住民が手作りする公教育2

1章 私がレキシントン町を選んだ理由

 

私がウォール街の金融情報会社の東京支社を開設するために来日したアメリカ人の男性と出会ったのは1987年で、彼と結婚したのは1990年でした。私たち二人が住んでいたのはバブル景気最盛期の東京で、「経済で世界を制覇する」という活気に満ちていました。

当時のアメリカ合衆国はそんな日本の経済力に脅威を覚えており、アメリカ人が日本車をハンマーで叩き壊したり、日の丸の国旗を焼いたりする「ジャパンバッシング」のニュースが日本にも伝わってきました。

香港への転勤を経て1995年にアメリカ合衆国に移住することになったとき、私たち夫婦が心配したのが、「ジャパンバッシング」と2歳半になっていた日米ハーフの娘への「差別」でした。

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住民が手作りする公教育

まえがき

 

日本の学校で「いじめ」や「子どもへの性的虐待」のような不祥事が起きると、必ずと言ってよいほど同じ反応が起こります。

不祥事を起こした当人、管理責任がある校長、それを管理する教育委員会を、マスコミと国民が一致して非難し、糾弾します。「なんて不道徳な人間たちなのか!」、「こんな人間がいるなんて恥ずかしい」、「刑罰を与えるべきだ」という声がソーシャルメディアに溢れます。

けれども、何度も同じような事件がくり返し起こることをみると、根本的な問題は何も改善されていないのではないでしょうか?

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「これを読まずして年は越せないで賞」の受賞作が邦訳されました

「洋書ファンクラブ」で毎年『これを読まずして年は越せないで賞(これよま賞)』というのをやっているのですが、昨年のノンフィクション部門受賞作品が邦訳化されたのでご報告します。

偶然ではなく、本当にこの賞がきっかけの邦訳化です。

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クラウドで百万ドルの資金を集めたインディミュージシャン、アマンダ・パーマー

拙書「ゆるく、自由に、そして有意義に──ストレスフリー•ツイッター術 」にも登場するインディ系ロックミュージシャンのアマンダ・パーマーは、レーベルとの2年にもわたる争いの末2010年4月に独立しました。そのいきさつは(英語ですが)デイヴィッド・ミーアマン・スコットのブログ記事Web Ink Nowの記事にあります。

レーベルから離れて独立したアマンダは、Amanda Palmer & The Grand Theft Orchestraという自分のバンドを結成し、4年かけて作った新しいアルバムのプロモーションと音楽活動のために、Kickstarterというクラウドファンディングを利用して直接ファンから資金を集めることに決めたのです。当初の目標は30日間で100,000ドルを集めるというものでした(4月のWeb Ink Nowの記事はこちら)。

ピクチャ 10

ところが、昨日5月29日、その額がなんと1,000,000ドルを超えたのです。これはひとりのミュージシャンが単独で集めた最高金額だそうです。

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ロックスターの楽屋でつるむ…という若かりし頃の夢実現

ロックファンなら分かってくれると思いますが、「ロックスターの楽屋でつるむ」というのは、けっこう順位が高い「夢」なんですよね。

究極の夢はデヴィド・ボウイとの出会いで、彼の場合は楽屋ではなく小さなライブハウスで偶然出会うってのがファンタジーだったのですが、まあそれは別として…。

大の音楽ファンの夫には音楽業界関係者のファンも多く、そのなかには「お友達」の関係になった人もいます。LAに住むロックバンドのマネジャーをしているジョディはその1人で、「マネージメントをしているバンドがボストンでコンサートをするから会いたい」というメールが来ました。

そのバンドとは、The All-American Rejectsです。

AAR

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国際的な場で通用する英語とは?

4月14日から始まり、改善したり、悪化したりをくり返している面倒な病気のために昨日はソーシャルメディアを全然チェックしていなかったのですが、どうやら「国際的な場での英語」についての討論が盛り上がっていたようです。

簡単に説明してしまうと、「アメリカ訛りの英語は、欧州では馬鹿にされる。通用しない」という主張に対する反論です(そのTogetterがありますので、詳しくはそちらをご覧ください)。

私も反論のほうに賛成するのですが、私自身の考えも、ちょっと付け加えてみたいと思いました。

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私には、すでに生きる価値はあったのだ

2012年4月、ワルシャワでの仕事を終えた私たち夫婦は、アウシュヴィッツ強制収容所を訪問するために午後8時発の列車でクラクフへ向かいました。
ワルシャワを発ってしばらくのうちはビルの灯りが見えたのですが、じきに窓の外は墨を流したような闇に包まれてしまいました。どうやらあまり郊外は広くないようです。私は、外の景色を眺めるのをあきらめ、を開きました。

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