アメリカの大学入試がよくわかる良心的な書『アイビーリーグの入り方』

以前からこのブログなどでも語ってきたことですが、アメリカにはハーバード大学以外にも非常に優れた大学が沢山あります。ハーバード大に入学した生徒よりも優秀な学生が、積極的に別の大学を選ぶことは、日本人の皆さんが想像するよりずっと多いのです。

むしろ、アジア人に人気がある(ゆえに同じような生徒が集まる傾向がある)ハーバード大を避けるアジア系の学生もいますし、「一番」というブランド力にこだわる学生が集まるのを嫌って避ける学生もいます。ひいおじいさんの時代からずっと「イェール」だから同じ大学に行くという人もいますし、「ブリガム・ヤング」や「ノートルダム」のように宗教で選ぶ人もいます。ヒラリー・クリントンが卒業した「ウェルズリー」は、女性が男尊女卑の傾向に邪魔されずに強いリーダーシップを身につけられることで有名です。ですから、日本のように偏差値のはっきりした序列などはないのです。

また、アジア系の学生はSATという統一テストの点数にこだわりますが、このテストは練習さえすれば高得点を取ることができますので満点でもさほど有利ではありません。アメリカの大学は、テストの点を取ることだけが上手な生徒を優遇しないのです。

これらの日本人が誤解しがちなアメリカの名門校や大学入試のシステムについて、非常に良心的に解説しているのが冷泉彰彦さんの新著『アイビーリーグの入り方』です。

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50歳の誕生日を、こんな風に祝ってみてはいかが?

アメリカでは50歳の誕生日をけっこう盛大に祝います。

伴侶のために遠くから昔の友人を呼び寄せてサプライズパーティをしたり、ダンスパーティをしたり、ケータリングをしたり、といった感じです。

私はもう2年前に通り過ぎてしまったし、特別なことはしなかったのですが、そういう「お年頃」ですから招待状はやってきます。ちょっとした試みにはもう驚かないのですが、最近招待された誕生日イベントには驚きました。

なんと、夜のパーティに先立って、日中に「デカスロン」をするというのです。

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住民が手作りする公教育13(最終回)

12章 守るべきもの

レキシントン公立学校高校生と卒業生を取材したとき、「記憶に残っている良い教師」として名前があがったのは、独自のユーモアがあり子どもと心を通わせるのがうまい先生たちでした。けれども、なれなれしい態度で接するわけではなく、生徒の人格を尊重しているのが伝わっているのです。

意外だったのは、「教える教科に実際に興味を持ち、知識があり、教えることに情熱を抱いている」のが子どもたちにとって最も重要な教師の資質だったことです。

「あの先生は良い人だけれど、教える教科の知識が不足している(あるいは、教え方が下手)」というネガティブな評価を受けた教師が山ほどいたところをみると、やはり教師の本質は「教える」ことにあるのでしょう。

 

レキシントン高校のマーチングバンド(吹奏楽団のメンバー)

多くの生徒と保護者が「尊敬している教師」としてあげたレキシントン高校の音楽ディレクター、レナード先生

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住民が手作りする公教育12

11章 善意が正義に罰されるとき

 

10章でご紹介したレキシントン町の*No Place For Hate(文中NPFHと省略)プログラムは、2000年にスタートしたときから実り多い活動をしてきました。

町議会などでの討論を険悪なものではなく建設的にするためのガイドライン「Guidelines for Civil Discourse」を作成し、司会役を勤める人々を教育するワークショップ「Leading and Conducting Effective Meeting Workshop」を企画し、キング牧師の栄誉を讃える記念行事を運営し、警察官や消防署員が多様性のある住民に対応できるように「ディバーシティ・トレーニング」を行い、町で諍いが起こったときに即座に対応する「緊急対策チーム(The Incident Response Team)」を設立させ、前章のような危機にはコミュニティをまとめる指揮を取ってきたのです。

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住民が手作りする公教育11

10章 支え合うコミュニティ

学校がマスコミから糾弾される事件がおきたとき、多くの場合、地域の住民も一緒になって非難する側にまわります。また、学校と警察、学校と保護者は敵対関係になりがちです。

学校関係者は情報を隠したり、責任を回避したりしますし、追いつめられると自分では悪くないと思っていても全面的に謝罪します。

けれども、保護者の逮捕をきっかけに全米からの悪意にさらされるようになったレキシントン公立学校とエスタブルック小学校のコミュニティは異なる行動を取ったのです。

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住民が手作りする公教育10

 9章 努力していても「不祥事」は起こる

日本の学校で不祥事が起きると、必ずと言ってよいほど同じ反応が起こります。

不祥事を起こした当人、管理責任がある校長、それを管理する教育委員会を、マスコミと国民がよってたかって非難し、糾弾します。マスコミが小出しに出てくる情報をテレビや新聞、インターネットで知り、あたかもその場にいたかのように他人に伝えます。むろん、実際に深刻な問題があることもあります。けれども、巷に広まってゆくのは、もともと疑わしい情報に推測や創作が加わった「真実」なのです。

お茶の間で、職場で、ソーシャルメディアで、「なんて不道徳な人間たちなのか!」、「こんな人間がいるなんて恥ずかしい」、「罰を与えるべきだ」、「許してはならない!」という怒りの声が盛り上がります。「責任者は謝罪しろ!」と求め、謝罪すると「謝罪のあの台詞が気に入らない!反省していない!」とさらに怒ります。

こんなに正義感が強い人が多いのですから、マスコミが彼らの怒りをかきたてることで、きっと理想的な社会が実現することでしょう。少なくとも怒りの拳を振り上げる人はそう信じているはずです。

でも、現場の事情を知らず、現場に行って長期的に力を貸すつもりがない人たちの「正義感」にどれだけ効果があるのでしょうか?

それを考えていただくために、ぜひこの実話をお読みいただきたいと思います。

【注意】この章を読む前に、必ずこれまでの章をお読みください

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