収容所に到着するやいなやナチスドイツは、ユダヤ人たちが運んで来たスーツケース(下記の写真は、陳列されている実物。持ち主の名前が読める)をすべて取り上げ、衣服と靴を奪って、髪を剃ったのです。

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衣服や靴を再利用しただけでなく、髪の毛、処刑した者の身体の脂肪、死体を焼いた灰も、それぞれ繊維、石鹸、肥料として再利用していたと聴き、私は震え上がりました。
展示されている山積みの髪には、ブロンド、栗毛、白髪が混じりあっています。三つ編みがそのまま残っているものも。

それぞれ、バイオリニストになりたかった少年や、学者になりたかった少女、結婚したい恋人がいた若い女性、もうじき産まれてくる子どもを楽しみにしていた妊婦のものだったはずなのに、刈り取った羊の毛のようにまとめられ、個々の人間だという尊厳さえ奪われているのです。そのうえ、命とともに奪われた夢や愛の象徴である髪を、布やマットレスといった日用品にするグロテクスな発想の物的証拠には、目を背けずにはいられませんでした。

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ウィーゼルやレーヴィの回想録には、想像を絶するような収容所での生活が克明に描かれています。ですが、アウシュヴィッツを訪問したとき受ける衝撃は、文章から想像していた以上のものです。裸の死体の山や絞首刑にされた人の写真を見て、それらが実際に行われた場所に立つと、「人間性」への最低限の信頼が崩れ去ります。
自分と同じ人間に対してこれほどの残酷さを行使できるということだけでなく、学問も、宗教も、芸術も、人間性を救うものではなかったということに絶望し、その事実を私たちに知らしめたナチスドイツへの激しい憤りがこみあげます。
けれども、歴史を遡れば、程度の差こそあれ、どの国も自国や他国の人々に非道な振る舞いをしてきたのです。生存者の回想録やアウシュヴィッツ・ビルケナウ博物館から得るべきことは、「ナチスドイツは…」とか「ドイツ人は…」といった、無責任で安全な立場からの怒りではないと思うのです。

強制収容所にいるときから冷静にそういったことを考えていたのが、『Man’s Search for Meaning(邦訳版「夜と霧」)』を書いたViktor E. Franklでした。
結婚したばかりの妻と強制収容所で引き離され、ドイツ人将校や看守から何度も暴力を受けているにもかかわらず、フランクルは、この世に存在するのは、アーリア人(白人のドイツ人)やユダヤ人といった人種ではなく、「まともな人」と「まともではない人」という種別なのだと考えたのです。邦訳では「まとも」と表現するしかありませんが、英語のdecentには、「人道的」といった意味も込められています。
このふたつの人種はどの集団にもいるので、ドイツ人だから悪人だとか、ユダヤ人だから善人だということはない、と語るフランクルは、アドラーやフロイトに師事し、希死念慮があるうつ病の女性を多く治療してきた精神科医(脳外科医としての腕もあった)でした。

収容所に入所したときにそれぞれ少年と青年だったウィーゼルやレーヴィがまだ経験したことがない人生をすでに体験していたのです。その違いがそれぞれの回想録にも表れていると思います。

アウシュヴィッツ-Ⅱのビルケナウに到着して施設の中央を横断するプラットフォームに立ったとき、ついに雨が降り始めました。あと1〜2℃低ければ雪になっていただろう氷雨に、私は身震いしながら周囲を見渡しました。

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1kmもあるというこのプラットフォームは、生き延びる者と死ぬ者が振り分けられた場所です。

何日も家畜用の車両に押し込められていた人々は、ここで降りるように命じられ、旅の途中で亡くなった人々をまたいでプラットフォームに降りたのです。せっかくここまで苦痛を耐えて生き延びたのに、彼らは即座にナチス親衛隊医師により右と左に振り分けられました。右は強制労働用と人体実験用で、その価値もないとみなされた者は左です。むろん、振り分けられた人々は左右がどんな運命を意味するのか知りません。
女、子ども、老人のほぼ全員が左に選り分けられ、そのままプラットフォームの終わりにある4つのガス室(複合施設、クレマトリウム。下記の写真の背景に見える森のあたり)まで行進させられ、裸でガス室に送られたということです。

私と夫がここに降り立ったのが70年前であったら、夫は右に、私は左に振り分けられたことでしょう。
そして、それが最後の別れになった筈です。

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ガス室があった場所に向かって夫と二人でプラットフォームを歩いてゆく途中、私の心を占めていたのは、アウシュヴィッツⅠで感じたショック、憤り、人間性への不信感、平和を維持する責任感、といったものではなく、たったひとつのことでした。
それは、フランクルの書にあった次のようなことです。
フランクルは、生死も分からない妻のことを思い出し、心の中で毎日彼女と会話を交わします。
そして、こんなことを思うのです。

A thought transfixed me: for the first time in my life I saw the truth as it is set into song by so many poets, proclaimed as the final wisdom by so many thinkers. The truth – that love is the ultimate and the highest goal to which man can aspire. Then I grasped the meaning of the greatest secret that human poetry and human thought and belief have to impart: The salvation of man is through love and in love.

