世界で最も素晴らしい書店のひとつ El Ateneo Grand Splendid訪問

ボストンから南極旅行の出発地点Ushuaiaまでは遠く、飛行機のキャンセルで船に乗り遅れてはいけないので、時間の余裕を持ちながら途中地点で観光をしています。

最初の立ち寄り地点はブエノスアイレス。夫は講演で2週間前に訪問したばかりなのですが、私は初めて。

ブエノスアイレスに来る機会があったら、絶対に訪問したいと思っていたのが、Lonely PlanetのThe World's Greatest Bookshops(世界でもっとも偉大な書店)で2位になったEl Ateneo Grand Splendidです。

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ジョギングも旅の楽しみのひとつ

15年以上走っているけれども、レースには出場しない主義の私である。

レースはしないが、旅行先で走るのは大好きだ。

早朝に走ると、その地の素顔に出会えるのがいい。そして、風景をひとりじめできるのも最高にリッチな気分である。

もちろん知らない土地だから安全の確認をする必要がある。

先日カナダのプリンスエドワード島、シャーロットタウンに滞在したときも、ホテルのロビーに尋ねた。

すると、安全なだけでなく、距離がついたジョギングやウォーキング用のマップまで用意されていたのである。これには感動した。

さっそく翌朝少し明るくなった頃にマップを持ってでかけた。

 

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陽が昇る前の海と空の美しさ!

 

 

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最も手っ取り早い自分への投資は読書である『野蛮人の読書術』

アメリカ在住の私が元参議院議員の田村耕太郎さんの存在を知ったのはツイッター上のことだった(ツイッターではよく「タムコーさん」と呼ばれている)。

私はブログ「洋書ファンクラブ」で洋書を紹介しているし(今年は『ジャンル別 洋書ベスト500』という本も上梓したし)毎日ジョギングやクロストレーニングは欠かさない。トレッドミルで走りながら読書をするために初代キンドルを購入したくらいの人だ。だから、『世界のエリートはなぜ歩きながら本を読むのか?
』という本を書き、若者たちに「英語を勉強しよう!」、「世界に出てゆこう!」、「身体を鍛え、読書をしよう!」とツイッターで呼びかける田村さんに共感を覚えた。ツイッター友達に紹介していただいたところ、想像以上に気さくでポジティブな方だった。

 

その田村さんが 『野蛮人の読書術』という読書に関する新刊を上梓された(情報公開:私も47ページでちょっと紹介していただいている)。

田村さんは、「はじめに」の冒頭にこう書いておられる。

私が伝えたいメッセージは、「読書こそが、激動の現代を"自由に生き抜く術”を身につけるための、最良にして最短の道である」というものだ。

以前、ご紹介した佐々木俊尚さんの『レイヤー化する世界』にも書かれていたが、「ハイパーコネクティッド化(田村さんの表現)」し、「レイヤー化(佐々木さんの表現)」したこれからの世界は、今までの私たちが馴染んだものとは異なるものになる。しかも、変化のスピードは加速している。

私と同年代かそれ以上の年寄りは「日本はガラパゴスでいい」と頑固に抵抗していても損はしないかもしれないが、これから何十年も生きなければならない若者はそういうわけにはゆかない。ひとりひとりが、世界と複雑に繋がった日本で「生き抜く術」を考えなければならないのである。

田村さんや佐々木さんにこの「危機感」が見えるのは、海外に飛び出して現状を見ているだけではない。読書で知識を蓄積しているからである。同じものを見ていても、知識があるのとないのとでは、見えるものが異なるのである。

田村さんも本書で指摘しておられるが、アメリカの優良大学(アイビーリークという意味ではない。ランキングも使うデータで結果が異なるのでそのまま信じないほうがいいが、リベラルアーツ大学のランキングも同様に、トップ100程度は優良大学とみなしていただきたい)では、相当量の本を読まねばならない。本書にも登場する寺田悠馬さんが卒業したコロンビア大学(この場合、Columbia UniversityのうちColumbia Collegeだけを指す)では、「コアカリキュラム」というものがあり、専攻にかかわらず全員がContemporary Civilization,
Literature, Humanities,
University Writing,
Art Humanities,
Music Humanities,
Frontiers of Science
を勉強しなければならないのである。つまり、物理学を専攻する者も現代文明、文学、音楽、アートを学ばねばならず、文学を専攻する者も基本的な科学を学ばねばならない。

