数学問題の答え

怠け者イワンとトロールの物語


タチアナ8ルーブル、イワン7ルーブル。
正しい解き方というのはない。一番手っ取り早いのは、物語を2{2(2x-8)-8}-8=0という式にすることだが、小学校5年生が終わった時点ではまだ代数学を学んでいない。
日本で教育を受けた者には、方程式で素早く簡潔に解くのが良いことだ、という固定観念がある。ところが、フィンケルスタインは、この時点ではまだ習っていない代数学を使って解いた子よりも、独自の方法で解答にたどり着いた子を褒める。コンセプトを理解せずに正解を得たところで、それが親か公文塾から習った付け刃だということを彼女は察しているのだろう。

「五つの部屋がある家のパズル」の答え

Photo_3

  Photo_4

答えは、「不可能」。
18世紀の数学者レオンハルト・オイラーの有名な「ケーニヒスベルクの橋の問題」に類似したもの。オイラーは、橋の問題で一筆書きが可能になる必要十分条件を見つけた。頂点から出る枝が奇数のものがゼロか二つの場合にのみ可能になる。五つの部屋の場合、奇数の枝が出る頂点は4つあるので一筆書きは不可能。

才能を殺さない教育 第三章 子供の発達に合わせた学校教育(2)

考える力を早期に摘み取られた子供たち

レキシントン公立小学校のいくつかでは、親のボランティアが「Math Olympiads(算数オリンピック)」という課外活動を運営している。これは数学教育者のジョージ・レンクナーが1979年に始めたもので、小学校4,5年生を対象にしたプログラムと中学生対象のものがあり、現在では全米50州と世界26カ国であわせて約5000チーム、15万の生徒が参加している。
「算数オリンピック」のユニークさは、個人プレーではなくチーム努力を重視していることである。11月から3月まで毎月あるテストのすべてに満点を取らない限り誰も自分が何点を取ったのかは知らされない。私がボランティアに加わったのは、友人の夫がリーダーをしていて断りきれなかったからだ。リーダーのデイル・ディラボーはMIT(マサチューセッツ工科大学)で数学を専攻して心理学者になった変り種である。子供に接する前に、ボランティアの私たちを集めて「算数の楽しさを教える」ためのルールを徹底させた。まず、生徒同士を決して比較せず、決して、「どうしてこんな問題も解けないの?」といった批判はしないこと。そして、算数が苦手な子にはできることを探して褒めることで自信をつけさせる、といったものだ。
私以外のボランティア3人がMIT(マサチューセッツ工科大学)とインドのMITとして知られるIndian Institutes of Technologyの卒業生というのには怯えたが、Math Olympiadsに出てくる問題は文章問題やパズルが中心で、頭の運動としてけっこう楽しませていただいた。下記はサンプル問題である。

samplee1.pdfをダウンロード 

算数オリンピックを二年間指導した私は、ある奇妙な現象に気づいた。

自由に席を選ばせたので子供たちは勝手にグループを形成するようになっていた。
そのひとつは、小学校低学年のころから教師に「優等生」とみなされてきた子供たちのグループである。彼らは無駄口を叩かないだけでなく、助け合って解くべき問題でもほとんど討議をしない。誰かが解き方を見つければみなそれを写す。授業ではないのに、いつも深刻な表情で問題を解いている。単純な計算問題だと他のグループよりも速く、正確なのだが、「袋の中にいくつか同じサイズのビー玉が入っている。黒のビー玉は八個で、残りは赤いビー玉である。目をつぶって袋からビー玉をひとつ取り出して、赤の確率が3分の2だとすると、赤いビー玉の数はいくつか?」とほんのちょっとひねっただけで極端にスピードが落ちる。
何よりも私がフラストレーションを覚えたのは、「状況が分からないなら、絵を描いてみようよ」と手助けしようとすると、「それはいらないから、説き方を教えてちょうだい」とせっかちに「方程式」のようなものを求めることである。
また、「宿題じゃないからいいのよ」と言っても、頑固に問題のコピーを持ち帰ろうとするのも彼らの特長だった。

