才能を殺さない教育 第二章 成功の定義(その3)

大学進学に関するアジア系移民の誤解

アジア系移民の親たちとの会話からひしひしと感じるのは、アメリカでもっとも高い教育を与える大学はハーバードかMIT(あるいはアイビーリーグ大学のひとつ)であり、優れた才能がある子は必ずこれらの大学に入学するという思いこみである。彼らには、これらの大学で優秀な成績を取る頭脳があっても入学を認められない子やこれらの大学にはまったく興味がない子も(数多く)存在するのだということが想像もできないようである。
そして、これらの有名大学に入学できないと人生の落伍者になるという思いこみも典型的だ。
移民の親たちが子供に「勉強しろ。他人に負けるな」とがみがみ言うのは、自分たちもそんな環境で育ち、その結果現在の(成功した)自分が存在するという認識があるからだろう。
少なくとも、レキシントン公立学校を通してアジア系移民と知り合った白人のアメリカ人たちはそのように好意的に解釈している。
好意的な解釈はしても、肯定的にとらえているわけではない。「親の夢を叶えるためにプッシュされる子供がかわいそう」と同情する者や「わが家の教育方針とは異なるのに、学校での競争が過熱てうちの子がプレッシャーを感じている」と迷惑がる者が多い。
そういう親たちのことを、「白人の親は私たち(アジア系の親)のように頭を使わない。だから子供がばかになって将来よい大学に入れなくて後悔することになる」とあざ笑ったアジア系の知人がいたが、その知人の自慢の娘はハーバード大学だけでなくアイビーリーグ大学のいずれにも入学しなかった。大学側が拒否しただけでなく、本人も行きたくなかったのである。そして、小学校1年生で読み書きができず、計算が遅くて彼女の嘲笑の対象であった白人の生徒たちの何人かはアイビーリーグ大学に進学した。

この知人の娘がハーバード大学に入学していたら、ちゃん優秀な成績を取っていただろう。だが、彼女の夢はエリート軍人になることだった。空軍アカデミーでも優秀な成績を取った彼女は軍人として現在エリートの道を進んでいる。この例で私が言いたいのは、最初に述べたように、「これらの大学で優秀な成績を取る頭脳があっても入学を認められない子やこれらの大学にはまったく興味がない子も(数多く)存在するのだ」ということである。

まず、アメリカでは大学の“学問的”評価は、評価する者によって非常に異なる。
USA Todayの大学ランキングは有名だが、これは大学が与える学問の高度さを比べたものではない。入学した者のSATスコアの平均点と、志願者の数に対する入学を許可された学生数といった「入学の難しさ」の比較なのである。出願者と合格者の格差が激しいほど、ランキングは上がる。だから大学はランクを上げるために出願者を増やすためにマーケティングにエネルギーを注ぐのである。
雑誌やインターネットの大学ガイドの評価もまちまちだ。例えば「College Prowler」の学問的ランキングの第1位(2004年現在)は、日本ではあまり知られていないが伝統あるウィリアムズ大学で、それに続くのはスタンフォード、MIT、プリンストン、ダートマスである。ハーバードは7位のジョージタウン大学よりもはるかに下位の13位なのである。
それに、ハーバードのように大きな総合大学では、教授が直接学生を教えずに大学院の学生に講義を任せることが一般的である。それに比べ、リベラルアーツと呼ばれる小規模の大学では、必ず教授が学生を直接指導するために教育の質が高くなる。この4年間の差のために、有名大学院にはリベラルアーツ大学からのほうがアイビーリーグ大学からよりも入学しやすいとも言われる。

次の誤解は、アジア系の親が忠実に従う入学選考の要点である。
白人の親が指摘するように、アジア系の子供は幼いころからピアノと弦楽器を学び、公文式教室に通う傾向がある。中学生になると、夏休みに日本の塾に似たクラスや泊まりがけのキャンプで数学や科学の講義を受けるようになり、高校では標準テストのSAT準備クラスを受講する。
しかし、これらの戦略が実際に役に立つのはわずかな割合のアジア人でしかなく、残りの学生にとってはかえって逆効果になりかねない。