コロンビア大学は、その目的を次のように説明している。

The habits of mind developed in the Core cultivate a critical and
creative intellectual capacity that students employ long after college,
in the pursuit and the fulfillment of meaningful lives.(コアカリキュラムによって培われた知の習慣は、学生が、有意義な人生を追求し、実現するために卒業後も長期にわたって活用できるクリティカルかつ創造的な知的能力を培う。)

私の娘がコロンビア大学を選んだ理由のひとつが、「クリティカルかつ創造的な知的能力を培う」コア・カリキュラムだった。

そのコア・カリキュラムの重要な部分が読書である。合格した者がプレゼントとして受け取るのは『Iliad(ホメロスのイリアス)』で、20世紀初頭からすべてのコロンビア大学生が読んできた本のひとつだ。そのほか、本書で寺田さんが語るように、プラトンの『国家』、フロイトの『文明への不満』、ウルフの『灯台へ』などを読み、ディスカッションしなければならない。

ふだん自分では選ばない類の本を短期間で集中して読み、ディスカッションし、エッセイを書くことで、これまでになかった能力が身につく。特にアメリカでは、どの専門職でも大量の書物や書類を読まねばならず、論文を書いたり、プレゼンテーションや講演をしなければならない。短期間で読書し、内容を把握し、アウトプットする知的訓練を大学時代にすることで、卒業後の仕事の内容やスピードに差が出てくるのは当然のことだろう。人生の楽しみ方にも差が出てくる他の人が「辛い」と思う作業が「興味深い」、「楽しい」に変わるからである。

私は娘からコア・カリキュラムの素晴らしさを何度も聞かされ、「私もそういう大学に行ってみたかった」と羨ましく思った。私は親の反対にあい、自分で働いてお金を貯めてイギリスに語学留学し、それで「勘当だ」と言われた人なのだ。知の習慣をつけるために留学させてもらえるような恵まれた子供時代は送っていない。だが、若い頃に機会がなかったことを嘆いても仕方がない。親から機会を与えてもらえなかったなら、自分で自分に機会を与えてやればいいのだ。

それが「読書」である。

特に英語での読書をおすすめする理由は、1)日本語に訳されていない本を読める、2)出版されたときに世界の人々と同時に読める、3)海外の人々と本を通じて繋がることができる、4)世界で何が起こっているのかを把握することができる、5)他人の受け売りではなく、自分で結論を導き出して戦略を立てることができる、からである。

 

田村耕太郎さんのひたすら前向きな発言は、「グローバル」とか「エリート」というバズワードと重なったときに、シニカルなインテリ層の苦笑を買うことがある。私は「エリート」とは無関係の経歴だし、ときおりアンチ・エリート的な発言もする。「グローバル人材」という表現も誤解を呼ぶのでなるべく避けたいと思っている。だが、田村さんがバズワードを使って若者に伝えようとしていることには大いに賛同するし、彼の底なしのポジティブさも尊敬している。揶揄や中傷は無視するが、正当な異論や批判には耳を傾け、意見を修正する彼の柔軟さに気づいているからだ。こういう「ナチュラルに朗らか」の背後には、必ずといっていいほど他人には見えない決意と努力がある。私が田村さんを根本的に尊敬するのはそういう部分である。

閉塞感、羨望、劣等感でシニカルな態度を取っていても、人生は良くならない。不満や不平を抱いている暇があったら、外に出て真剣勝負してみたほうがいい。ワクワクするだけでなく、怖い思いもするだろうが、それでもずっと面白い人生を生きることはできる。少なくとも、死ぬときに「やりたいことをやっておけばよかった」と後悔することだけはない。

周囲の大人や大学が教えてくれない部分は、読書で得ようではないか。

田村さんは自分のことを「野蛮人」と謙遜しておられるが、野蛮人でも、私のような田舎者でも、読書によって同じ情報を得ることができる。ネットでの映像を使った教育が注目されているが、それだけではダメだ。多少苦労して本を読まねば、自分でエッセンスを把握する能力は鍛えられない。

田村さんの『野蛮人の読書術』には、いろいろな読書家が登場するが、彼らの読書術とおすすめの本も刺激になる。他人より多くの本を読んでいることを自負している私でも、他の読書家のアプローチは参考になったし、「ああ、これも読まねば」と思う本がいくつもあった。

何よりも「読もう」、「読まねば」という動機を与えてくれるのが好ましい良書である。高校生、大学生への贈り物にもおすすめ。

「海外で売りたい」「売れないのはなぜ?」を本音トークしてみたらどうだろう?