別のグループは、ともかくにぎやかだ。授業中に教師から叱られるタイプの子が多く、テーブルの上に身を乗り出し、怒鳴りあったり、笑ったり、まるで遊んでいるような雰囲気だがちゃんと問題について話し合っている。このグループに先のビー玉の問題を与えると「16」と即答する子が多かった。「どうしてそうなったのか、他の子に教えてくれる?」と尋ねると、「だって、そんなの簡単じゃない」と当然のことを説明する必要はない、といった感じなのだ。このグループは文章問題の把握が非常に早く、しかもひねった問題ほど熱中する傾向があった。そのかわり、計算となるとさほど速くなく、ケアレスミスも多かった。

もっと興味深い発見は、小学校低学年あるいは幼稚園入園前から公文式などで高速計算練習をしてきた子供たちは私が知る限り全員前者のグループに属しており、後者のグループには公文式に通っている子は誰一人いなかったという事実である。また、年間を通じて最も多くの得点を獲得した者にトロフィーが送られることになっているが、小学校4年生と5年生のトロフィー獲得者はどちらも後者のグループに属していた。

どうやら、幼いときに高速計算練習をした子供たちは、数学に限って言えば自分で考える楽しさと能力を失ってしまったようなのである。
「私の子供は公文に通っていたが、今でも数学が得意だ」という人はいるだろう。だが、それは「…にもかかわらず」なのかもしれない。もしかしたら、その子はもっと優れた数学の才能を発揮していたかもしれないのだ。

お隣の高校生バンド

わが家と裏庭の林がくっついている隣家の高校2年生(年齢的には日本の高校1年生)は幼いときから芸術的で自学自習の形で音楽をやってきました。それもこの年齢にはめずらしくレゲエが好きで、土曜日になると友人と作ったバンドの練習をします。

それがあまりにも上手なので、夏の間は土曜日になると窓を開けて彼らの演奏を楽しんできました。シャイで完ぺき主義なスティービーがようやく満足ゆけるレベルに達したようで音楽を発表するようになりました。これはreverbnationに載せているスティービーのバンドJeffrey Terrace(これって近所にある小さなカルデサックの道の名前)の演奏です。スティービーの書いた作品で、ボーカルとギターも彼です。

http://cache.reverbnation.com/widgets/swf/15/widgetPlayer.swf?emailPlaylist=artist_396233&backgroundcolor=EEEEEE&font_color=000000&shuffle=&autoPlay=false

Jeffrey%20Terrace
Quantcast

才能を殺さない教育 第三章 子供の発達に合わせた学校教育(1)

レキシントン公立学校の小学校に子供を通わせるアジア系の親からよく耳にする苦情は、彼らの祖国の教育に比べとくに算数などの進行が「遅れている」ということである。「公立学校の評判が良いから来たのに、やっていることが生ぬるい」、「うちの子は公文でもっと先のことをやっているからもっと高度の数学を教えて欲しい」といったものが多い。レキシントン公立学校では基本的に小学校1年生を1年早く始めるような「飛び級」は認めていない。飛び級をしている子はたいてい他の町ですでに「飛び級」をしてから引っ越してきた者である。それでも幼稚園の年齢のわが子を小学校1年生にしようとしていた親を知っている。その子の天才ぶりを耳にタコができるほど聞かされたが、彼女が高校2年生になった今、レキシントン高校がオファーする生物学のAPクラスすら受講していない。

その子だけではない。幼稚園のころからボストン近郊の公文式教室(日本人経営のものではない)に通っていたアジア系の子供たちのうち、高校生になった現在、数学で突出した能力を発揮している者はほとんどいない。それどころか、小学生のころクラスで最も優等生とみなされていた者が、完全に能力別編成になる高校では最上級のクラスに入れないこともある。それとは対極的に、公文に通わなかったために同級生に比べると計算が苦手で、「私は算数ができない」と言っていた子のほうが「勉強しなくてもわかる」ほど数学が得意になっている。上記の母親が小学校1年生のときに「文字が読めない」と馬鹿にしていた白人の少女は、高校で外国語を2ヶ国語選択し、3つ目は自己学習している。かつての「天才少女」よりはるかに優れた語学の才能を発揮しているわけだ。