優れた高校に入学することの逆効果

日本と異なり、SATで満点を取っても有名大学に入学できる保証はない。ハーバード大学では、毎年SATで満点を取った学生を何十人も不合格にし、さほど有名ではない大学の合格者平均SAT得点よりも低い点数の生徒を受け入れている。

SATより重要なファクターは、人種と社会経済的なディバーシティ(多様性)である。
有名大学では、実社会を反映したディバーシティを実現するために、通常の入学選考では欠けるカテゴリー(経済的に恵まれない生徒やアフリカ系アメリカ人、ヒスパニック系アメリカ人など)の生徒を優先的に入学させる。マイノリティであれば有利かというと、そうではない。ハーバード大学とMITはアジア系の生徒に人気があるので、応募者も多い。大学はひとつのカテゴリーだけを増やしたくないので、アジア系の生徒同士が比べられることになる。一生懸命SATのために勉強をしても、高校で完璧な成績を取っても、ヴァイオリンとピアノを演奏できても、同じようなアジア人が何百人も入学を希望している状況では、それらが他のアジア系学生に比べて優れていないかぎりは、特別な能力とはみなされない。

それどころか、標準テストのSATを施行するCollege Boardの”The Downside to being an overachiever”
http://www.collegeboard.com/student/plan/high-school/extracurriculars/150225.htmlによると、むしろ大学はこれらの“overachiever(やりすぎの成功者)”を敬遠するらしい。5歳のころから寝る時間も惜しんでピアノの練習をしたとしても、「どうせ、大学入学対策として習ったのだろう」という批判的な目で見られてしまうというのだ。

加えて、レキシントン町には、子供を良い大学に入学させるために越してきたアジア系移民が予期していなかった「落とし穴」がある。
教育分野を専門にしているジャーナリストジェイ・マシューズの「Harvard Schmarvard」は、少数のスーパースターの生徒は別として、優れた高校に通うとかえって有名大学への入学のチャンスが低くなる事実を指摘している。なぜかというと、高校での生徒のランキングを大学が重視するからである。
有名私立あるいは第一章で説明した「マグネットスクール」では、SATスコアが満点に近い生徒が山ほど存在する。普通の町立公立高校であれば全校で1位か2位の成績ランキングだったはずの生徒が、マグネットスクールに入学したために全校で30位程度になってしまうことは珍しくない。大学は、SATスコアが多少低くても、マグネットスクールで30位の生徒ではなくて、普通高校の成績ランキング2位の生徒を取るのである。
レキシントン高校はマグネットスクールではないが、良い学校を求めて移住してきた者が多いために、マグネットスクールに近い環境ができあがっている。実際に、2007年のSATの結果は、私立とマグネットスクールを除くと、マサチューセッツ州でトップである。

それゆえ、他の学校であれば容易にトップに立てる生徒がレキシントン高校では“普通”のレベルになってしまう。APまたはオナーズ・クラスには人数制限があるので、クラスについてゆける能力に達していても自分よりも優秀な者が多ければそのクラスに入ることは許されない。また、オナーズ・クラスに入ると、皆が優秀なので、AどころかBを取ることも難しい。従って、よその高校であれば、大学の入学選考で最も重要だと言われる「高校で選択した授業とその成績」で卓越していたはずの生徒でも、レキシントン高校に行ったために「まあまあ」程度の結果しか提出できない。
マグネットスクールや有名私立と同様に、レキシントン高校からはかえって有名大学に入学しにくい可能性があるのだ。
(しかし、これは「良い大学に入学すること」を成功の絶対条件にした場合の「落とし穴」であり、子供自身の将来にとってはかえって良いことなのかもしれない。それについては別の章で述べることにする。)

若者よりも中年女性のほうが頼りになる

昨日ニューハンプシャー州で大統領予備選が行われました。
民主党ではヒラリー・クリントンが票の39%(オバマは37%で2位)を獲得、共和党ではジョン・マッケィンが37%で隣のマサチューセッツ州前知事のミット・ロムニーを押さえて勝利しました。