 

多くの詩人が書き、思想家が最終的に辿り着いた叡智のように、フランクルも「愛こそが、人が目指すことができる究極で最高の目的なのだ」という真実に気づいたわけです。
「The salvation of man is through love and in love.(人の魂を救済するのは愛である)」といっても、フランクルのように妻が死んだ後に再婚した場合や、後に喧嘩をして別れた恋人の「愛」は「永遠」ではない、と思う人がいるかもしれません。
けれども、愛とはそんなものではないと、プラットフォームの上で私は思ったのです。長い列車の旅や、ガス室に行進する途中、人々の心を占めていた親や子や伴侶への「愛」は、たとえすぐに消えてしまうものであっても、その時点では、その人の人生で最も価値があるものだった筈です。そして、それで十分完璧なものだと思うのです。

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フランクルはまた、自分の幸福を直接に追い求め続ける人間はどこまで行っても真の幸福を手に入れることはできない、と主張しています。
そして、よく引用される次のような言葉を残しています。
「Ultimately, man should not ask what the meaning of his life is, but rather he must recognize that it is he who is asked.」
英文しか読んでいないので勝手に訳させていただきますが、「つまるところ、人は『人生の意味とは何か?』と訊ねるべきではなく、むしろ、人生から意味を問われているのは自分なのだということを自覚すべきなのだ」といった意味です。自分にとっては無意味に感じる人生でも、その人を必要とする他の「誰か」あるいは「何か」が存在する。今分からなくても、いつか出会うだろうから捨てるべきではないと彼は主張するのです。

「この人生はあなたに何を求めているのか?」「何があなたを必要としているか?」「誰があなたを必要としているのか?」という三つの問いから、「自分を必要としている何か(誰か)」を発見し、それに取り組むことで「心のむなしさ」を超えられるというのが、フランクルの作り上げたロゴセラビーです。
けれども、「家族を幸せにしなければならない」という責務と「自分がやりたいこともしたい」という欲求の間で葛藤していた十数年前の私には、これらの問いが重すぎて意味をしっかり理解することができず、かえって潰れていたかもしれません。

プラットフォームを立ち去るとき、私と夫は自然と手をつなぎ、身体を寄せ合っていました。寒かったからだけではありません。ここを二人揃って離れたい、という無意識の衝動にかられていたのでしょう。

私がアウシュヴィッツで得たものは、「人生は私に何を求めているのか?」という問いかけの答えではなく、なんとも単純ですが、「お互いが、ここにいる」ことのありがたさだったのです。
そしてようやく理解したのが、フランクルの質問の意味でした。

「私が生きていている」というだけで幸せにできる人(夫や娘)がいたではありませんか。
それだけで、悩んでいるときの私にも、十分生きている価値があったのです。

私たちはその夜レストランで夕食を取りながら、今日感じたことや、お腹いっぱいに食べられることへの罪悪感を語り合ったりしました。
けれども、私たちの胸をいっぱいに満たしていたのは、食べ物でもなく、罪悪感でもなく、世界への責任感でもなく、「愛する者と、今この時間を共有できる」ことへの深い感謝だったのです。

17 thoughts on “私には、すでに生きる価値はあったのだ

  1. 素晴らしい文章をありがとうございます! 
    読みながら、わたしもいろいろなことを考えさせられました。
    とりあえず、本棚から『夜と霧』を引っ張り出して読み返したくなりました。

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  2. sosoraraさま
    こちらこそ、素敵なご感想をありがとうございます。オーディオブックだと、なんだか著者と語り合っているような気がしてとても良かったです。

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  3. 私はパートナーがユダヤ人なので、いちどは見に行ってみたい場所です。。。この目で見ておかなくてはという気がします。

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  4. Yukariさん、
    そうなんですか。
    訪問者にはユダヤ人の方も多かったですが、ドイツからの方がとても多いそうです。過ちをくり返してはならない、という思いがあるのでしょうね。

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  5. 深く意味のある文章を読み、自分自身の人生「この人生が私に何を問うているのかということ」を考えさせられました。本当にじんと深く静かに染み入りました。何かで迷うたびに戻ってきたいと思います。

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  6. さとこさま、
    とても重い問いですが、答えは、手が届く場所にあるのかもしれないと思うようになりました。
    すぐに見つかりませんが、だからこそ人生を最後まで生きる価値があるのでしょうね。