早期教育に熱心な親たちの影響で「小学校1年生のうちの子は読書レベルが遅れている」と心配する友人に、私は「小学校の成績は将来の成功だけでなく、中学校、高校の成績とも無関係。今の時期は好きな本を親が読んでやればそれでいい。そのうち続きが知りたくて自分で読むようになるから」と何度も繰り返している。

後に才能を発揮する子供たちにとって最も迷惑なのは、早期教育をしている子供たちと比較されて「私は勉強ができない」と自信を失ってしまうことである。また、早期教育をされる子にとっては、せっかく生まれつき持っている能力を早期教育によって摘み取られてしまうことと、大切な思春期に「私は勉強ができない」と人生に絶望してしまうことである(下記を参照)。

むろん、小学校のときからずっと完璧な成績を維持している子もいる。それはもともと非常に知能が発達している子か、あるいは睡眠時間を削って勉強している子のどちらかである。もし、11歳くらいまで詰め込みをしなかったのならば、これらの子は睡眠時間を削らずに優秀な成績を取る子に育っていたかもしれないのだ。

Jay N Giedd博士などの文献*を読み、レキシントン公立学校を取材し、子供たちの成長を追った結果、私は、子供が持って生まれた才能を殺さず、将来幸せな生活を送るためには、「中学校までは詰め込み教育をしてはならない」と確信するようになった。

レキシントン公立学校では小学校、中学校、高校の3つの学校で学問レベルが非常に異なる。それは、子供の発達に合わせているからである。

小学校以下の学校教育で最も大切なのは次の3点である。
1)「学校は楽しい場所」であり、「学ぶことは楽しい」と感じさせる。
2)好奇心と自分で考える癖を奨励し、努力と想像力を評価し、自信をつけさせる。
3)社会的なルールを学び、社交性を身につける。

やってはいけないことは、
1)高速計算
2)暗記
3)テストによる成績評価(と親が子供同士を比べること)

「こんなことで将来大丈夫なのか?」と憤る親がいるが、心配しなくてもレキシントン高校に入ったとたん突然学問レベルは高度になる。各学年の科学と歴史で大学レベルの内容を教えるAPクラスがあり、それらのクラスでは、日本の進学校よりはるかに難しい内容をものすごいスピードでこなさなければならない。研究もしなければならないし、論文も書かされる。

この(生ぬるい)小学校と(厳しい)高校の間に勉強の仕方を学び、勉強する癖をつけるのが中学校なのだ。
暗記や計算などのテクニックを身に着けるのはこの時期からで十分、というよりも、中学までは詰め込み教育は「やってはいけない」のである。

*ボストングローブ日曜マガジンの「How the push for infant academics may actually be a waste of time – or worse」という特集記事によると、National Institutes of Mental Health (NIMH)の研究者が5歳から19歳までの子供の大脳皮質の厚さとIQスコアの関係を継続的に調べた結果、「非常に優れた頭脳」のカテゴリーに属す子供の大脳皮質は、平均的な頭脳の子供に比べると、遅れて成熟することを発見した。大脳皮質の厚さがピークに達する年齢が、平均的な頭脳の子供が8歳であるのに対して、非常に優れた頭脳を持つ子供の場合は11歳か12歳であったのだ。研究グループの1人Jay Gieddは、グローブ紙の取材に対して、「これは"兎と亀"の物語のようなものです。2歳-これは馬鹿馬鹿しいレベルですが-で本を読めない多くの人々の多くは、2歳で本を読める子供たちに追いつくだけでなく、彼らを超えるということです」と言っている。
テンプル大学のKathy Hirsh-Pasekは、このグローブ紙の記事で、カードを使って計算や綴りを1歳児や2歳児に教えるような早期教育は、neurological "crowding"という現象により正常な脳の発達をかえって妨げるという意見を述べている。これは、将来もっと創造的なタスクのために保存されているほうがよい脳の部分のシナプスを過剰な情報で"混雑"させてしまう現象だという。
これらの学者の情報については、さらに「洋書クラブ」のこの記事をどうぞ。