マッケィンは4年前の予備選でもニューハンプシャー州では勝利をおさめているのでさほど意外ではなかったのですが、クリントンの勝利は、クリントン本人にとっても驚きだったようです。というのは、3日前のアイオワ州におけるオバマの大勝利の影響がニューハンプシャー州に津波効果を与え、ここでも同じパターンで彼が勝つことをマスコミが予想していたからです。
昨日、一日中放映されていたCNNやMSNBCの政治番組では、投票も終わっていないのに、クリントン敗北の理由を政治のプロたちが語り合っていたくらいです。

けれども、政治評論家たちの予想を裏切るこの結果です。
どうやら、ニューハンプシャー州ではアイオワ州ほど多くの若者が投票しなかったのが結果に影響を与えたようです。それに比較して、40歳以上の女性は「ヒラリーを助けなければ!」という強い義務感にかられてしっかりと投票にやってきたのです。

アメリカ北東部の中年以上の女性(特に民主党と無所属)は、政治好きです。
私と仲良し5人組が集まると、必ず政治の会話になります。
候補者の性格とか好感度なども話題になりますが、医療改革やエネルギー対策などの差にも詳しく、皆がもっとも気にしているのが国際政治の行方です。その中でも、イラク戦争から抜けだし、過去7年間で崩壊したアメリカ合衆国のイメージを取り戻すには誰がもっとも適任者か、というのが最も重大な点です。
しかし、誰に投票するかとなると彼女たちの絶対条件は、「共和党候補に勝てる候補」ということになります。2000年のアル・ゴアと2004年のジョン・ケリーの苦い体験があるために、「最も適任者」より「勝てる候補」ということになってしまうのが残念でなりません。

実は私もそのあたりで悩んでしまうのです。
実際に大統領としての実行力を持つのは、民主党と共和党候補全員の中からも私はヒラリー・クリントンだと信じています。ニューヨーク市での同時テロの後、ニューヨーク州選出の新人国会議員としてスピーチをしたときに(マスコミの作り上げたヒラリーのイメージしか知らない)消防員や警察官は彼女にブーイングをしました。しかし、6年後の今、彼らは同時テロのときに市長として人気があったジュリアーニではなくヒラリー・クリントンを支持しています。それは、彼らがヒラリーの実行力を学んだからです。敵を味方に変えることができる彼女の実行力を見れば、大統領としても彼女が難問を解決することができるのは疑いもありません。
その点で、私はヒラリーが最も適任者だと考えています。
マスコミはヒラリー・クリントンのことを「好感度に問題がある」と言いますが、彼女を身近に知る人は「非常にユーモアがあり、暖かい」と言います。彼女のきついイメージはマスコミが創作したものだと私は強く感じています。

しかし、私は「共和党に勝てる候補」という点では、オバマが民主党候補になるほうがよいのではないかと思うのです。
なぜかというと、ヒラリー本人を知らない大多数のアメリカ人に対する彼女のイメージが悪いからです。
その点、オバマはカリスマがあり、無所属やこれまで投票しなかった若者を引き込むことができます。
でも、若者が信用できるのかどうか、それが問題です。
ハワード・ディーンのときに裏切られたので、やっぱり頼るなら中年女性パワーではないかと思い始めました。

Martin Luther King Jr.のレガシーを偲ぶイベント

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2004年から私がメンバーになっているグループによるキング牧師のレガシーを偲ぶイベントです。
ボストン近辺に住んでいらっしゃる方は、ぜひいらしてください。

この写真を見る

キング牧師のレガシーに多少関連したことです。昨日アイオワ州で行われた大統領予備選挙で、民主党でトップに立ったのは、父親がケニア人(黒人)で母親が白人のアメリカ人のバラック・オバマ(Barack Obama)でした。
白人ばかりのアイオワ州で、黒人の候補がナンバーワンになる、というのは歴史的な快挙です。

これまで政治に興味がなかった若者や黒人、共和党にも民主党にも属していない中立の人々などを予備選に参加させたことで、すっかり様相が変わってきました。
実は、前回の大統領選の前に行われた民主党大会での彼のスピーチに感動して注目していたのですが、ハワード・ディーンの体験からほどほどの希望でやめておこうと思っていたのです。ハワード・ディーンは、彼が無名に近いころからオバマと同じ理由(本当に国家や世界のために働きたいという意欲があり、その意欲を若者に抱かせることができる)で支持し、ラリーや寄付に参加していたのですが、大部分の民主党員の頭の古さに負けてとうとう民主党候補になれませんでした。その理由は、「本選になったときに、民主党以外の者が投票するタイプではない」というもので、安全策として選ばれたジョン・ケリーは結局失敗でした。
そんなことがあったので、今度はほどほどの希望でとどめようと思っていましたが、彼なら古い頭の民主党員を洗脳できるかもしれません。
オバマの今後を注目してください。