カナダのニューブランズウィック州セント・ジョン市商工会議所(Chambers of Commerce)が、地域のビジネスを活性化させる新しいマーケティングを学ぶセミナーを実施した。

ここで2日にわたって講演とセミナーをした夫David Meerman Scottの補佐役として私も参加させていただいた。

ニューブランズウィック博物館でのレセプションで、鯨の骨に取り囲まれて、商工会議所の人やカナダ人ビジネスマンたちとざっくばらんなビジネストークをしたのだが、こういう場で聞く本音がいつも面白い。

 

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right whale(セミクジラ)の骨の前で

 

 

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佐々木俊尚氏の『レイヤー化する世界』を活用する提案

ジャーナリストで作家の佐々木俊尚さんは、 ツイッターでも@sasakitoshinaoアカウントで、興味深い情報をキュレートして提供されている。

その佐々木さんが、新刊『レイヤー化する世界』で、古代から現在までの全世界での社会システムの変遷を説明し、最後に近未来を予測されている。

 

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「危険」を怖れるのではなく、「危険」を計算して行動すべきだ

海外を旅行中の日本人が襲われるたびに、その地の危険さを強調する意見や、そんな場所に行った被害者の「安易な判断」への批判がネットにあふれる。

「アメリカは銃で撃たれるから危険だ」と信じている人もいる。

それらの過剰な反応を目にするたびに「では日本にいれば犯罪にあわないのか?」と尋ねたくなる。「通り魔」という単語があるくらいだから、歩いているときにいきなり刃物で刺されたりする事件はあるのだ。

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極めていないけれど飽きっぽい私がおおいに同感する本、『極めるひとほどあきっぽい』

私はよく受ける質問に「渡辺さんの職業はいったい何ですか?」というのがある。

簡単そうで、とても難しい。なぜかというと、いろんなことをやっているし、それぞれあんまり極めていないからである。日本ではよく「あきっぽい」と非難された。「嫌な場所でも、もっと我慢して長く続けるべきだ」と忠言してくれる人もいた。

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子どもが心理的な暴力を受けない権利を無視しないでほしい(オリジナル)。

肉体的なことに関して、たとえば大学のスポーツ部でよくある「シゴキ」に近い特訓を9歳児に与えたとし、「9歳にはキツすぎたかもしれない。けれども、それを乗り越えられたのだから役に立ったのだ。だから、すべての小学生からその機会を奪う大人は間違っている。与えるべきではないか」と主張したら「何を言っているのだ?」と叩かれるだろう。

少なくとも、疑問に思う人のほうが多い筈だ。

その子によっては、乗り越えて逞しくなる機会かもしれないが、成長に合わない特訓は、身体を壊してしまう。つまり肉体的なトラウマになる。

だが、肉体的なことではなく、情緒や心理に大きな影響を与えるビジュアルや文章の情報については、日本人は非常に無頓着だと思う。


いま、「はだしのゲン」が話題になっている。

私はその背後の情報をよく知らないので、それについては意見はない。その固有の問題とは切り離して次の意見を聞いてほしい。

このブログ記事がSNSで話題になっている。意味が分からない子どもに読ませても、結果的に考えるきっかけを与える「良い逸話」として。

だが、私はあえて異論を提供したい。

レイテ・テルゲマイヤーの場合には、わが子をよく知り「彼女なら大丈夫」と判断した親が与え、ショックを受けた後、フォローすることができた。だが、心理的に成熟しておらず、脆弱で、しかも誰のフォローもない小学生が強制的に同様のショッキングな内容の漫画や小説読ませられたり、映画を見せられたとしたらどうだろう?

心理的に過敏すぎた私のような子は、毎日悪夢を見たに違いない。戦争がどんな意味を持つかも知らずに。

大人になって久しいみなさんはお忘れかもしれないが、小学校低学年では、まだ単純なコンセプトしか理解できない。「戦争は残酷なことだから、大きくなったら外交手段を重視しよう」なんて思わない。「歴史から学ぶことは素晴らしい!」などとも思わない。大人が勝手に「与えて良かった。与えた私は非常に社会的認識がある」と自己満足にひたるだけだ。