Walk the Walkの続編

高校生の娘が「日本語の読める同級生が読むから私のことをネタにしないでくれ」と言うのであんまり書かないようにしていますが、「あれ以降どうなっているのだろう?」と思っている方がいらっしゃるようですから、一応近況を。

娘は水泳チームを辞めました。

最初の現象は水泳仲間と気が合わなくなったことでした。娘は文学、音楽、政治、哲学に興味を持ち、高校の友人とはそういう話題で盛り上がるのに、別の学校から集まっている水泳チームの仲間は、「水泳かそこにいない者のゴシップ、または『ゴシップガール』とか『OC』といったくだらないテレビドラマのゴシップだけ」にしか興味がありません。そこで仲間の前で無口になりました。また、1日2時間程度を共有する車の中でナボコフの「ロリータ」を読んでいたところ、彼女より1年から3年年上の仲間たちの誰ひとりとしてこの本のことを知らず、質問されたので内容を説明したら「なんて変な本を読んでいるの!」とさげすみの目で見られたとのことでした。「そういうあの子たちが観ているのが『ゴシップガール』なんだから」と娘はフラストレーションをためていました。

次は競泳者としての素地です。毎年ニューイングランド地方の年齢別水泳記録の上位10人を招く「Top Ten Banquet」というお祝いの会があり、娘も8歳のときからずっと招待されてきました。その会では毎年オリンピック選手が招待されて講演するのですが、娘はそれらを聞いて「私もあの人たちのようにメダルを取りたい!」と思うことはなく、かえって「オリンピックに行ってメダルを取ったあとの彼らの人生はあまり魅力的ではない」と感じることのほうが多かったようです。

そういう素地があったうえに、高校生になって精神的に別の方向に成長し、水泳の特訓と学校の勉強はするけれどそれ以外のことに好奇心を抱かない仲間との隔たりがあっという間に広がったようです。娘は「1秒速く泳いだところで自分の人生で何の意味があるのか?」と疑問を口にするようになりました。

同時に音楽にもっと興味を抱くようになり、「Jazzもやりたい」と言い出したのが昨年6月のこと。吹奏楽団で演奏しているフレンチホルンはJazzの楽器ではないので、トロンボーンを選択し、6月末に学校から楽器を借りて夏の間練習し、9月に高校のJazzバンドのオーディションを受けたところ、まったく予期していなかった難関のJazz Ensembleに受かってしまいました。吹奏楽でホルンも続けていますし、演劇の舞台技術にも手を出し、水泳との両立はほぼ不可能になってきました。

中学生までの彼女があたりまえのように予期していた将来は、先輩たちのように「水泳を利用してより良い大学に行く」というパターンでした。けれども、彼女は「水泳がもう楽しくなくなってしまった」、「大学では水泳はしない」、そして「音楽の練習をしたいから、水泳チームをやめたい」と言い出しました。

長年にわたってチームの親たちから「水泳をしていなければ、わが子はこの大学には合格できなかった」という話を山ほど聞いてきた夫は、最初「せっかくここまでやってきたのに」と渋っていましたが、私が「あなたが彼女の年齢のときに大学入学のために嫌になったことを続けた?」とたずねると即座に考え直し、全面的に彼女の選択を応援することにしました。

それからまだ1年も経っていないのに、水泳の世界は遠い昔のことに思えます。昔のチーム仲間のお母さんたちから、「うちの長女はブラウン大学に入学が決まりました。練習場に大学のスカウトがよくきていて、次女はメールを沢山受け取っています。スカウトが解禁になる来月には直接コンタクトが来ると思います」と聞かされても、「この世界であれこれ悩まずに済む私はなんて幸運なのだろう」と感じるだけなのが、正直言ってとっても嬉しいところです。

水泳を辞めたおかげで娘の睡眠時間は増えたし、機嫌は良いし、学校であった面白いことを沢山話してくれるし、高校の友人やJazzの仲間には興味深い子が多いし、学校生活を100%謳歌している娘を見ていると、わが子に選択を任せることの重要さを実感します。娘も、「水泳は他に選択がないと思いこんで続けてきたものだけれど、Jazzは私がやりたくて選んだこと。だから努力するし、上達するのだ」と威張っています。