あけましておめでとうございます

2008nypicture2これが2008年のニューイヤーEカード。

英語版にまったく説明を入れなかったので、「マサチューセッツ州では大雪が降っているというのに、なぜこのようなグリーティングなのか?」と不思議に思った人は多いよう。「ハワイにバケーションに行っているの?」という質問を受け取ってしまった。(それならうれしいのだけれど…)

わが家はみんな冬のスポーツが嫌いで、機会があれば暖かい場所に逃げ出す。
コネチカット州に住む姑は、(顔を見るだけで腹が立つらしい彼女の夫を置き去りにして)毎年もっとも寒さが厳しい3ヶ月をフロリダ州のリゾート・コンドで過ごす。2月に1週間学校の休みがあるので、毎年「遊びに来なさいよ」と誘われるのだが、夫と娘は3年前に一度遊びに行っただけでこりごりした様子。「二度と行きたくない」と陰でぼやいている。
その最大の理由は、1)リゾートがあるネイプルズは、フロリダ半島の南西側で、波がまったくない。2)リゾート人口の大部分はリタイヤした人々である。

町は整然としていて、暖かくて、ビーチには素敵なレストランや豪邸が並んでいるのだけれど、みんなおとなしくビーチに座っているだけで、誰も海で泳がないというリゾートは、われわれにとっては気が滅入る。トレーニングで1日に何十キロメートルも泳ぐ娘にとっては、体を動かさないのはかえって苦痛である。
泳ぎがさほど得意ではないので夫や娘のようにサーフィンはできない私も、波の下を潜ったり、サーフィンをしている人を見るのがビーチの楽しみである。何もしない人々に囲まれて、何もしないでいると、たった1週間でものすごく歳を取った気分になってしまう。

姑の友人のLさんは、このビーチに接した豪邸を持っていて、しょっちゅう姑をランチに誘うがビーチには来ない。
「Lは、海が嫌いなのよ。気が滅入るから、毎日たくさん抗うつ剤を飲んでるみたい」と姑が言うので、「じゃあなぜフロリダのビーチフロントなんかに住んでいるの?好きな場所に住めばいいじゃない」と軽く返したところ、「(フロリダ州の住民は収入税を払わなくてもよいから)Lのご主人はとてもたくさん財産を持っているのよ。だから、ここに住む以外の選択はないじゃないの」と私の無知を笑われてしまった。

だが、夫と私は「税金を払いたくないから嫌いな場所に我慢して住む」という感覚だけでなく、そんな感覚を持つ人々に囲まれて暮らすこと事態が想像できない。それに、他の年齢層や異なる職種の人々が存在しないコミュニティに住むと、Lさんではないが、たくさん薬を飲まないと一日を過ごせなくなりそうな気がする。夫と私は、「リタイヤしても、絶対にフロリダのリタイアメントコミュニティには住まない」と固く決意した。

沢山持っているのに幸福ではない人々を見ていると、リタイア後に夫婦で野菜作りをはじめ、ドライブ、写真撮影を趣味にしている私の両親がどれほど幸福な人々かわかる。私も、みんなから羨ましがられるような財産や豪邸よりも、毎朝目覚めるのが待ち遠しいような人生を送りたいと思う。

説明が長くなってしまったが、今年のわが家の目標は、お互いの存在と生きていることの幸運を楽しむことである。

人間の男の子なんて、相手にしてられないわ

現在、14歳(こっちでは高校1年生)の娘と友人の間で流行っているのが「Twilight」という本の3部作。
Twilightcover

エドワードという名のとても美しいバンパイアの少年と平凡な人間の少女のロマンスなのだそうだ。
読者の約8割は女子高生で、彼女たちに言わせると、「エドワードのせいで、人間の男の子にちっとも興味なんかわかない」のだそうだ。それを聞いて、昔むかし、私が娘の年頃に萩尾望都の「ポーの一族」に没頭していたことを思い出した。
時と場所が変わっても、ティーンの女の子の心理はそう変わらないようである。.