小学校低学年で戦争のコンセプトはよく理解できないが、恐怖は理解できる。子どもが残酷に殺される場面があれば、それは心に焼き付く。痛みも感じる。過敏な子は、それを自分に起こったことのようにトラウマとして記憶する。性的な場面もそうだ。

追記:日経BP社の柳瀬博一さんが「私が言いたかったのは、これだ!」という素敵な文章を書いておられますので、許可を得てご紹介させていただきます。ぜひお読みください

私には、それに似たトラウマがある。

50を超えたいまだにひきずっている心理的なトラウマだ。

成長の役に立ったなんて、ちっとも思わない。それを考えると、いまだにとてつもない憤りを覚える。

私は洋書の読書指導をごく少数の子どもだけでやっているが、先日そのひとりで中学生になったばかりの子が「好奇心にかられてLord of the
Fliesを読んだけれど、怖いだけで、何を言いたいのかよく分からなかった」と語った。天賦の才能がある子なのだが、それでも情緒的には中学生の「子ども」なのである。

そこで内容に触れつつ、「高校生になってから読むと、『ああ、
これはこういうことが言いたかったんだな。でも私はこう思うな』という部分が出て来るよ」という会話を交わした。

どの年齢でも差別なく読ませれば、よい
結果が出るというわけではない。

身体に良い食べ物でも、生まれたばかりの赤ん坊に食べさせたら毒のものは多い。それは、情報も同じである。なぜ、それが理解されないのか?

 

日本ではよく「表現の自由」とごっちゃにされるからだ。

そこで、ヒステリー状態になる。

それはまったく違う。これは「表現の自由」の問題ではない。

私は表現の自由を信じる。アーティストは自由に自分の信じることを表現することが許されるべきだ。

しかし、私は「選ぶ権利」も信じる。選ぶ権利には「見ない、読まない権利」も含まれるべきだ。アメリカ合衆国憲法が保証する信教の自由に、「宗教を信じない自由」も含まれているように。

では、どうすればいいのか?

「読む、観る権利」を保証するために、作品へのアクセスは禁じない(ここの部分を読み落としている人が多いので、再び強調しておく。だがそれは、すべての作品をすべての図書館に置いて公開しなければならないという意味ではない)。

性的虐待などのシーンがある、児童に不適切と判断されたものは子どもに暴露してはならない。日本では無知で混同している人が多いとわかったので説明するが、それは『児童虐待』である。アメリカでは、児童に成人向けの性的/暴力コンテンツを見せるのは、 犯罪とみなされている。また、これまでの研究で、それらにさらすことが深いトラウマを与えると証明されている)。

だが、わが子をよく知っている親や、多くの異なる子どもを教えなければならない学校が選ぶときに参考にできるような情報と基準を作り、それを公開するべきである。

子ども、教師、親は詳しい情報を元に、「読む」「観る」ことを選択できるようにする。

決して、全員に押し付けないこと。

 

そう思って、『ジャンル別 洋書ベスト500』では「適正年齢」の情報を載せた。完璧からはほど遠いが、今後手を加えて行くことで、より良くなってゆくだろうと思う。

次は先日私がこれに関して書いたツイートとリプライである。

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もうひとつ私たちがやらねばならないことは、感情的にならず、相手を勘ぐらず、陰謀説に踊らされず、相手をまず信じて恊働することである。そのときに、相手を凹ますジャブはやめよう。(ジャブを返さないようにしようと提言したが、徹底的に甘えている人には返させていただくことにした。)

 

子どもが心理的な暴力を受けない権利を無視しないでほしい。

オリジナルの投稿をしてから、賛否含めた多くの反応があり、語り合ったうえで、考えを整理し、次のように書き直しました。オリジナルが読みたい方は、こちらに保存してありますのでどうぞ。

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肉体的なことに関して、たとえば大学のスポーツ部でよくある「シゴキ」に近い特訓を9歳児に与えたとし、「9歳にはキツすぎたかもしれない。けれども、それを乗り越えられたのだから役に立ったのだ。だから、すべての小学生からその機会を奪う大人は間違っている。与えるべきではないか」と主張したら「何を言っているのだ?」と叩かれるだろう。

少なくとも、疑問に思う人のほうが多い筈だ。
その子によっては、乗り越えて逞しくなる機会かもしれないが、成長に合わない特訓は、身体を壊してしまう。つまり肉体的なトラウマになる。

だが、肉体的なことではなく、情緒や心理に大きな影響を与えるビジュアルや文章の情報については、日本人は非常に無頓着だと思う。

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