とはいえ、いつも彼女のアイディアを即座に受け入れるというわけではありません。

高校に入学したときに「水泳で時間がないから吹奏楽をやめる」と言い出した娘に、「レキシントン高校の音楽部門は全国から羨まれるほど。私が知っている卒業生が口をそろえて『これほど楽しいことはなかった』と言っているから、とりあえず1年やってみなさい。それで嫌ならやめればいい」としつこく勧めたのは私です。今ごろになって娘は「マミーは正しかった」と感謝しています。どこで押してどこで引くか、というのは常に難しい選択です。わが子をどれだけ知っているかにかかっているような気がします。

以下は娘が属しているJazz Ensemble(計17人で構成される、いわゆるビッグバンドです)の演奏サンプルです。

このバンドは、今年2月にニューヨーク市で催されたCharles Mingus High School Jazz Band Competition という高校ジャズバンドのコンペティションで多くの芸術専門高校を破り、2位になりました。その新聞記事。吹奏楽部門ディレクターのレナード氏は、技術よりもフィーリングを大切にし、ユーモアたっぷりで子供たちの自発的なやる気を育てるタイプの指導者です。それが私が娘に「音楽を続けろ」と勧めた理由のひとつです。

10_Perdido_take.mp3をダウンロード

07_the_shepherd.mp3をダウンロード

Darfur救済チャリティのSwing Danceにお越しください

今夜LexingtonのSt. Brigid’s ChurchでDarfur救済チャリティのSwing Danceがありますので、お近くにお住まいの方はぜひいらしてください。

主催グループの中心人物がLexington高校Jazz Ensembleでの娘の先輩で、娘も少々お手伝いしています。高校からはJazz EnsembleとBig Band、そして映画「My Best Friend’s Girl」に出演したプロのスウィングバンドBeantown Swing Orchestra(リーダーはLexington高校Jazz Ensembleの卒業生)が素敵なスウィングの名作を演奏します。最初にダンスのレッスンもありますから素人でも気楽に参加できます。

私も行きたいのですが、娘が「やめてくれ」といいますので去年にひきつづき私は運転手をつとめるだけです。

場所:St. Brigid’s Church (Map Quest)

2001 Massachusetts Ave  Lexington, MA 02421

時間:午後7時から10時

チケット:10ドル(学生はIDを持参すれば7ドル)。予約不要。

教会の裏に大きな駐車場がありますから、駐車の心配もありません。

追記:今日のBoston Globe紙の占いから。(うお座の娘に後で渡そうと思います)

Volunteering for something you believe in will help you in more ways than one. You will meet someone spectacular if you pitch in and help a good cause. Don’t give in too quickily to what may appear to be a simple request. happy01

睡眠不足とボケの関係

2日連続で午前4時前に起床してしまいましたよ。まあ、普段から4時過ぎに起きているのだからそれほど変わらないといえばそうなのですが、このちょっとの差がけっこうこたえるのです。遅いときには就寝が深夜になってしまいますから、この寝不足はこたえます。

そのせいなのか年齢のせいなのか、とんでもないことを忘れることが何度か…。月曜に銀行で入金したレシートを入れたパウチがみつからないので、ずっと悩んでいたところ、ふと木曜の今朝になって「もしかして、郵便局に置き忘れたのでは…」と思いつきました。そして行ったところ、やはりそこにありました。「誰なのかと思ってたわよ~」と笑われてしまいました。「うちのダンナには内緒にしておいてね~」と郵便局のみなさんに釘をさしたら、「OK」という返事。みんな顔見知りなので、後でたっぷり笑い話にされていることでしょう。

そういえば2日前に3時半に起きてしまった理由は悪夢でした。飛行機に搭乗する途中でふと別のことをしはじめて、すっかり何をやっていたのか忘れて家にもどってしまい、くつろいでいるときに「はっ」と飛行機に乗る予定だったことを思い出し、大慌てで走り出したところで目が覚めました。しろうと夢判断をすれば、「郵便局にパウチを忘れてるぞ」という無意識からの伝言だったのかも…。