才能を殺さない教育 第二章 成功の定義(その2)

アメリカの大学入学選考システム

日米の大学入学へのプレッシャーは似ていても合格を決める選考方法は異なる。日本を含めアジア諸国では入学試験ですべてが決まるが、アメリカでは、入学選考を担当する “College Admission Officer”という専門職が提出された書類と面接の結果を審査し、合否を決定する。その過程と何が決定要因になったのかは極秘であり、学生は最後まで合否の理由を知ることはない。 ただし、書類審査で最も重視される一般的な内容についてはよく知られている。それらは以下のようなものである。

1. 高校で選択した授業とその成績

これは多くの大学が最も重視する情報である。 高校の成績は通常A,B,C,D(もっとも高い成績はA+で、A, A-, B+, B….と続く)で表現され、それを数字化した平均値「GPA(Grade Point Average)」は、大学入学後の学生の成功の可能性をある程度予測するために重視される。 大学レベルのカリキュラムのAPあるいはオナーズ・クラス(習熟度別クラス編成などでの上級クラス)を学生が受講しているかどうかも大学側は重視する。 一般的に、大学は難易度の低いクラスでAを取る生徒よりも、難易度の高いAPやオナーでBマイナスを取る生徒を高く評価する。

2.標準テストのスコア

高校によりレベルに差があるので、GPAだけで学生を比較することはできない。そこで、全国的な標準テストのSATあるいはACTのスコアが参考として使われる。 2006年に改良されたSATでは、読解、数学、作文(そのうち1セクションは25分でエッセイを書くこと)の3つの能力をテストする。 ACTは、英語、数学、読解、自然科学ですべて選択問題である。

アイビーリーグやスタンフォード、カリフォルニア大学各校、カリフォルニア工科大学、マサチューセッツ工科大学、ウィリアムズ、スワースモア、アムハースト大などの出願者には、SATが満点なんていうのは珍しくもない。何度も受験できるし、テクニックさえ身につければ誰でもある程度の点は取れる。

大学側もそれを知っているので、ある程度の点数があれば、さほど重視はしない。満点でも不合格になることはよくある。

3. 授業以外の活動 スポーツ、音楽、奉仕活動など学校の授業以外の活動

オリンピック、国体出場レベルのアスリートであれば、アイビーリーグやスタンフォード大、カリフォルニア大学の各校など有名大学からスカウトしてもらえる。成績が非常に良い必要はない。「えっ!あの子が?」というような成績の子でもアイビーリーグの大学に合格している。地方大会レベルで優秀なアスリートの場合、学校の成績が非常に良くても、スポーツを重視するアイビーリーグやスタンフォード大などの入学にはまったく有利にはならない。

ピアノやヴァイオリンなど音楽も重視されているが、これらの楽器を演奏するアジア人は多いので、よほどのレベルでないと有利にはならない。

かえって学校でのスポーツや音楽での活躍のほうが、リーダーシップと学生の入学後の成功度を推察するために良いとみなされているのか、重視されている。

米国の大学入学専攻のほうが日本の大学入試よりも大変だというのは、これらを行っていないと良い大学に入学することができないからである。「勉強ができるだけではダメ」というのは、生徒にとっては、かえってストレスがあるものなのだ。

4. 出願エッセイ

これは非常に重要。

成績などの条件が似通った志願者の中から一人を選ぶ場合に、魅力的なエッセイを書いているだけで有利になる。

また、成績が多少他の生徒より劣っていても、大学が内容に個性や才能を感じたら、それだけでも合格する場合があるという。(実際にそれでMITに合格したと信じている学生に会ったことがある)