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  7. ツイッターから偶然読まさせて頂く機会を得ました。1999年に私もここを訪れました。よく皮肉とされる”Arbeit macht frei”のくぐり門、大量の遺品の数々には胸を打たれます。人間の尊厳はどこにあるのか?銃殺の壁の前に立ったこと、地下室の中に降り立ったことを思い出しました。若いユダヤ人グループが来ており、民族が忘れてはならない記憶としているのだと思いました。渡辺さんも書かれてる通り、ドイツ人だけのことではありません。戦争は、かくも人を狂わし、人間の尊厳を打ち砕きます。誰しもそうなる危険性をはらみ、繰り返してはならないと伝えていく必要があると思います。

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  8. 私も以前、ヨーローッパ免疫学会のエクスカーションの一環で伺いました。人間って何処までひどくなれるのかなと多くを学びました。レンガ造りのガス室にも入りました。
    ドイツの学生は一度は学校としてもコチらを訪れることになっているのだと説明を受けましたし実際多くの若い人が見学にきていました。誤った歴史に対してそれを直視して関係者を南米まで追って許さず、一方で教育に生かしてきたドイツ政府と日本政府のあり方に大きな違いを感じます。植民地政策も虐殺もなかったかのごとく隠蔽したり反省のない戦後です。
    過ちは取り返しがつかないので反省の上により良き未来を築くのが人の道だと思います。
    ブログを見せていただき改めて当時のことを思い出し、子どもや周りの人に伝えなければと思いました。
    ありがとうございました。

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  9. 私は児童養護施設で働いていたのですが、たどり着く思いが似ていることに驚きました。
    施設で暮らす多くの子どもは親子関係があまり良好でなく、
    思春期に入ると自分探しで苦しみます。
    私はなんて言ってあげれば良いのか分からず、
    ずっと考えていました。
    でも、自分がその職場を離れるときになって、
    はっと気がつき、その発想にとても感動しました。
    それは、私達が影響しあい成長している、ということです。
    彼らがいなければ今の自分はなかった。
    何か悪いことであれ、良いことであれ影響しあうことができていれば、
    それはそのまま生きる意味につながるのではないかと。
    生きているかぎり、人と関わらずに生きていくことは不可能だとおもうので、
    存在しているだけでも意味があると言えると思うのです。
    こちらの日記をよんで、久々にそのことを思い出し、
    なんだか心があたたかくなりました。
    ありがとうございました。

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  10. makosaku45さん、
    Genkinekojpさん、
    本当にそのとおりです。
    次世代に伝えて行くこと、語り合うこと、は私たちに与えられた大切な役割だと思っています。
    あたかも「なかったこと」のように目を背けて生きるのは、「人生からの問い」に答えていることにはなりませんものね。

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  11. ずーちゃんさん、
    「私たちが影響しあい成長している」ということを、最近特に感じています。
    もっと若いころに気づいていたら…とも思いますが、気づくためには、多くの体験が必要だったのかもしれないとも。
    せっかく気づいたことですから、大切にしたいと思っています。

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  12. ゆかりさん、
    お久しぶりです。実習がうまくいかず、へこんでいた私です。久々にゆかりさんの記事を読ませていただき、泣きました。フランクルと由佳里さんの言葉に共感し、励まされました。なぜなら、今ちょうど仕事と家族のことについて考えていたからでした。ありがとうございます。

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  13. 何だか今の気持ち想いを、下手な文章でしか表現できそうになくて、悔しいです。
    縞のパジャマを着た少年??だったかと思うのですが、
    あの物語を読み終えた時の恐怖感を思い出しました。

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  14. アリゾナさん、
    お久しぶりです。
    実習大変ですね。私もいろんな意味で悔し涙をこぼしたことを思い出します。今だから言えますが、「そういうときがあって、よかった」と思います。つくづく。あれらの体験がなければ、今の私もなかったでしょう。
    アリゾナさんの現在と未来には、必要としている人がいっぱいいることでしょうね。素敵な人生を歩んでおられるのだと遠くから想像しています。

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  15. Michikoさん、
    私は、高校生のときに長崎の原爆記念館を訪れて、ものすごい「恐怖」を感じました。その恐怖とは、人間の残酷さへの恐怖でした。
    でも、アウシュヴィッツ強制収容所で感じたのは、それとは異なるものでした。人生を変えるような強い感情は、言葉では表現しにくいものです。私も、よく表現できなくて、もどかしくなります。たぶん、自分でもよく理解できないものだからだと思うのです。
    また、何年か経って見ると、そのときには分からなかったことが見えてくるかもしれないと思っています。

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  16. 由佳里様
    L.A.在住の者です。広範囲にお呼ぶコラム記事を大変興味深く読み始めた所です。
    米国全体の社会情勢及び時事問題にはとても関心がありますので、由佳里さんのコラムを読むのが
    これから楽しい日課となりそうです。今後のご活躍心より応援致します。

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