Amanda Palmerのオリジナル演劇@レキシントン高校

来日したこともあるキャバレーロックバンドDresden Dollsのシンガーソングライター、Amanda Palmerによるオリジナル演劇With the Needle That Sings in Her Heartが、今日から土曜日までの3日間レキシントン高校で上演されます。

Palmerはレキシントン高校の卒業生で、これまでもずっと高校の演劇部門にはかかわってきたのですが、オリジナルは初めて。ですから彼女のファンの間でも期待が高まっています。

Lhs_play

私は今夜ボランティアでアッシャーをしますが、いつもと違ってPalmerファンが押し寄せる予定。そうでなくても毎年チケットは売り切れるのに、入れない人の対応をどうしてくれるんだ?というのが親ボランティアの心配です。Palmerのレキシントン用サイトやTwitterの反応を読むたびに、不安がどっと押し寄せます。

物忘れの堂々巡りの結果

もともと物忘れが激しかったところに更年期障害で、「これは絶対に覚えている」と思ったことでも5分後に「絶対に覚えていると思ったアレは何だったのだろう?」と考え込むことが増えてきました。

過去2週間ほどくりかえしてきた「物忘れの堂々巡り」がこれです。

1.ジョギングの途中に良いアイディアが頭に浮かぶ。

2.家に戻ってすぐに書きとめようと思うが、戻ると家族から話しかけられたり、電話がかかったりして忘れてしまう。

3.またもジョギング中に同じアイディアが浮かぶ。

4.また家に戻ると忘れる。

5.またジョギング中に同じアイディアが浮かぶ。

6.きっとまた忘れるので、思いついたときにすぐにそれを記録できるボイスレコーダーを買おうと思いつく。

7.家に戻ったときにはボイスレコーダーのことをすっかり忘れている。

8.ジョギング中に再びアイディアが浮かび、だからボイスレコーダーを買おうと思ったことも思い出す。

9.家に戻ったら、すぐに別のことを始めてアイディアもボイスレコーダーのことも覚えていない。

今朝、急に雑用で忙しくなりジョギングのチャンスを逃したら、突然頭に浮かんだのが「ボイスレコーダー」。でも、Amazon.comでチェックしながら「そういえばBook Expo用に新しいカメラも欲しいし...」と考えているうちに、結局注文したのはデジタルビデオレコーダーのFlipになってしまいました。線形思考ができない人なので...

Flip

ベルリンの壁崩壊20周年記念

今日政治番組を見ていて、ベルリンの壁崩壊20周年を記念する行事について耳にし、「もう20年も経つのか」と感慨を新たにしました。

私が最後にドイツを旅したのは、まだドイツが東西に分かれているときでした。そのときに滞在したのは英国で知り合い、6歳の年齢差にもかかわらず親友になったYvonne Neuhausの家でした。父親が建築家というだけあって素敵な家で、Yvonneがアルバイトに出かけている間、ドイツ語しか話せない母親とドイツ語ができない私は、広いキッチンのテーブルでコーヒーを飲みながら片言と身振り手振りで会話をしたものでした。

ベルリンの壁の崩壊当時(1989年11月9日)に、ベルリンで一人暮らしをしていたYvonneが日本に住む私に送ってくれたのが、壁の一部です。

Objects_002

それ以降互いに多忙になり、引越しのときに彼女の両親の住所が載っている手帳を紛失してしまい、Yvonneとコンタクトを取ることが不可能になってしまいました。壁のかけらを目にするたびに彼女と過ごした楽しい時間や何度も語り合った「将来のプラン」を思い出します。過去の失恋の相手やボーイフレンドたちの名前はちっとも思い出せないのに、同じ時代の友達の名前だけは決して忘れないでいるというのは不思議なものです(高校生のわが娘にも、「だから失恋しても人生に失望するものではない。10年、20年たてば名前も覚えていないくらい人生に影響がなくなるのだから」と言い聞かせていますconfident)。

Dear Yvonne Neuhaus,

Do you remember that day driving back from Netherlands eating chocolate and singing Kate Bush’s Wuthering Heights? If you happen to find this page, please, please contact me!

Your friend forever,

Yukari Watanabe