5. 推薦状

学生の前途を予測させるので、高校の成績と同じほど重視する大学もある。

大学にもよるが、一般的に高校のジュニアかシニア(3年目か4年目)で選択したクラスの2人の教師(理数系から一人、文系から一人)からの推薦状が必要である。生徒が自分で教師に依頼する。教師は生徒に内容を見せずに大学に直接出すので、内容は非常に正直である。教師の中には、生徒から依頼されたときに「書いてもよいが、あまり良い内容にはならないよ。それでもいいかい?他の先生に頼んだほうがよいかも」とはっきり伝える場合もある。 補足の推薦状として、属しているスポーツクラブのコーチ、奉仕活動の責任者、クラブの顧問など、活動の内容と合致する人物のものも効果的だが、あまり多く出すと、かえって逆効果になることがある。

6.レガシー入学(Legacy Admission)

親族がその大学にコネクションがある場合(教授、理事、卒業生、寄贈者、など)優先的に入学を認められる制度。特に、古く伝統がある大学でこの傾向が強いと言われる。

7. 人種/社会経済的背景

黒人、ヒスパニック系アメリカ人、アメリカ原住民(アメリカ・インディアン)と都市部の社会経済的にハンディキャップのある学生の場合、SATスコアが他の学生よりもきわめて低くても入学を許可されることがある。

その目的のひとつは、社会的にハンディキャップがある学生に成功のチャンスを与えることである。潜在的能力を持っていても、高等教育を受けていない親に育てられた子供のSATスコアが低いことはすでに多くの研究結果で明らかになっている。優れた大学にとっては、そういった学生の潜在能力を見極めて成功に導くことが、ひとつのチャレンジなのである。 もうひとつの目的は、現実社会全体を反映したバランスのとれた環境で学ぶことで、恵まれた立場の学生もかえって多くのことを学べるという考え方である。

ただし、一般的にテストの成績がよいアジア系学生は社会的にハンディキャップがあるマイノリティとはみなされない。特に、アジア人が好むハーバード大学やMITにはアジア系の志願者が多いので、アジア人であることは有利にはならない。中西部のあまりアジア人が多くない大学では、有利になるかもしれない。

 

これらはあくまで一般的な検討項目であり、どの項目がもっとも重視されるのかは、それぞれの大学が求める学生像により異なるだけでなく、時代の流れに従い変移している。 入学試験という白黒がはっきりした選択方法に慣れているアジア系の移民にとって、このようなアメリカの大学入学選考を完璧に理解することは難しい。システムの差を頭で理解しても、感情的な部分では、生まれ育った国の価値観をひきずってしまう。

クリスマスの憂鬱

このところ、私のことを思いやって熱いメールを送ってくれるのは、Amazon, Coach, Talbot, Sony, Apple..といったお店ばかりである。私のほうも、アメリカ人の姪と甥が5人いるのでクリスマスプレゼントのチョイスで頭が痛い。
そもそも、この4人(1人はまだ生まれたばかりだからのぞくとして)は、一般的な現代っ子に比較しても、さらに欲しいものは何でも手に入る生活を送っている。ちょっとしたものでは、”大喜び!”というリアクションは望めない。
しかし、だからといってさらに豪華なプレゼントを与えるというのは、お金の無駄だけでなく、かえって教育上よくないのではないかと思うのである。
なんてことを思って悩むのは私だけのようで、彼らはちゃんと”希望プレゼントリスト”を作って姑に渡す。
そこから選んで与えてしまえば簡単なのだが、それではプレゼントとしての価値がないような気がするのである。

私はひねくれ者なので、結局自分が「これ」と思うものをせっせと探して送る。
たいていは、その子の年齢と趣味にあった、掘り出し物の本とDVDである。
それに加えて、ちっちゃなスイマーたちには年上のスイマーたちの間で流行している水着を買った。

一生懸命選んでも、ちっともありがたがられないこともあるが、たまには大成功のこともある。
愉快なことに、去年のクリスマスに買ったカードゲームは、ふだんコンピューターゲーム漬けのティーンエイジャーの甥たちに大人気だった。
ナンタケット島に来ている間、毎晩「ファミリービジネス(カードゲームの名前)をしようぜ!」と誘うのは彼らのほうで、『時間をかけて選んでよかった』と思ったものである。

今年も、「リストから選んでしまえば?」という姑のアドバイスに逆らって、いろいろ考えている。
そして、一番プレゼントが必要なのにいつも忘れ去られている人にも今年はプレゼントすることにした。

iPhoneは、いったん使い始めると癖になります。
Prodiphone

天才は作れない

以前に「才能のある子は幼いときから始めなくても才能を発揮するし、ない者は(ある程度才能を伸ばすことができても)決してオリンピック選手や国際的数学者には育たない」と書いたが、それについて付け加えたい。

わが娘が属している水泳チームには、14歳でシニア・ナショナル選手権(全国大会)で200メートル背泳の2位になり、国際水泳選手権大会に米国代表として出場したエリザベス・バイセルという選手がいる。娘と半年しか年齢が離れていないこともあり、彼女が7歳のころからその存在は知っていた。年齢別の全米記録を次々と更新してゆく彼女のことを“早期英才教育”の産物だとみなしていた者は多く、「成長が止まると、スピードも衰えて凡人になるだろう」とか「親がプッシュしすぎると燃え尽きるだろう」と予想する者もいた。

しかし、同じチームの一員になってみて、私はそれらの推察がすべて大きな誤解だということに気付いた。

まず驚いたのは、彼女が自分よりも3歳から4歳年上の男性選手と同じレーンで練習するということである。それだけではなく、オリンピック選考大会の出場権を持つ年上の男性選手たちをどんどん追い越してゆく。もちろんエリートの男性選手達は年下の女の子に追い越されたくないので必死にスピードを上げるのだが、エリザベスにはかなわない。

それだけでなく、彼女からは他のエリート選手から滲み出るシリアスさが感じられないのである。彼女の母親によると、金曜日はバイオリンの練習があるから水泳には来ないし、他の選手が午前4時半に起床して行う朝練習には、生まれてから一度しか参加したことがない。練習中に一番お喋りするのは彼女だし、コーチから「お喋りをやめろ!」と怒鳴られても、あっけらかんと喋り続けている。いつも「この世に水泳ほど楽しいことはない」、といった感じである。

私の娘は、自分に年齢が近いエリザベスではなく、エリザベスより2歳年下の弟ダニーと仲が良い。というのは、どちらもこのエリートチームではやや“落ちこぼれ”に近い存在だからだろう。2人ともある程度は競争心のある選手なのだが、ここに集まっている大部分の選手に比べると、「この程度でいいや」と自分で調節するところがある。練習でも追い越されたくないので他人をブロックする選手が多い中、彼らは「お先にどうぞ」と順番を譲っている。親としては、「そんなに遠慮せずに、ちゃんと自分の場所を確保しなさい!」と言いたくもなるが、これが彼女の性格なのだから仕方がない。

非常に優れた才能を持つ子供たちを実際に知ると、わが子の早期英才教育に必死になる親の愚かさをひしひしと感じる。エリザベスでわかるように、オリンピックに行くような選手は、生まれつき超人的なスタミナに加えて超人的な競争心も持っているのである。これは誰かが幼いことから教えこんで作れるようなものではない。

早期英才教育は時間の無駄より悪い(その2)

ボストングローブ日曜マガジンの「How the push for infant academics may actually be a waste of time – or worse」という特集記事によると、National Institutes of Mental Health (NIMH)の研究者が5歳から19歳までの子供の大脳皮質の厚さとIQスコアの関係を継続的に調べた結果、「非常に優れた頭脳」のカテゴリーに属す子供の大脳皮質は、平均的な頭脳の子供に比べると、遅れて成熟することを発見した。大脳皮質の厚さがピークに達する年齢が、平均的な頭脳の子供が8歳であるのに対して、非常に優れた頭脳を持つ子供の場合は11歳か12歳であったのだ。研究グループの1人Jay Gieddは、グローブ紙の取材に対して、「これは"兎と亀"の物語のようなものです。2歳-これは馬鹿馬鹿しいレベルですが-で本を読めない多くの人々の多くは、2歳で本を読める子供たちに追いつくだけでなく、彼らを超えるということです」

誰でも、小学校で成績が悪かった同級生(なぜか多くの場合は男の子である)が高校で突然変身して優等生になったのを経験しているはずだ。それは、もともと才能ある彼らの脳が普通人の私たちに比べて遅れて成熟しただけのことだったのかもしれない。

テンプル大学のKathy Hirsh-Pasekは、このグローブ紙の記事で、カードを使って計算や綴りを1歳児や2歳児に教えるような早期教育は、neurological "crowding"という現象により正常な脳の発達をかえって妨げるという意見を述べている。これは、将来もっと創造的なタスクのために保存されているほうがよい脳の部分のシナプスを過剰な情報で"混雑"させてしまう現象だという。

これらの意見は、私が幼稚園のころから娘の通う小学校にボランティアとして入り込み、そのころ既に小学校高学年程度の本が読め、公文式教室に通っていた子供たちを、高校1年生になった現在まで継続的に観察した結果とに一致している。

幼稚園のころからボストン近郊の公文式教室(日本人経営のものではない)に通っていたアジア系の子供たちのうち、高校生になった現在、数学で突出した能力を発揮している者はほとんどいない。それどころか、小学生のころクラスで最も優等生とみなされていた彼らの多くが、能力別編成になる高校1年生の数学で3レベルの中間に属している。それとは対極的に、公文に通わなかったために同級生に比べると計算が苦手で、「私は算数ができない」と言っていた子が、教師から飛び級を勧められるほど数学が得意になっている。

これらの現象については「才能を殺さない教育」で詳しく語るつもりだが、グローブ紙の特集記事が指摘しているように、危険なのは、われわれが”兎”のパフォーマンスをあたりまえの基準として認めることで、“亀”が最初の走りでの評価を受け入れて、やる気を失ってしまうことである。将来歴史に残るような文芸作品を書く潜在的能力を持っている子供が、小学校1年生の担任教師から「読み書きができない」という評価を受け、「どうせ僕は読み書きが苦手なんだ」と思いこんで本に触ろうともしなくなったら、学校と他人の教育ママたちが、子供たちの潜在的能力を殺していることになる。これは、嘆かわしい現実である。

才能を殺さない教育 第二章 成功の定義(その1)

アジア系移民の“成功の定義”と落とし穴

「あなたにとって子供の成功の定義は?」

こう尋ねると、日本人や韓国系移民は「そりゃあ、よい大学には行って欲しいけれど……」とあいまいに言葉を濁すが、たぶん文化の差なのだろう、レキシントン町に住む中国系移民の多くはあっさりとこう答えてくれる。

「私たち中国人の間では、ハーバード大学かMIT(マサチューセッツ工科大学)でないと……という思いこみがありますね。実際同じ通りに住んでいる中国人家庭の子どもたちは、ハーバードとMITに入学したから、こちらもそうしなくちゃならないような、そんなプレッシャーがありますよ」

中国大陸からの移民である両親を持つアルバート・チェンはレキシントン町の中国系移民が目標とする存在だ。高校の最初の2年間で数学のもっとも難しい過程を終えてしまい、3年目にはハーバード大学の延長プログラム、四年目にはスタンフォード大学の遠距離授業の最高レベルを修了し、数学チームではキャプテンを務め、全国レベルの大会で数々の優秀な成績を収め、化学コンテストではニューイングランド地方大会で二位になり、高校三年生の夏休みには全米で五十人だけが選ばれるMIT(マサチューセッツ工科大学)の研究プログラムに参加し、クラスメイトの誰よりも先にMITとハーバード大学の両方から合格通知を受け取った。アルバートの兄もMITに通っている。

実際にレキシントン高校からは2003年度はハーバード大学に5人、MITには8人入学しており、この数は町立の公立学校としては全国でトップレベルであり、他のマサチューセッツ州の優秀な公立学校と比較しても多い。しかし、約400人の卒業生のうち2割以上がアジア系であることを考慮に入れると、中国系移民の子弟全員がハーバードかMITに入学していないことは明らかだ。「ハーバードかMIT」を成功の定義にすると、9割以上のアジア系学生は人生の落伍者ということになってしまう。

しかも、レキシントン高校には、「わが子を良い大学に入学させる」ことを期待して他の町よりも高い不動産を買ったアジア系移民が知らない「落とし穴」がある。そこそこ優秀な生徒にとっては、大学入試というものがないアメリカの制度においては、レキシントン公立学校からトップレベルの大学にはかえって入学しにくいのである。

その理由を説明する前に、まずアメリカの大学入学選考システムを説明しよう。